【第五章】悪女とサロンコンサート ④
実は、エイヴリルはなんとなく違和感を抱いていた。ディランが自分を『次期公爵夫人』として公の場で紹介してくれることはありがたい。
しかしそれにしても、このサロンコンサートは特に高位な貴族のお遊びの場である。
『評判最悪の悪女』を連れ出すにはハイリスクすぎるのだ。──主に、ランチェスター公爵家の方には。
エイヴリルの問いに、ディランは
「実は少しな。ここを主催するブランドナー侯爵家との関わりを深めておきたくて」
「……なるほど。お仕事の事情だったのですね!」
「だが、それだけじゃない。これは本当だ」
「ふふっ。けれど、私がこのお城を喜ぶと思ったのも本当のことなのだとわかりますわ。ディラン様のお顔は正直です」
ニッコリ微笑んでみせると、ディランは「また君は、本当に」と呟いて長椅子の背もたれに腕を回した。
その仕草には美貌の公爵様の素顔が透けて見えるようで、エイヴリルはさらに笑みを深める。
(今日のディラン様は、なんだかいつもより身近に感じますね!)
悪女としての役割も果たせたし、古城に来られたのも、サロンコンサートも楽しかった。契約に含まれた『デート』だったのかもしれないが、身にあまる幸福に浸っていると。
「エイヴリル・アリンガム様。ディラン・ランチェスター公爵閣下」
急に名前を呼ばれた。しかも、一体どういうことなのかエイヴリルの名の方が先である。
驚いて立ち上がると、そこには品の良い夫人がいた。銀色の髪を綺麗に巻いてまとめ髪にし、身体に沿うデザインのドレスを上品に着こなしている。
「今日のコンサートを主催したヒヴァリー・ブランドナーですわ」
「ブランドナー侯爵夫人。私の妻となる人の紹介がまだでしたね」
「ええ。さっき噂を伺って、慌てて飛んできたところですわ」
(噂って……先ほど皆様がお話しされていた通り『中途半端な悪女』という噂でいいですか!)
ディランとの会話を聞いているだけで、エイヴリルにとっては嫌な予感しかしなかった。
「改めて、こちらはエイヴリル・アリンガム。アリンガム伯爵家からうちに嫁ぐ予定の令嬢です。まだ婚約期間中ですが、時期を見て正式に式を」
「エイヴリル・アリンガムと申します」
とりあえず挨拶をするしかない。『悪女の』と添えるべきか迷いつつ型通りの礼を終えると、ディランに優しく肩を引き寄せられてエイヴリルは目を瞬いた。
(すごい夫婦っぽいですね!)
ブランドナー侯爵夫人も同じことを思ったらしい。目を丸くして聞いてくる。
「まあ。随分と仲がよろしいことで。私も、つい先ほど息子からエイヴリル様のお噂をお聞きしまして」
「……ご令息から? エイヴリル、どういうことだ?」
ディランから不思議そうな視線が投げかけられたので、エイヴリルは視線をはずす。事態はわりと良くない。知らないふりをするしかなかった。
「何のことか。わかりかねますわ」
「……このように、我が妻となる人は自他ともに認める悪女でして。ご令息との間で何があったのか、お聞かせいただけますと助かります」
ブランドナー侯爵夫人に向けられたディランの声色に笑みが含まれているのは、エイヴリルの気のせいだろう。
「ええ。そちらのエイヴリル様は、楽譜を忘れた私の息子に楽譜を書いてくださったと。ぜひお礼をさせていただきたいですわ」
「そのようなことが。私の婚約者がご令息のお役に立てて何よりです」
(やっぱりそのこと……! しまったわ)
後悔しても遅かった。けれど、子どもをいじめる悪女がいていいというのか。いや否である。ということは、サミュエルを手伝わないという選択肢はなかったということになる。
つまり、ここは自力で乗り切るしかない。開き直ったエイヴリルはツンとして言い放つ。
「私は、何となく雰囲気で適当かついい加減に書いただけですわ。素晴らしい演奏をしたのはご令息に違いありません。ただ、偶然後押しになっただけのこと。感謝される
「まぁ。息子が言っていた通りね」
「サミュエル様、が?」
サミュエルは一体何を言ったのか。首を傾げたエイヴリルに、ブランドナー侯爵夫人は感激した様子で指を組んだ。
「エイヴリル・アリンガム様はお礼を申し出ても辞退される
「!?」
(えええ……!? どうしてそんな解釈に!? というか、悪女って三回も言ったのになぜ伝わっていないの……!)
