12 ②

「やっぱり意味がねーじゃんか」


 弘はため息をついた。


「俺にとっては、まあ姉ちゃんを助けられたのはいいとして、能力なんかあってもなくても関係ないことになった。いや俺だけじゃない。この事件に巻き込まれた連中だって、別に全部が全部そのせいで戦ったりしたわけじゃない──高代さんだって、リィにしたって、みんな自分が正しいと思うことをしただけなんだろう。関係ないじゃんか」

「確かに何者にも関係しないだろうな」

「あんたもさ、せっかく命を賭けてさ、エンブリオを外の世界に出そうとしたらしいけど、でもあんまり意味がなかったね。俺なんかに渡さなきゃもっといいのに当たったかも知んないけどさ」


 弘はぼやいた。だがサイドワインダーは変わらない調子である。


「確かにその〈タイトロープ〉はこれまでの人々、それまでの世界とは無関係にしか働かない。だがね」


 そしてニヤリと笑う。


「だからこそ、それは可能性なんだよ。どういう風に、どこにつながるかわからないからこそ、それこそ死神にすら気づかれないほどにどうでもいいとしか思えないからこそ、それは真の意味での可能性なんだよ。この世に無関係でなければ、新しいものに到達などできない」

「……それがろくでもない道に続いてたら?」

「善悪とは常に決定された過去に対してしか使えない概念だよ」

「わかんねーよ」


 弘の嘆きに、サイドワインダーはぽんぽんと肩を叩いてきた。実体がないはずなのに、本当に叩いている感覚がある。


「それは〝今は〟だよ。今はわからない……君もみんなもまだまだ幼いんだ。この世のすべては未だに卵の殻の中で、生まれ出るその日のために色々な道を必死で進んでいるのさ」

「でもあんたは……あんたはもう死んじまったな。それでよかったのかい? エンブリオに関わらなきゃその〝道〟に参加できたかも知れないのに」

「……ああ。しかし私にはそうしなくてはならない理由があったんだ」

「理由?」

「エンブリオのオリジナル、実際に殺したのはモ・マーダーという男だったが、統和機構に彼を〝危険〟と報告してしまったのは私だったんだ」

「……?」


 前後関係が把握できないので、弘は混乱した。だがそれにサイドワインダーは答えようとはせずに、


「だから私は、どうしてもエンブリオにつぐなわなければならなかったんだ。あっちには知る由もないことだが」


 そして自嘲気味に笑った。


「大きな道を一度塞いでしまった私は、道に参加するためには死ぬしかなかったということだ。高代亨の言い草じゃないが、サムライになるには、その覚悟のひとつとしてあるだろう? そう──〝死ぬことと見つけたり〟とな」

「……だからわかんねーっての」


 弘にはもうわかっている。いや最初からわかっている。

 このサイドワインダーは幽霊ですらない。

 この場所に彼の想いが残っているとか、そういうのではないのだ。これはただ単に、弘自身の中に残っているサイドワインダーの〝自動追尾〟とかいう能力のざんなのだ。

 この世に実体がないとかそういう話ではないのだ。弘の感覚の中にしか存在していないのである。

 しかしそれは姉の中にあったものとは違ってもはや力はなく、こうやって彼に語りかけるだけがせいぜいの微力なものだ。そして、それすらもこうして、出会った場所だからというような〝理屈〟がないと弘の認識に出てくることもできない。


「私はもう終わっている。しかし君は、君たちはまだまだこれからだ」


 サイドワインダーの幻影はそう言って、少し厳しい目で弘を見つめてきた。


「わかるかな、生まれてきた千のものたちは、生まれることができなかった兆のものたちの分も生きなくてはならない。それは、この世に存在しているすべてに掛けられたじゆなんだ。君たちはそれから逃れることはできないんだよ」

「……ぞっとしない話だ」


 弘は顔をゆがめて、視線を逸らした。

 そして戻したとき、既にサイドワインダーの姿はどこにもない。


「…………」


 弘はため息をついた。

 周囲では、ゲームセンターの賑やかな、だがどこかうら寂しいけんそうが変わらずに響いている。

 可能性だのなんだのと言ったところで、結局はこうして自分たちは日常という殻の中にじっとしているしかないたねなのだ。育っているものはあるのかも知れないが、それがなんなのかは自分ではわからない。


「……まったく、ぞっとしねえ」


 弘はいつまで経っても席が空かないので、ゲームをやるのをあきらめて椅子から立った。明日は英語の実力テストだ。休んでいたので教師によく思われていない。それなりの点を取らなくてはならなかった。帰ったら机に向かわなくては。

 どうにも気が進まないそれも、誰かを救うための能力の結果なのかも知れなかったが、だからといって、やれることに全然変わりはないのだった。


    *


 ……風が吹いている。

 無人の、この世から賑やかさというものを抜き去ったようなかんさんとしたはいきよに風が吹いている。

 その風はひどく冷たい。

 時刻は夜明け前。まさに身を切るような感触で空気がえている時間だった。

 廃墟にある建造物は、そのほとんどが骨組みだけのものだった。それらはみな奇妙な形状をしており、少なくとも人が住んだりする目的のものではないことは明らかだった。巨大な輪であったり、空中に走る線路であったりしていた。

 それらがそろそろ明るくなってきた世界に長い影を落としている中、ひとりの男がその廃墟に立っていた。


「…………」


 背はそれほど高くない。ただし手足は長く、その体型に似合った薄紫の身体にフィットした服を着ている。少年のような顔つきをしていた。胸元にはエジプト十字架のペンダントが下がっている。

 無言で、何をするでもなく、何かを見ているでもなく、ただ立っている。

 風が吹きすぎていく中、男はじっとしている。

 ひたすらに時間は過ぎていき、地面に走る影が、昇ってきた太陽のためはっきりとわかる速度で動いていく。


「…………」


 男はひとりであり、他に人影がないにも関わらずにそこに奇妙な声がした。


『──だんだんむなしくなってきてねーか? んん?』


 ひどく意地の悪い声だった。


「…………」


 男は声に反応しない。


『こりゃ、もう他には考えらんねーんじゃねーのかあ?』

「…………」


 太陽は昇りきって、空にはのどかな鳥の鳴き声が響き始めていた。

 一日の始まりだ。気分のいい、さわやかな夜明けだった。


「…………」


 しかし、男の表情にはさわやかさなど欠片かけらも見られない。

 それどころか頬がぴくぴくと小刻みにけいれんしていた。

 いつだったか、どこかで、誰かさんがこんなことを言っていたのを男は確かに聞いていたはずだった。

〝一週間後の今日、夜明け前の時刻、郊外にある作りかけの遊園地──そこで待っているよ〟

 ……はっきりとそう言っていたはずだ。


「──くそったれが……!」


 彼の奥歯が怒りのためにギリギリと鳴り出す。

〝こう見えても、ぼくのささやかな誇りはこれまで一度も嘘をついたことがないと言うことでね〟


「……な、なにが、プライドだ……!」


 彼は全身をぶるぶると震わせて、そして手近にあった大きな岩を思い切り蹴飛ばした。岩はたちまちこなじんになって砕けとぶ。

 しかし男の怒りは収まらずに、彼はなおも絶叫した。


「──あ、あの帽子野郎……!」


 天に向かってえた。


「……あの、大嘘つきめえッ!」


 どこかで誰かがまた『けけけけっ!』と悪意まる出しでせせら笑う声がする中、早朝のすこやかな風だけがその場を吹き抜けていった。


“The EMBRYO” 2nd half -erupsion- closed.