一章 魔女に首輪は付けられない(2)
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ディーン大陸の下半分を占める皇国、その首都イレイルの形は三日月形に近い。大陸の端に位置し、海外との交易及び皇国経済の心臓部としての役割を果たしている。
九つの区からなり、左方に海、中央に高層ビルの立ち並ぶビジネス街、上方に内陸部へ続く丘がある。捜査局本部から車で二十分程度の、その丘まで上ると都会の喧騒は嘘のようになくなり、代わりに高級住宅街が現れる。
目的の建物は街の外れにあった。
教会のように見えた。見えたというのはうっそうと蔦が巻きつき、外壁は剥がれ、廃墟も同然だったからだ。しかし指定された場所はここである。事前に知らされていなければ気づかなかったかもしれない。
もっとも外観がいくら荒れていようが、勤務にはさほど影響はないだろう。ヴェラドンナは第六分署は『地下』に存在すると言っていた。機密保持の観点からというらしいが、実際には疑わしい。
教会内部に入ると足が止まった。
講壇の壁、その左端にドアがあった。荒れ果てた教会に無理やり設置したかのような、鉄のドアだった。
その時声が聞こえた。
「ローグ・マカベスタ捜査官ですね」
少女のような声だった。どこかにスピーカーがあるのか、音が響く。
「……ああ、そうだ」
ローグの声を拾ったのかすぐさま返事があった。
「その場でお待ちください。本人確認を行います」
そう声がするが、誰も出て来ない。これもまたどこかにカメラでもあるのか。
言われるがままに待っていると、突然、講壇側のドアがスライドしていく。音もなく滑らかに壁に収納され、数メートル先に昇降機があるのが見えた。
「本人確認を完了しました。中へお入りください」
声の指示に従って講壇へあがった。鉄のドアがあった場所まで行くと、今度は昇降機のドアが開いていく。内部は人一人乗るには随分広いし、壁も床も天井も白かった。まるで荒れた外界と隔絶されているように見えた。
指示はもうない。
一度だけ振り返ると、昇降機へ乗り込んだ。
しかしドアが閉じていくにしたがって息苦しさを覚えた。納得済みだと思っていたが疑念が蘇る。地下。そんなところで働くなんてあり得ることなのだろうか。デスクワーカーならまだわかる。だがローグは捜査官だ。閉じ籠りっぱなしというわけにもいかないだろう。
それにしても浮遊感は長く続いた。一体どれだけ降下しているのだろう。途方もない時間を過ごしたかのように感じていると、急に視界が開けた。
「到着しました」
女の声に従って昇降機と地面の境を越えると、その先には広々とした空間があった。
丸テーブルと椅子がいくつかあり、何人か座っている。吹き抜けになっているので、他の階の様子も確認できた。フロアごとに瀟洒な扉が並び、ガラスのフェンスが通路を囲っている。蔦もないし、塗装の剥がれもない。
予想外にまともな、署の様子に目を奪われていると、ローグは気づいた。
(他の捜査官はどこにいる?)
