電撃文庫公式海賊本 電撃VS 収録
狼と錬金術師
湯治場で戯れに出された問いだった。
「ほう。どちらのほうが優れておるか、と?」
不敵な笑みを浮かべたのは、犬歯のきらりと光る狼のような娘だ。いや、実際に狼だという噂を聞いたことがある。なにせ、その頭の上では三角の耳が油断なく動き、腰ではふさふさの尻尾が狩りの機先を窺うように揺れている。
耳と尻尾? そんな物が見えるのは酔いのせいだろうか……。よくわからないが、凛々しさの中にどことなく戯れを秘めた、奥深い雰囲気のある娘だった。
「賢狼たるわっちじゃ。そんな些細なことなどどうでもよいんじゃが……ふむ?」
と、妙に赤味の強い目を意地悪気に細めて、同じテーブルの隅に向ける。そこにはまた別の少女がいて、こちらは対照的な無垢と純白の修道女といった格好だ。ただ、今は薄手の湯浴み用の一枚布の服を着るだけで、修道女にしてはややはしたない。それに、少女の隣に座る男もおよそ神父には見えず、今は酔いつぶれて少女にもたれかかって眠りこけている。華奢な少女にはだいぶ重そうだったが、その重さの分だけ、嬉しそうでもあった。
その白い少女が、突然狼娘に視線を向けられ、狙われた雪兎のように身をすくめている。
「へ? え? あ、の」
「ふふん。ま、わっちにかかれば一口でぺろりというところじゃろうな」
得意げに胸を張り、わっさわっさと尻尾を揺らしている。些細なことと言いながら、随分負けず嫌いに見える。この娘の前にもずらりと空いたジョッキが並んでいるので、酔っているらしい。狼娘の側にいるのは商人風の優男で、狼娘の様子にやれやれと肩をすくめていた。
狼に睨まれた雪兎は、勿論対抗などしようとも思っていないようで、背中を丸めておずおずと温めた葡萄酒を飲んでいた。
一時の座の戯れ。誰もがそう思っただろう。
しかし、その真っ白な少女にもたれかかりながら眠りこけていた妙に怪しげな雰囲気の男が、いつのまにか目を覚ましていて言ったのだ。
「おい……言われっぱなしか?」
兎が顔を上げた、ように見えたのは、真っ白な少女の頭にちょこんと乗っかる大きな獣の耳が動いたからだ。それを見ると、どうも兎よりも猫のほうが正しい気がする。しかし、こちらの娘にも、獣の耳?
「で、ですが……」
とにかく、真っ白な少女は困惑した顔を男に向けていた。
「ひっく……。れ、錬金術師は、舐められたら終わりだぞ……。大体だな……」
と、どうやら錬金術師らしい呂律が怪しい男は、盗賊とも傭兵ともまた違う、神をも畏れぬような目を狼娘に向ける。
「いかに、鍍金の多いことか……。天秤の釣りあいで、大抵の物の重さはわかる。隣を見ろ」
顎をしゃくられ、子猫はつい釣られて狼娘の隣に座る男を見る。こちらはいかにも人の好さそうな体で、争い事は好まぬとばかりに、困ったように笑っている。
「隣の奴との釣りあいで、自ずと価値が決まるものだ」
その言葉に頬をひきつらせたのは、直接貶された商人ではなく、狼娘のほうだった。頬が赤いのは、酔いのせいだけではないだろう。
不意に無表情になると、一つ大きなしゃっくりをしてからゆっくりと立ち上がる。連れの商人が慌てて娘を座らせようとするが、軽く手で払われていた。
「ほほう? 面白い。この賢狼の重さを確かめてみたいと?」
「はっ。口数の多さで嵩を増すつもりか?」
「……」
「……」
狼娘と錬金術師、酔っぱらい二人が睨みあう。
商人と白い少女がそれぞれの連れを諌めるように腕を掴むが、どちらもうるさそうに払われた挙句、怒鳴られた。
「たわけが! 虚仮にされたのはぬしじゃろうが! 群れの者を虚仮にされて黙っておってはわっちの名誉に関わるというものじゃ!」
「いいか。お前を選んだのは俺だ。俺の鑑識眼が、あんなひょーろく玉を選ぶようなやつの目に負けたら、錬金術師廃業だ」
