刑罰:クヴンジ森林撤退支援 1 ②
俺は何も答えなかった。ドッタの盗み癖をいまさらどうこう言うつもりはない。こいつの衝動的な窃盗はもはや死んでも直るまい。こいつは本当に何でも盗むし、無意味なものほど盗みたがる。
このとき俺が気になったのは、別のことだ。
「なあ、ドッタ。この棺桶なんだけど」
俺は蓋に手をかけてみる。
「もしかして……誰か入ってるな?」
「そうなんだよね」
ドッタは予想した通りの答えを返してきやがった。どうかしている。
「運んでるとき、すごく重いとは思ってたんだけど、さっき確認したら──」
「盗む前に確認しろ! お前はなんで死体を盗んでくるんだよ、ワケわかんねえよ」
「そんなの、ぼくだってわかんないよ! 気づいたら盗んでるんだから!」
「なんでお前が俺を怒ってる感じになるんだ、
ドッタが『まずいことになった』と言った意味がわかってきた。
これだけ豪華な棺桶に納められているのだから、きっとその死体は王族か、大物貴族の類だ。聖騎士団に従軍していたそれはそれは偉い人が死んで、この棺桶に納められたのだろう。
たしかに盗まれたら大騒ぎになりそうだ。こうなったら、俺からできる助言は一つしかない。
「いますぐ返してこい、アホ」
言いながら、俺は死体を確認するため蓋を開けてしまった。
なぜ開けたかと言えば、俺にもよくわからない。
あるいは悪趣味な好奇心だったかもしれない。王族や貴族なら俺の知っている相手の可能性はあるし、中にはぶち殺したい人間も一覧表に並べられるほどいる。そのうちの一人ではないかと、非倫理的かつ陰険な期待を抱いたような気がする。
ただ、本質的には『なんとなく』以外の何物でもなかった。俺がそういう不注意なやつであるという、それだけのことだ。
「しまった」
俺は開けて後悔した。
たしかに人間が入っていた──少女だ。
それも、ちょっと怖いくらいの美少女。聖騎士団の白い軍服。滑らかな金の髪と、北方出身を思わせる雪のような白い肌。作り物のような顔の造作──
だが、何より俺が目を奪われたのは、その左の頰から首にかけて刻まれた『印』だった。おそらくその文様は胸元、心臓のあたりまで達しているはずだ。俺は知っていた。
聖印と呼ばれている。俺たちの首にあるものと少し似ているが、決定的に違うものだ。
「ドッタ、これはまずい」
「だよね。これって王族の子だよね?」
「違う。そもそも人間じゃない」
頭の片隅がひりつくような錯覚に襲われる。
「《女神》だ、このガキ」
「え? なに?」
「なに、じゃねえよ。《女神》だよ」
人類の希望の一つ。太古の英知によって創造された決戦生命体。
そういう大げさな宣伝用の文句があった。しかし、俺は知っている。その表現は適切だ。《女神》は、人類が魔王たちに対して持ちうる、最大最強の戦力に間違いない。
聖騎士団とは、この《女神》を防衛し、かつ兵器として運用するための組織だ。
現存する《女神》の数は、この世にわずか十二しかない──いや、いまは十一になっているか。そのうちの一つを盗んできたというのだから、このドッタという男はとんでもない。こんな情勢でなければ、世界史上に残る大泥棒になっていただろう。
「いますぐ返してこい。かつてないほどヤバいぞ。《女神》くらい知ってるだろ!」
「ええ? いや、まあ、遠くで見たことあるけど……そうなの?」
ドッタは理解できないというような顔をした。
そうか。一般に《女神》というやつは、どんな姿をしているものなのか伝わっていないのか。
「こんな、ほんとに女の子の形をしてるもんなの? あのさ、ぼくが見た《女神》は、もっと超でかいクジラみたいなのとか、鉄の塊みたいな──」
「説明が難しいが、まあ、そういうやつもいる」
《女神》は太古に生み出された、いまでも解明できない超兵器だ。
中には人間には理解できない形をとる者もいるし、そうでない者もいる。さらに便宜上《女神》と呼ばれているが、必ずしも女性体ではない。俺が知る限りは、たぶん。
「ドッタ、よく聞けよ。こいつは」
面倒ながら、俺は少し解説してやろうとした。だが、その前に俺の耳は、夕暮れの薄闇を破るような激しい音を聞いていた。
角笛と、太鼓の響き。
これは間違いなく味方の、人類側の軍隊が鳴らす騒音だ。魔王現象は普通、そういう道具なんて使わない。
「なんだよ。もう来たのか?」
反射的に、俺は両手を握り、また開いた。
手の平。手首。それから肘──肩にまで。皮膚にはくまなく聖印が刻まれている。戦いのための聖印だ。超多目的ベルクー種機動雷撃印群とクソ長い名前で呼ばれている。これだけは勇者刑に処されても剝奪されなかった。
俺の、いまとなっては唯一の「私物」。
「
「うん」
ドッタは目を見開き、夕暮れの薄闇の奥を
「……いる。もう動いてるよ」
「じゃ、俺たちの出番だな」
「ま、待った。心の準備が、まだ」
「そんな暇があるか? 首の聖印に聞いてみろ。まずは味方と合流するぞ」
たったいま角笛と太鼓を鳴らした連中のことだ。
そう遠くはないと、俺は推測していた。音の規模からして、二千を超えるという聖騎士団本隊ではないはずだ。おそらく斥候部隊か、別動隊か、そんなところだろう。
「ま、待ってよ! 置いてかないで!」
「急げ。《女神》も忘れんじゃねえぞ、お前が盗んだんだから責任持って抱えろ!」
「えっ……あの、ホントに? すごい重いし、持っていくのはどうしようかなって、いま」
ドッタは反論しかけたが、俺が
そこからは無言で、足早に移動する。森には敵の気配が満ちていた。怒号と、金属の音。角笛と太鼓の音が徐々に途絶えがちになっていく。嫌な予感がする。急がなくては──そう遠くはない。はずだ。きっと。
そのまま開けた斜面にでくわし、滑り降りようとしたときだった。
「待った! ザイロ、これっ、ちょっとまずい!」
いきなり、ドッタが俺の腕を
「もう手遅れだよ。見て」
「なんだよ」
俺はその場に身を沈め、望遠レンズを手にして覗き込む。木々の隙間、夜の向こう。ドッタのように暗闇を見通せるわけではないが、地面に散らばる
そこで「手遅れ」の意味がわかった。
(
おそらく、彼らは別動隊だったのだろう。たぶん二百ほどの兵士たち。
そのすべてが、いまや死体か、あるいはその直前のような有り様になっていた。
武器を使って戦おうとした形跡はある。だが、死体の兵士の手に握られた剣はへし折られており、いままさに巨大なカエルのような怪物──
この種の
「ぎ」「ぎい」「ぎぎい」
と、闇の中にやつらの異様な鳴き声が響く。
聖騎士団の別動隊は、この
すでにまともな迎撃ができていない。血と肉と泥が彼らの足元で跳ねていた。
「だ、ダメだって、ザイロ」
ドッタはもう完全に
「逃げよう! どこかに隠れてやりすごそう! あいつら、もうこんなところまで」
「たしかに、やつらの進軍は速いな」