いくら急いでいるからと言っても、誰かしらは署内にいるはずだ。しかし見える範囲で『大人』はいなかった。
ヴェラドンナは何を考えているのか。立ち止まっていても仕方がないので、歩を進めると、ホールの中央で眼鏡の少女が待ち構えていた。肌は青白く目元には隈、顔立ちは整っているが病的な印象だ。
「ようこそ第六分署に、ローグ捜査官。私はリコ・ライナと申します。ここの事務員です。ご用件があれば何なりと」
そう少女は述べ、お辞儀をしたがローグはこの事務員の、ある一言が気になってしょうがなかった。
ローグ捜査官。
署長ではなく、そう呼んだのだ。
「……ローグだ、こちらこそよろしく。いくつか尋ねたいことがあるんだが……」
「何でしょう」
「ここは本当に第六分署なのか?」
ローグはそう言って、ホールを見回す。
椅子に座っているもの、壁に寄りかかって本を読んでいるもの、上階のフェンスに体をもたせかけているものもいる。一周する間に数えてみれば十二人いた。そしてその十二人は全て少女だった。魔術犯罪捜査局で働く人間のようには決して見えない。
しかしリコは頷くと、
「ええ、第六分署で間違いありません」
「署長と言われてきたんだが……他の捜査官は? 全員出払っているのか?」
「第六分署において捜査官の権限を持っているのは、あなたお一人です。そういう意味では署長ということで間違いないと思います、ローグ捜査官」
リコは言い切り、無機質な目で見つめてきた。
いよいよ目眩を感じた。
「……それではここにいる人間は?」
「囚人です」
「囚人だと?」
署内になぜそんなものがいるのか。一瞬のうちに聞きたいことが山ほど生まれる。が、ローグは抑えた。代わりに最も重要だと思われることを訊いた。
「……俺は局長に言われて来た。〈奪命者〉の捜査をするためだ。犯罪者の面倒を見るためじゃない。本当にここで捜査はできるのか?」
低い声音を作ってみせてもリコは動じず、
「問題ありません。囚人でありますが彼女たちは特別です。紹介をします。近くに行きましょう」
スタスタと少女たちの前へ進んでいく。
渋い顔をしながらローグは、その背中を追っていく。まるで決められた段取りをなぞっているみたいにスムーズだ。いっそう不信感が強くなる。
やがて二人は、丸テーブルを一人で占領している少女の前で止まった。紹介すると言っているのに少女は瞼を閉じてしまっている。寝息のようなものも聞こえた。しかしリコはそれでも構わないとでもいうように、口を開いた。
「彼女はミゼリア。精神干渉系魔術を得意としており、人間を『人形』に変えてしまいます。識別名は〈人形鬼〉。過去に皇族を手にかけた例があり、その時には周囲の近衛、全てが彼女の人形になっていたそうです」
肝心の少女は脚を組みながら頬杖をついている。身じろぎ一つしない。白いジャケットに白いスカートを着て、長い白髪をテーブルや脚に垂れ下がらせたままにしている。
白の印象が強い以外は普通の少女だった。何もおかしくはない。
されど胸騒ぎが止まらない。ローグはこの感覚を知っている。普通の少女。そう、そのはずだったのだ。しかし過去を想起し始める頃には既に遅く、
ゆっくりとリコの言葉が耳に入ってくる。
「そして、特例管轄措置による斬首期限は六千年。貴族評議会が認定した――」
心臓の音が強くなり、
「十三番目の魔女です」
最後の言葉で不安が確信に変わった。
「……今なんて言った?」
掠れた声が出た。
リコが首を傾げ、
「私は、何か間違ったことを言ってしまったのでしょうか? 捜査官育成校の教育課程で教えられる情報と相違ないはずですが」
「……それは知ってる」
「では何か問題がおありでしょうか? 魔女ミゼリアについて」
「……魔女は〈アンデワース〉にいるはず……どうしてこんなところにいる?」
リコは左手を、吹き抜けの上層に向けて差し出し、
「
「……だからそういうことを言ってるんじゃねえ」
自然とローグの語勢が強くなる。
「なんでこんな平然と魔女が野放しにされてるんだ……!」
この事務員は本当にわかっているのか? 魔女がその気になればすぐ、「ローグも含め」消し去れるというのに。
魔術が民衆に広まる以前から、魔女たちは皇国に存在していた。魔術そのものと融合し、不老となった正真正銘の化け物たちだ。前触れもなく現れ、そのいずれも皇国に災厄といってもいいほどの害を与えた。
魔術で街を形も残らず蒸発させた魔女もいるし、十万人が死傷した暴動の原因となったものもいる。一晩で数千人が攫われた事件もある――魔女の存在は決して嘘ではない。
しかし――
どれだけ奴らが危険であるか、現在の国民は理解すらしていないだろう。何せ「悪いことをすると魔女がやってくる」と子供を