【第六章】悪女は気づかない ③
「グレイス……あのメイドに一般的な量を教え込まないといけませんわ。でも、私が給仕をする側だったなら、お菓子で会話を持たせる作戦は思いつきません。それを考えると、やっぱりランチェスター公爵家の使用人の方はさすがですわ」
「……〝私が給仕をする側だったら〟?」
「いえ、何でもありません」
うっかり、口を滑らせて自分が使用人として働いていたことを話してしまった。
隣のディランが生温かい微笑みを浮かべたのを見て、エイヴリルはこほん、と咳払いをする。
「今日は有意義な時間をありがとうございました。ローレンス殿下とお話をする時間をいただけて、とても新鮮でしたわ」
「ローレンスとのチェスは楽しかったか」
「はい、それはもう」
そう答えつつ、頭の中にさっき自室の引き出しにしまってきたばかりの印章が思い浮かぶ。
ローレンスが帰ったらすぐにディランに渡そうと思った。
けれどなんとなく気が進まない。
(あれを私が持っていることを知ったら、ディラン様は複雑な事情を無理にお話ししてくださることになるかもしれない。そんなの良くないわ。自然とそのときが来るまで、大切に保管しておくことにします……)
印章の取り扱いについて心に決めたところで、ディランが思い出したように聞いてくる。
「しかし、エイヴリルが連れてきたメイド──キャロルは何をしているのだ? こういうときこそ彼女の出番では」
「あら、そういえばそうですねえ。きっと、悪女な私にいじめられてお手紙でも書いているのではないでしょうか」
「……誰に」
「さあ」
エイヴリルはふふっと微笑んでごまかしたが、その相手は間違いなくキャロルの主人・コリンナだった。
◆
それから少し後。アリンガム伯爵家のサロンではコリンナが高笑いをしていた。
「ねえお母様見て? これ! エイヴリルったら『美貌の公爵様』に全然相手にされていないみたいなの。かわいそうだわ」
「あら。それはキャロルからのお手紙ね? 読んで聞かせてちょうだい?」
背後では、古物商たちが絵画や壺を運び出している。
すっかり火の車になったアリンガム伯爵家の台所事情を表していたが、コリンナと母親は動じることがない。
二人にとっては、代々引き継がれてきた豪奢な調度品がなくなったところで
むしろ、家のお財布事情が元通りに戻ったら自分たちの好みのものを買い揃えればいい、それぐらいに軽く考えていた。
「ええ。キャロルによると、エイヴリルは公爵様には一度もお目にかかっていないみたいなの。ずっと離れに閉じ込められていて、皆から無視されているみたい。……なんだかかわいそうだわ」
「本当ね。でも、笑ってはいられないわ。もしかして、支度金がなかなか送られてこないのはそのせいかもしれないもの。こんなことになるのなら、コリンナをお嫁に行かせるべきだったわ。でも『辺境の地に住む好色家の老いぼれ公爵閣下』と聞いていて、そんなところに大事な娘を嫁がせるわけにいかないじゃない」
コリンナは、頭を抱えてしまった母親の肩を優しく支える。
「大丈夫ですわ、お母様。今からでもまだ間に合いますわ」
「まだ間に合う、って……。エイヴリルはもう悪女として嫁いでしまったし、あなたは近いうちにリンドバーグ伯爵家でアレクサンドラとかいう頭でっかちのご令嬢に仕えることになるのよ?」
あと数週間でコリンナは王都のリンドバーグ伯爵家に向けて出発することになっていた。当然、アレクサンドラの侍女になり借金の返済を遅らせるためである。
けれど、コリンナにとっては不本意なことこの上ない。
この要請を吞んだのはお金のためもあるが、アレクサンドラの婚約者・王太子ローレンスを落とし一気に玉の輿に乗ることを考えたからである。
しかし、調べたところによるとローレンスはあいにくアレクサンドラに夢中らしい。
いつもならそんなことはお構いなしに色仕掛けに出るが、好みがアレクサンドラのような堅物令嬢となると勝ち目はなかった。
それでも、コリンナがリンドバーグ伯爵家行きを決めたのは
「ねえ、お母様。この手紙には、ランチェスター公爵閣下はエイヴリルと一度も顔を合わせていないと書いてあるわ。あのキャロルが私に噓を言うはずがないから、これは事実よ」
「そのことに何の意味があるのかしら」
「お母様。お忘れかもしれないけれど、私とエイヴリルは子どもの頃に出演するサロンコンサートで入れ替わったことがあるぐらい、外見がそっくりなのよ? 今回だってきっと騙せるわ。あの子はどんくさいもの。嫁ぎ先では味方の一人もいないことでしょう。」
「それじゃあ、コリンナ……!」
縋るようにして目を輝かせた母親を前に、コリンナは悪女らしくひやりとした笑みを浮かべる。
「ええ。王都へ行くついでに私がランチェスター公爵家に行って入れ替わってくるわ。そして私は公爵夫人の座に就き、この家には支度金と多額の支援を。エイヴリルはあの堅物の下でいじめられればいいんだわ」



