7 ①

 ……人は実現しうることを夢見るという。だがその実現がどのような形になるかは誰にもわからない。


 少年が、そのことを少女に語ったのは十年前のことである。


あきちゃんは、どうして死んじゃいたいなんて思うんだい?」

「だって……みんなあたしに意地悪するし。お母さんもお父さんも、先生もみんなもあたしなんか嫌いみたいだし。あたしなんか生まれてこなきゃよかったのよ」


 少女は、きっと悪戯いたずらかあるいは喧嘩でもして、両親を含むみんなにこっぴどく叱られた後だったのだろう。両眼を真っ赤に泣きはらしてぐすぐす言っている。


「なるほどね。でも生まれてこなければよかった、と言っても、君はもう生まれてしまっているからね。今さらそれを変えることはできないんだよ、誰にもね」

「…………」


 それから少年は穏やかな口調で、少女にさとすようなことをいくらか言った。だが少女は不機嫌であり、そういうことばかり聞かされてもあまり楽しくない。それが顔に出たのだろう。少年は一転して、


「じゃあ顕子ちゃんは死ぬとしたらどんな風に死にたいんだい?」


 といてきた。


「え?」

はんなやり方では駄目だぜ。死ぬってことは大変なことなんだから」

「どうして?」

「それはね顕子ちゃん、生きているということ、生命というものがこの世にあること、それ自体がひとつの奇蹟だからだよ。だからそれに逆らおうと言うからには、こっちも奇蹟を起こして見せなきゃならないんだ。君はどんな奇蹟がいいんだい」


 少女はぽかんとしている。だが少年はまったくかまわずに、


「君が望んでいることがあるはずだよ。それを言ってみてごらん。言わなきゃわからないぜ。人間というのはいい加減なものでね、心の中にしまっておくだけでは自分が何を欲しがっているかすらわからなくなっていくんだ。言葉にしてみなければ、想いは自分にも通じないんだよ」


 難しいことを子供相手に平然と言う。


「……わかんないよ、あたし。そんなこと言われたって」


 少女は困惑していた。


「そうだね、だったら実は君はこういうことじゃないかな──〝死ぬにはまだ早い〟ってね。君が起こしたいと思う奇蹟、それを見つけてから、あらためて死にたいと考えるといい」


 少年はにっこりと笑った。

 彼は周囲では人気者である。友達に頼られて、色々な相談に乗ってくれて、そしてなんというか──〝道を切り拓いてやる〟というのか〝卵の殻を破ってやる〟というのか──その相談者が行き詰まりを感じていたり限界だと思いこんでいたことをなんとかしてくれる……そういう評判が立っている。

 だがその彼自身は、なんだかひどくはかなげな雰囲気を漂わせており、明日にはこの世にいないのではないか、というイメージがつきまとっている。


「……うーん」


 少女は狐に鼻をつままれたような顔をしていたが、やがて逆に不安そうな顔になって、


「……じゃあ、キョウ兄ちゃんは?」


 と訊いてきた。


「キョウ兄ちゃんには、なんかその〝キセキ〟っていうの? そーゆーのはあるの?」

「うん、そうだねえ……」


 彼は遠い眼をする。


「ぼくにはどうやら選択肢はないみたいだからね……ただひとつだけ注文というか、願いというのがあることはあるね」

「なに?」

「〝死神〟に会ってみたいね。そいつはぼくを殺しに来るんだよ。それがそいつの仕事なのさ。殺すだけの存在なんだ。世の中の色々な奴らは、それぞれかつとうを抱え込んで生きているんだけど、そいつにはそういうものは何にもなくてただ自動的なんだよ。そういうすっきりとした奴には会ってみたい……ぼくらが抱え込まざるを得ない悩みとか、もがきとか、そういうのなんか〝関係ないね〟と言い切ってはばからないような奴なら……ぼくはそいつに殺されてやっても悔いはない」


 少年は淡々と言った。


「…………?」


 少女は話についていけず眼をぱちぱちとしばたくだけだ。彼女がこれとよく似た噂話を聞くのはそれから八年後、高校を受験する中学三年生のときのことであるが、そのときの彼女は自分を見失っていたので、この少年の話したこととの類似性には遂に気がつかず、そしてその後でも思い出すことはなかった。


 ……少年はそれから数ヶ月後、地面に倒れて広がる空を見上げている。

 身体は動かない。

 そして彼の頭上には、彼を今何らかの方法で殺傷した男がぼんやりとした顔でこっちを見ている。

 そう、少年は今、死のうとしていた。何をされたのかはわからない。だが全身がしびれて、手足の感覚が切り取られたように消失していることから見て致命的な一撃を受けたことは間違いない。

 彼には他人にはない〝人の秘めたる能力を開花させる〟という奇妙な力があったために、その力を危険視するあるシステムが彼の暗殺をとうとう決行したのだ。これは予測のついたことだった。殺されるのは覚悟の上で、彼は能力を使っていたのだから。

 だが……


(やれやれ──)


 彼はひどく失望していた。

 彼を殺しに来た、そいつ──その男は別に死神でも何でもなかった。それどころか心の奥底では自分が就かされている暗殺という任務に深い抵抗感があり、そのために逆に、クールに振る舞って平然と殺しをやっているという屈折した、要するにごく普通の奴だったのだ。

 男は、倒れて動かない死にゆく彼の頭に機械を押し当てたりして何かをしている。脳波というか、彼の頭脳にあるはずの、特定のパターン波というのか、そういうものを記録しコピーしているようだ。研究素材の回収、ということだろう。色々と上から命令されて、まるっきり普通のサラリーマンと同じだ。


(やれやれ……)


 彼がじっと男を見つめていると、やがて男も彼の眼を見てしまい、そして内心でひどく動揺したのがはっきりとわかった。殺した相手の眼を見るのは辛いのだろう。

 彼は、さいにこの男に意地悪をしてやれと思った。

 彼はかすかに動く唇を動かして、しやべった。声は出ていない。だが男には唇が読めるだろうと思ったのだ。彼は男にこう言った。


「あなたの中に一匹の虫がいる。それはあなたの中であなたが〝考えてもしょうがないこと〟と思って無理矢理忘れようとすることを食べながらあなたの中で大きくなっていく。あなたの虫はいずれあなたの運命を決定するだろう。そしておそらくあなたは──」


 言いながら、彼は苦笑いに似た感情が起こるのを自覚していた。

 何のことはない。

 死神は自分の方だったのだ。

 彼こそが、この男に悩みも何もかも超越して、静かに最期を告げる死神であったのだ。願いは叶えられたわけだ。ただし──それはひどく皮肉な形であったわけだが。

 人は実現しうることを夢見るという。だがそれがどんな形になるかは誰にもわからない。少年は納得していた。


(やれやれ──しかし、みんなにはぜひ頑張ってもらいたいものだよな、本当に──)


 みんなとは誰のことなのか、おそらく彼自身にもわかってはいなかっただろう。


 ──だが、現実というのはそうそう簡単に人の考えるようには行かない。たとえそれが夢の達成であったとしても、そうそう素直に納得のいく決着の仕方などはしない。

 誰も知らない。

 関わっている本人たちすら知らない。

 だが〝死神に会う〟その夢はひどく奇妙な形で、その十年後に実現することになる。そしてそれはもはや少年の物語でもなく、死神の物語でもない。それは運命のパズルの一片に過ぎないからだ。真の中心は別のところにある。それこそがすなわち、最強と稲妻の、炎の中での決闘の──