言われた商人も少女も、相方の剣幕に気圧されている。それに、どちらもその表情には、諦めに似た空気がある。一度こうなると面倒だぞと。そのせいかどうか、テーブル越しにばちばと火花を散らす狼娘と錬金術師をよそに、優男の商人と白い少女は視線を交わし、互いに詫びるように頭を下げていた。
どちらが優れているか。一見簡単なようでいて、実のところ深遠な問いである。
「それはもう、見目麗しさであろうな」
狼娘が腰に左手を当て、右手で葡萄酒のなみなみ注がれたジョッキを掲げ、ぐいと胸を張って得意げに言う。勝ち気そうに尻尾がわさわさ揺れ、それだけで真っ白な少女は委縮気味だ。
だが、錬金術師が冷え冷えと言う。
「薄い胸はいくら張ろうと……ひっく、でかくなりゃしないんだがね……。誰も指摘しないとは、周りの連中は、ずいぶんとお優しい」
こちらも強そうな蒸留酒を飲んでいる。その言葉に、釣り針でひっかけたように狼娘の頬がぴくりと引きつっていた。
「度胸に免じて無礼な物言いは許してやりんす。じゃがな! どう見たってわっちのほうがあるじゃろうが!」
びし、と指差された真っ白い少女は、思わず自分の胸を腕で隠し、体を縮めている。
「思い込みとは怖いものだな」
錬金術師がやれやれと首を横に振ると、狼娘はぎりぎりと歯ぎしりをして、おもむろに上着に手をかけて脱ぎ始める。慌てて止めたのは商人だ。いくら湯治場とはいえ、あられもない格好はご法度だ。
「たわけが! 放しんす! 言われたままでいいのかや!」
「喚くな。計ってみればわかることだ」
狼娘はぴたりと止まり、白猫も隣の錬金術師を見る。
「あ、の……は、計るって……」
「もう少し、ひっく……自信を持て。あれよりかは、あるだろ」
「~~……」
白い少女はたちまち顔を赤くして、うつむいてしまう。ただ、胸を隠している腕でこっそり大きさを確かめるようにしているので、言われて嬉しかったのかもしれない。
「ふふん。勝ちの見えておる争いなど、面白くもなんともありんせんがな……」
狼娘はがぶがぶと葡萄酒を飲んで、言った。
「で……ひっく、どうやって、計るんじゃ? ぬしらでは手心を加えぬとも限らぬ」
「公平な第三者に頼めばいい」
錬金術師はそう言って、湯煙がたなびく湯船のほうに視線を向けた。
「あんた、本当に馬鹿よね」
錬金術師にそう言ったのは、呼ばれて湯から上がってきた、計るまでもなく立派なものを乱暴に手ぬぐいで縛った赤毛の娘だ。下は古代の女神のように腰巻をしているが、鍛冶職人だというにふさわしく、なるほどその腹部は市井の乙女らしからぬように六つに割れている。
一方の狼娘のほうも、湯から上がってきたばかりの元羊飼いだという金髪の娘から、呆れたような目を向けられていた。
「羊たちでさえ、毛の長さでは争いませんよ」
「わふ」
最後の一言は、金髪の娘の側に付き従う黒毛の犬である。いかにも狼娘を馬鹿にするように、ため息じみて吠える。あるいは湯に浸かって満足気だったのかもしれないが、狼娘はかっと牙を剥いて威嚇していた。
「じゃあ、互いに相手のを計ればいいのね?」
鍛冶職人の娘が言って、金髪の娘と苦笑を交わしながら、立ち位置を入れ替えていた。
「ほらほら、男どもは退散したした」
赤毛の娘に追い払われ、仕方なく男たちはその場を後にする。黒毛の犬だけ残ったが、あれは雄ではなかろうか。ううむ。羨ましい奴め。いや、犬め。
それから少しして、すぐに呼び戻される。
どちらが勝ったのかと思いきや、狼娘は腕組みをして不機嫌丸出しにそっぽを向き、白猫少女は肩を落とし、うつむきながら自分の胸をぺたぺたと確かめていた。
審査員役の娘二人は、どっちも半笑いだ。
「引き分けです」
金髪の娘が言い、鍛冶職人の娘が続ける。
