1 ①

 その死体は手足が棒のように細長いのに、胴体だけが異常なほどにまんまるに太っているという奇妙なものだった。


「…………」


 それを、一人の男が見おろしている。

 身長百六十センチほどの背の低めの男だ。学生服やチャイナ服のような身体にフィットした細身のデザインの、薄紫色の服を着ている。そういう服が似合う。スマートにせていて、手足が身長の割に長い。

 ここはかつて都市から少し離れた郊外の一大遊園地として開発されて、それが途中でとんした廃墟だった。県や市、それに各種企業の間で債権がバラバラになってしまっているので再開発のめどは立たず、いずれ取り壊される日だけをただむなしく待ち続けている。

 その様々な、作りかけの奇抜な建築物が建ち並ぶ中の、一際高い塔の頂上で男はただ、黙って奇妙な死体を見おろしている。


「…………」


 もっとも男と言うには少し若すぎる感じもする。童顔であるし、まだ十四、五歳かそこら、というようにも見える。だがなにか、その鋭い吊り上がり気味の目つきがやたらに冷ややかで、そのため年齢とは無関係に〝少年〟と呼ぶのをためらわせる雰囲気があった。

 空がからっ、と晴れ渡っている。周囲には他に人影はない。


「…………」


 白い雲がゆったりと流れたりしているその風景は、死体が転がっている状況に不似合いなようで、そこに平然と男が立っていることでむしろ、ごく当たり前の日常のようにも見えた。死などごく普通のことだ、とでも言うかのように。


「……やれやれ。アホらしい」


 やがて、薄紫の男が死体を前につぶやいた。それも平然とした口調だ。

 こういう風に死体などを目の前にするのは、この男にとってはごく当たり前の日常に過ぎないのかも知れない。

 男はふところから一枚の細長い板のような、棒のような物を出し、それを携帯電話のように耳元と口元に当てた。しかしそれにしてはアンテナに類するものがない。かわりにペンライトのようにレンズ状の物が末端についていて、それが空を指している。どこに向かっているのか、光がそこからは伸びているようだ。


「フォルテッシモだ」


 薄紫の男は、やはり携帯電話のようにそれに向かって話し出した。


「任務は終了だ。奴の反逆の可能性はゼロだ。──あ? なんでかって?」


 ここでフォルテッシモと名乗った少年のような男は初めて感情のようなものをあらわにした。顔をゆがめて、不愉快そうに言ったのだ。


「くたばってやがるんだよ、このアホは! ──いや俺じゃねえ、テメエでテメエを殺しているんだよ!」


 フォルテッシモは死体をにらみつけた。


「自殺だ! 戦うどころじゃねえ。わざわざ俺が出ることもなかった。とんだ骨折り損のくたびれもうけだ。──あん? 自殺の理由だと? んなこた知ったことか! チョロい神経だったってことだろうよ!」