絶望感に襲われているエイヴリルの手を、つんつんと引く者があった。
「何でしょうか……、あら」
「さっきはありがとうございました。おかげで、とてもいい演奏ができました」
そこにいたのは『悪女』を
小さな紳士らしくお礼を告げてくる彼に、エイヴリルは目線を揃えてこそこそと問いかける。
「いいえ。サミュエル、今日は本当に素晴らしかったです! ……ですが、どうして私のことをお母様に『悪女』と説明してくださらなかったのですか」
「三回も悪女と言っていたので、大事なことなのだろうと思い、母には伝えました。しかし、恩人になんてことを言うのだ、と怒られました」
至極当然すぎた。
「ご、ごめんなさい!」
エイヴリルが頭を抱えると、頭上の方でディランが吹き出すのが聞こえた。
「申し訳ございません。私の婚約者はこのようなもので」
「ふふふ。お噂ではランチェスター公爵家は今後どうなるのかと思っておりましたが、心配なさそうですわね。お父上の代から疎遠になっていましたが、エイヴリル様がいらっしゃるなら、またぜひ関係を深めていきたいものですわ。音楽を嗜まれる方のようですし」
「私としても、この先のことを少しずつ改めなくてはと考えているところです。ブランドナー侯爵家には優秀な方が多い。実は、手を焼いている件にお力添えいただけないかと思っているところでして」
柔らかだったディランの声色が引き締まったものに変わっていくのを感じて、エイヴリルは顔を上げた。
(あ、これはお仕事のお話をされるのですね……!)
ピンときたエイヴリルは、サミュエルとともにその場を離れることにする。
「サミュエル、もう少しバイオリンを聞かせてくださいますか。私がピアノを弾きますので」
「はい。では、僕がピアノまでご案内しましょう」
エイヴリルは、差し出された小さな紳士の手を握る。
(悪女のふりは失敗したようですが……ブランドナー侯爵夫人以外の皆様はきちんと私を噂通りだとお思いのようですので、まぁよしとしましょう……!)
何よりも、自分はディランの役に立てたらしい。
悪女でいることももちろん重要だが、エイヴリルだって自分を大事にしてくれるランチェスター公爵家には貢献したかった。
──もちろん、契約結婚ではあるけれど。
◆
エイヴリルとサミュエルの背中を見送りながら、ブランドナー侯爵夫人は不思議そうにしている。
「ディラン・ランチェスター公爵閣下。今日、私のところにいらっしゃったのはお仕事のお話でよろしいのかしら?」
「本当に仕事でもお力添えいただきたい件があるのですが……今日の目的についてはどうやら見透かされているようですね」
「ふふふ。婚約者とここまで仲がよろしいところを見せられてはねえ。私が最近購入したネックレスのことね? あなたの片腕のクリス・ブロンテからお話は聞いていましてよ」
「……どうか、私にパパラチアサファイアのネックレスをお譲りいただきたい」
頭を下げたディランに、ブランドナー侯爵夫人はため息をつく。
「私、この古城のように趣のあるアンティークのジュエリーが大好きなのですわ。使われているのが希少価値の高い宝石であるなら、なおさら手放したくありませんの。滅多に出会えないこともわかっていますしね」
「私は彼女を喜ばせたい。そのためならどんな労力も
「ふふふ。その言葉の本当の価値を理解できるのは、このサロンコンサートに通っていた子どもの頃のあなたを知っている私ぐらいね。いいわ、譲ってあげる」
「ありがとうございます。この恩は必ず」
「いいのよ。あなたのお母上には随分と良くしていただきましたもの。それにしても……アリンガム伯爵家で音楽を嗜まれるのは違うお名前の方ではなかったのかしら? 私、十年ほど前にサロンコンサートでアリンガム伯爵家のご令嬢の演奏を聞いたことがありましてよ。それがあまりにも堂々としてらして、些細なことには動じない様子でしたので記憶に残っていますの」
それを聞いたディランは、ふっと微笑んだ。
「……それはきっと記憶違いかもしれませんね。アリンガム伯爵家で音楽の素養があるのは、我が妻となるエイヴリル一人でしょうから」