「どっちもあと五年は経たないとね」
どうやら、比べようがなかったらしい。
黒毛の犬が一吠えして、この勝負はおあずけとなった。
「どっちが優れてるかって? それで見た目で? 馬鹿じゃないの?」
鍛冶職人の娘が、自分の髪の毛を手で絞りながら言う。そこに湯治場の人間が雪で冷やした麦酒を持ってきて、娘は一息に飲んでしまう。その幸せそうな顔を見ていると、貞淑とはいえないがこれもまた良い女っぷりだった。
「あの、お料理などにしてはいかがですか?」
提案したのは、黒毛の犬に腸詰の切れ端を与えていた金髪の娘で、その案には男二人が唸った。
「料、理?」
「それは……」
錬金術師は訝しそうに猫娘を見て、商人は狼娘に心配そうな目を向けている。
すると、意外なことに白い少女がむっとして、狼娘のほうがたじろいでいた。
「あなたは、私がなにもできないと思っているのですか? 確かに錬金術は未熟ですが、旅暮らしではよく食事を作っていました。私にも、できることくらいあります」
どうやら、真っ白い少女はその見た目にふさわしく、普段からやや侮られているらしい。ここぞとばかりに反抗している。
「う、む……わっちゃあ、食べるのは得意じゃが……」
一方の狼娘はさっきまでの威勢はどこへやら。
気弱そうに言っている。
ただ、それを見た錬金術師がにやりとする。
「なら、決まりだな。次は料理だ。降参してもいいんだがね?」
挑発するのも忘れない。
狼娘はぐぬと顎を引きつつ、つと視線を連れの商人に向ける。商人は肩をすくめるだけだ。
狼娘は苦しげに唸ってから、腹をくくったように錬金術師に向き直る。
「……わっちゃあ逃げはせぬ。料理の一つや二つ、なんでもありんせん」
「ようし。なら炊事場を借りることにしよう。審査はこの場にいる奴らでいいだろう」
「構わぬ」
そう言って、面々はそれぞれの思惑を胸に炊事場に向かう。残された者のうち、赤毛の鍛冶職人が言う。
「料理? 料理……本当に作れるのかしら……」
「私も不安です……」
金髪の娘もそんなことを呟いている。
どちらかと言うと、目の前の二人のほうがてきぱきとそれなりの物を仕上げてしまいそうではある。
しかし、そこはそれ、連れ合いがいる者同士の見栄の張りあいなのだ。外野は楽しませてもらうのが一番だろう。
「食べられるものは出てくると思うんだけど」
「……生肉じゃないといいな……」
「わふ」
湯船の蒸気に乗って楽師の音楽が柔らかに響く中、若干不穏な雰囲気ではあったが、ひとまずは待つこととなった。
どうやら二人一組で料理に当たっているようだ。どちらの組も片方は酔っぱらいなので、素面がいなければさすがに不安である。胃腸に効く温泉があるとはいえ、限度があるだろう。
赤毛の娘と金髪の娘は、互いに酌をしあいながら、のんびりと木の実をつまんでいる。まだ若そうであるのに、どちらも一通りの苦労はしてきたような落ち着きようだ。話題は概ね、炊事場で奮闘している仲間のことだった。呆れたため息と苦笑ばかりだったので、内容は推して知るべしである。
と、湯から上がった汗も退くかという頃合に、ようやく炊事場から四人が戻ってきた。もったいぶって、料理の上には覆いがかけられている。
「きちんとできたの?」
鍛冶職人の娘が尋ねると、真っ白い少女がにこりと笑う。そんな自信は珍しいのか、赤毛の娘はやや躊躇いがちに笑顔でうなずいていた。
しかし、ジョッキに口をつけると、訝しげに首をかしげている。
「火傷は……しませんでした?」
元羊飼いの娘が、狼娘に心配そうに尋ねる。だいぶ酒がまわっているのか、うとうとしていた狼娘ははっとなって、もたれかかっていた商人から離れた。
「わ、わっちゃあ火など怖くありんせん! 犬ではないからの!」