 彼は怒鳴ると「以上だ!」とその通信らしき行為を強引に中断した。


「くそ、少しは歯ごたえのある相手かも、とか期待させやがって……!」


 けっ、と死体を爪先で軽く蹴飛ばした。ごろり、と死体が転がる。


「──ん?」


 フォルテッシモは死体の横顔を見て、おや、と思った。

 死体には右耳がなかったのだ。むしりとられたように傷口がき出しになっていた。


「…………」


 フォルテッシモはあらためて周りを見回してみた。

 しかしその耳らしきものはどこにも見あたらない。ここで千切れたわけではなさそうだ。


「──するってえと、つまり……」


 一転して、フォルテッシモの目には生き生きとした色が浮かび出す。


「こいつは誰かと戦っていたということか……? 逃げ出しはしたが、かなわぬと見て絶望して死んだ、とか……」


 うんうん、と目を見開いて、何度も何度も一人でうなずいている。


「おい、もしかしたらおまえか? こいつを倒したのはよ、ユージン──おまえなのか?」


 その名を呟いた瞬間、フォルテッシモの目がぎらりと光った。


「俺はまだ、おまえに完全に勝ったわけじゃねえからな──もしも相手がおまえなら、こいつは願ってもないことだ!」


 フォルテッシモは両手を広げて、空を振り仰いだ。


「そうとも、おまえとの決着はついてないんだ! おまえがいくら〝ぼくの負けだよ〟などとほざいたって、俺は許さねえからな!」


 そして天に向かって、声を張り上げて大笑いした。

 そしてフォルテッシモが死体のあった塔の上から下りてくると、そこに一人の男が待っていた。一見勤め人風の、ごくありふれた風情ふぜいの男である。


「どうも〝最強〟さん。お久しぶりです」


 男はいんぎんれいに頭を下げて見せた。


「なんだスクイーズ、何の用だ? ここはおまえの担当区域じゃねえだろう。俺はこれからやることがあるんだよ」


 フォルテッシモは不愉快そうに顔をゆがめた。


「いや、次の任務です」


 スクイーズと呼ばれた男は静かに言った。


「おい、俺はたった今、ひとつの仕事を片づけたところなんだぞ」


 フォルテッシモはじろりとスクイーズを睨みつけた。しかしスクイーズの方はまるで意に介さず、


「だから来たんですよ。片づいたから」


 と淡々と言った。


「くそっ、散歩するヒマもねえのか」


 フォルテッシモは毒づいた。


「あなたに〝散歩〟などされたら周りは大変ですよ。強そうな奴を見つけては、けんを売ってまわるんでしょうからね」

「本気は出さねえよ」


 フォルテッシモはニヤリと笑った。スクイーズは肩をすくめて、


「当たり前ですよ。あなたが本気なんか出したら、相手はこなごなですから」


 と言った。するとフォルテッシモは笑いを深めて、


「おまえが相手ならそうも行かないかもな。どうだ、いっちょやってみるか? ん、直接攻撃型の戦闘タイプさんよ」


 挑発するように言う。しかしスクイーズは取り合わずため息混じりに言った。


「遠慮しますよ。私も命は惜しい。それより任務の話をしましょう」


 スクイーズは万年筆による手書きの書類をフォルテッシモに渡す。古くさい情報伝達だが、しかし電子データと異なり作成者が持っている限りコピーの心配が皆無である。

 それをいちべつして、フォルテッシモは鼻を鳴らした。


「──〝タマゴ〟だと? この俺にそんなものを探せというのか?」

「そうです。しかしただの卵ではない。それは何が生まれるのかわからない、予測不可能の未知のものであり──現段階で考えられる限りの対策を立てる必要がある。だからこそ〝最強〟のあなたの出番というわけです」

「けっ、どうせまたこけおどしのしろものなんだろう。俺の仕事ってやつはいつもそうなんだ」


 フォルテッシモは書類をスクイーズに突き返した。


「だいたい名前がよくねえ──〝エンブリオ〟だと? そいつには確か変な意味もあったはずだ」


 スクイーズはとんちやくに返された書類を見て、一瞬絶句した。


「…………?!」


 そこには何も書かれていなかった。インクで書かれて紙に染み込んでいたはずの字がれいさっぱりとかき消えていて、白紙になってしまっていたのだ。

 フォルテッシモが触ったものが、意味ある書類から無価値のただの紙切れに変換されてしまっていたのである。


(……こ、これは)


 常人とは比べものにならない、それこそ飛んでくる拳銃の弾丸すら視認できる眼を持つ戦闘型人造人間のスクイーズにも、フォルテッシモが何かしたところが見えなかった……。


「…………」


 彼は、やはりこいつはその危険度の高さに反してとうこうに〝生存〟を許されているだけのことはある、と痛感した。


「……ええ。その名称の意味は古代ギリシャ語の〝内側でれていくもの〟という言葉より転じた〝生命に至る胚芽〟のこと……そしてその名のままでいようとすれば、それは〝かえらぬ卵〟となる……おそらくはその通りになるでしょうよ。あなたが相手をすることになってしまったのですからね」


 スクイーズは少しばかりせんりつの混じった声で呟いた。

 そしてフォルテッシモがいきなり〝ぱちん〟と指を鳴らしたとたんに、紙切れはさらに細かいちりとなって空中に溶け込んでいってしまった。


「あーあ、またつまらねえ仕事になりそうだな」


 するとスクイーズは初めてニヤリと笑った。


「ところがそうでもないかも知れませんよ。この辺では最近、奇妙な噂が流れていましてね。なんでもこの街には死神がうろついているらしい」

「死神? なんだそれは」


 明らかにフォルテッシモの顔色が変わる。彼はスクイーズの方に向き直った。


「そういう伝説があるんですよ……黒帽子をかぶったそいつは人が最も美しいときに、それ以上醜くならないように殺してくれるという、ね」

しんびようせいはあるのか?」

「さあどうでしょうかね。でもそいつと遭遇するとしたら、あるいはあなたも少しは手応えを感じるかも知れませんよ」

「死神、か……まさか」


 フォルテッシモはまた眼を輝かせ出した。そしてぶつぶつと何やら呟く。スクイーズはそれが良く聞き取れなかったので「え?」と問いかけたが、もうフォルテッシモは答えずに、一人でにたにたと笑っているだけだった。

 そして思い出したように、


「ああ、そうだスクイーズ。おまえ、俺の方の任務の残りをすませてくれや」


 と唐突に言った。


「何です?」

「簡単な仕事だ……この〝証拠〟を例の所に届けりゃいいだけだ」


 そしてぴっ、と何かをスクイーズに向かって投げてよこした。

 受け取って、スクイーズはまた絶句した。

 それはついさっき死体から切断されたばかりとおぼしき、生々しい人間の指だったからだ。

 そして彼が顔を上げたとき、既にフォルテッシモの姿はその場から消えていた。


「…………」


 スクイーズがぼうぜんとしている間にも、彼の背後では今あの薄紫の男が降りてきた塔がまるで砂場の城のようにさらさらと崩れ落ちていく。すべての証拠もろとも跡形もなく処分されていく──