第四幕 ⑫

 きばだらけの口ではにかんでも、ミューリはミューリ。可愛かわいい妹に変わりはない。

 そして、ミューリの大きなこうふんに手をえ、いざ、顔を近づけようとした時だった。


『あ、でも、その、兄様……』

「なんですか?」

『えっと……ずかしいから、目を閉じてしい。手も、どきどきしすぎるから……はなして、しい』


 上目づかいに、耳と尻尾しつぽを下げている。ミューリはとしごろの女の子なのだ。

 それに、改めてそう言われると、こちらも急にずかしくなる。

 せきばらいをして、こうふんから手をはなし、目を閉じた。


「これでいいですか?」

「うん」


 ミューリが再び少女の姿にもどれて、ニョッヒラでこれまでどおりに暮らせるのであれば、神の御座が遠のいたって構わない。それに、これは禁欲のちかいを破るようなこうではない。欲に負けたせいではなく、人を助けるためのことなのだから。それに、かつては預言者もあくに取りかれた者を助けるために、額や手に口づけをしたではないか。ならば、これだって……と思ったところで、もんがついた。

 額や、手に口づけ? ならば口同士である必然性はあるのだろうか? 確かに王子の口づけでひめのろいが解ける物語は数多あまたあるが、大体ミューリのそれはのろいなのだろうか?

 なにかおかしい気がした。そもそも、ミューリは最初になんと言った?

 人にもどる方法は、ある。

 その発言を思い返し、気がついた。

 物語のそれが解決方法だとは、一言も言っていない!


「あっ」


 目を開けたら、目の前に人の姿にもどったミューリの顔があった。かみれてばれないようにと手でさえ、手足がれてもばれるからと、いびつな姿勢で顔をしている。

 視線が合ったミューリは、すように笑った直後、ばっと飛びかかってきた。そこを、すんでのところで横にかわす。後ろで、ごん、と頭をゆかにぶつける音がした。


「痛ったーい……」


 思い返せば、目を閉じたかくにんの時の声が、いつものミューリのものだった。

 そもそも、オオカミになるためにホロと練習したと言うのだから、もどれて当たり前なのだ。


「あーあ、失敗しちゃった」


 悪びれもしないし、はだかかくそうともしない。

 なにからおこればいいのかすらわからない。

 とにかく立ち上がり、こう言った。


「ミューリ!」


 ミューリは首をすくめて頭をかばうようにしたが、うでの下では笑っていた。


「兄様がやったのと同じことしただけじゃない」


 うそを言ったわけではなく、相手が勝手にかいしやくしただけ。

 正論なだけに、言い返せない。


「う、ぐっ……」

「でも、兄様がどんな時でも私の味方してくれるってのは、うそじゃなかったんだね。泣きそうになっちゃった」


 満面のみでそう言われたら、それ以上おこることもできない。

 自分の決意の意味を理解してもらえることほど、うれしいことはないのだから。


「ていうか兄様、広場からなんかかんせいが聞こえるよ?」

「あ、え? こら、ミューリ!」


 ミューリは立ち上がり、見慣れた尻尾しつぽらして木窓にけより、思いきりよく開ける。

 広場からのあかりがここまで届くのか、ミューリのすらりとしたたいがぽっとかびがる。


「こっちはうまくいったんじゃないかな、ねえ、兄さ、ば?」


 頭の上からがいとうをかぶせた。


「耳、尻尾しつぽっ。それから、あなたは女の子なんですよ、もう少しつつしみを持ちなさい!」


 がいとうの下から顔を出したミューリは、めんどうくさそうに羽織る。

 いかりの余りか、それとも連日のつかれもあってか、眩暈めまいがしてくる。


「もう、兄様おこってばっかり」

「一体だれのせいだと……」

「あ、やっぱりうまくいったみたいだよ。きんぱつの声がする」


 こちらの小言など意にかいさず、木窓から身を乗り出し、けものの耳をぴんと立てている。

 ただ、こんなさわぎもこれで最後だ。ミューリはニョッヒラに帰り、自分はハイランドと共にウィンフィール王国に行く。しんくさい別れにならず、かえって良かったかもしれない。


「ねえねえ、兄様、今ならあいつにおっきな恩が売れるんじゃないかな」


 そんなことまで言っている。

 そして、そんな必要はない。ハイランドは高潔な人物だ。うまくいって本当によかった。


「ねえ、兄様……兄様?」


 うまくいって……。


「兄様、ちょっと、だいじよう?」


 体力がきてふらついたところを、ミューリがき止めてくれた。悪戯いたずらばかりのおてん少女だが、いざという時にはたよりになる。

 意識が遠のいていく中でも不安はなく、湯にかるようなここさがあった。

 散々あまやかしてきたのだから、最後くらいはあまえてもいいはずだ。

 そんなことを思いながら、ほのかなおうにおいにさそわれ、ミューリのうでの中で、最後のきんちようを解いたのだった。

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