そして、なにか恨みでもあるのか、黒毛の犬を睨みつけている。
「では、もったいぶるほどでもありませんので、我々からいきますね」
「なんじゃそれは! わっちの手料理などそうそう食べられる物では――」
「眠りこけてる誰かさんの代わりに、火加減を見てたのは誰だと思ってるんだ……」
「黙りんす!」
噛みつかんばかりの狼娘の剣幕にも、慣れたものなのか商人は肩をすくめるだけ。
それから、料理の覆いを取ると、歓声……によく似た、嘆息が漏れた。
「わ、わあ……随分、雑……じゃない、豪胆な料理ね……」
「……火、は……通って、るのですよね……?」
「わふ」
そこにあるのは、ごろりと人の頭ほどもある、茹でただけの牛の肩肉だった。一応、見栄えをよくするつもりは多少あったのか、ところどころに香草が突き刺さっている。しかし、それは食欲を掻き立てる装飾というより、戦場に紛れ込み、弓で狙われた牛を髣髴とさせた。
「食べられなくはない……と思います」
商人が商人らしく、逃げ道を確保したがるような口調で言う。
「うまいに決まっておるじゃろう!」
狼娘は断固と主張して、商人からナイフを取り上げると、危なっかしい手つきで肩肉にナイフを突き立てる。ただ、そんな大雑把に切れるものではない。結局商人がなだめながらナイフを取り返し、肉を切り分けていた。
「中、真っ赤だけど……」
「……や、やっぱり生肉……」
「わふ!」
肝が太そうな鍛冶職人の娘でさえ、やや引き気味だ。嬉しそうなのは黒毛の犬だけで、商人も肉を切り分けたはいいが、そっと犬にだけ食わしていた。
「な、なんでじゃ! ぬしに食べさせてもらった料理を真似したのに……」
「鍋に湯と塩と肉をぶち込んで、歌ってるだけでできれば世話ないだろ」
それは果たして料理というのだろうか。はなはだ疑問だが、ふと鍛冶職人の娘が商人からナイフを受け取り、肉の周りの部分をこそげとり、一切れ食べていた。
「ここだけは美味しいよ。塩加減いいじゃない」
「あ、本当ですね」
湯で汗をかいた後なので、塩を利かせて茹でた牛の肩肉など最高だろう。ただし、周りを削いで食べるたびに茹でる必要がありそうだが。
「じゃあ、次はこっちね」
と、赤毛の娘が言う。
真っ白い小娘は、待ってましたとばかりだが、ふときょろきょろと見回すと、錬金術師がいないことに気が付く。
「もうっ」
怒ったように言うと炊事場に戻り、眠そうに目をこする錬金術師の手を引っ張って連れてきた。
「私も色々とできるんです。きちんと見てください!」
「ふわああ……料理? そんなもん……錬金術と比べたらお遊びだ、できて当たり前だろ……」
「う~……」
唸る白猫に、赤毛の娘が口を挟む。
「ま、食べたら目を覚ますわよ。自信作なんでしょ?」
「はい。旅の途中でよく作っていました」
狼娘の得意げな笑みはいかにも能天気なものだったが、こちらはずいぶんしっとりとした、落ち着いた笑顔だ。軽々しくなんでもできるとは言わない、慎重な性格の者特有の笑顔かもしれない。これは期待が持てる。
そして、娘は覆いをばさりと取った。
「あらあら、ちょっと心配してたけど、きちんとした料理じゃない」
「おいしそうですね」
そこには、大きな椀に盛られた豆入りのスープがあった。一見質素な修行僧用の物かと思いきや、鶏肉が入っているらしく、金色の脂が浮いて、ニンニクの香りと相まって実に食欲を刺激する。
「どうですか?」
真っ白い少女は、そんな言葉を勝負の相手ではなく、錬金術師に向けている。構ってもらいたくて仕方がない子猫のようだ。
ただ、眠そうに頭を掻いている錬金術師はうるさそうにして、白い少女ではなく狼娘を見た。
「どうやら……ひっく……勝負あったようだな」
「む、ぐ、ぬ……ぬ、ぬしよ!」
狼娘は下唇を噛みしめ、隣の商人の腕を掴んでいる。商人のほうは呆れ笑いながら、すがってくる娘の肩を抱き、慰めるように頭を撫でている。二人の力関係は狼娘が圧倒的かと思いきや、そうでもないらしい。
「あの……食べて、くれないのですか?」
消え入るような声で呟いたのは、錬金術師に邪険にされていた少女だ。錬金術師は、その様子にますます顔をしかめている。いかにも柄が悪そうな男らしく、健気な少女を振り回す横暴な……と思ったのも束の間、嫌そうな顔をしながら、取り分けるための椀を手に取っていた。
もしかしたら、単に照れくさいだけなのかもしれない。いや、照れくさいだけに違いない。なにせ、ちゃんと食べてくれるのだとわかった白い少女が、たちまち嬉しそうに錬金術師の手から椀を取ってよそうのを前にして、苦々しげな顔をしているのだから。
見た目に似合わぬ性格らしい。
「はい、どうぞ」
笑顔で差し出され、圧倒されている。こちらも錬金術師が常に優位、というわけではないようだ。人の関係はわからないものである。
ただ、錬金術師が観念したように口をつけようとした、その時だ。
「んん?」
「あれ……?」
審査役の二人の娘が、怪訝そうに眉をひそめ、首をかしげている。それから、もう一度椀の中身を啜り、やはり奇妙な顔をしている。
「え、あ、あの、ど、どうしました?」
白猫の少女が不安げな顔を見せる。
すると、赤毛の娘が、気遣いながらも、こう尋ねた。
「ねえ、これ、塩はちゃんと入れた?」
「え?」
少女はきょとんとして、それから、おずおずとうなずく。
「はい。旅の時は塩が貴重なので、滅多に入れませんが、今回はたっぷりと入れました」
「……」
赤毛の娘は笑顔の少女からゆっくり目を逸らし、もう一度椀に口をつけ、隣の金髪の娘を見やる。元羊飼いだという金髪の娘も贅沢とは無縁そうではあるが、首を少しだけすくめている。
そこに、にゅっと手が伸びて、狼娘が元羊飼いから椀を奪う。
「どれ、わっちが味を見て……見て……うん?」
ごくりごくりとスープを飲み、行儀悪く肉を指でつまんで噛みしめる。頭の上の三角の耳が、道に迷っているかのように、左右非対称に動いていた。
「むう? わっちゃあ鼻が馬鹿になったのかや」
狼娘が不安そうに言う。
言葉を引き継いだのは、赤毛の娘だった。
「ううん。多分、正しいわ」
「あの……どのくらいお塩を入れました?」
金髪の娘に問われ、白猫が猫らしく体をすくめている。
「え……っと……匙に三杯は……」
「え?」
「あ、わ、あの、ぜ、贅沢ですよね。た、多分、に、二杯……」
「……」
ぼそぼそと答える少女を前に、審査役の二人は顔を見合わせていた。こんなでかい器のスープに匙で二杯の塩など、誤差だろう。
「はーい、この勝負も引き分けー」
赤毛の娘が言った。
「な、引き分けじゃと!?」
「あなたのはそれなりにおいしいけど、中はほぼ生だし、これじゃあ料理とは言えません」
「こちらのスープも、料理としてはとても栄養がありそうですけど……あまりにも味がしないので、ちょっと……」
狼娘と白猫は、二人ともひどく落ち込んでいたが、商人は肉を切り分けて食べては、悪くない、とばかりに頷いているし、いつのまにか錬金術師もスープを飲んでお代わりまでしている。酒の後なので、味がなかろうが気にならないのかもしれないし、さもなくば、気遣いだろう。
「それよりさあ、勝負なんてしてなんの意味があるの?」
赤毛の娘がテーブルに頬杖を突きながら、面倒くさそうに言った。
いきり立ったのは、狼娘だ。
「勝負など別に興味ありんせん! じゃがな、連れをひょーろく玉呼ばわりされては我慢などできぬ!」
「それはこっちの台詞だ。俺の見る目に間違いがあるはずがない。鉛は鉛と釣りあい、金は金と釣りあう。そして、鉛と金のどちらが優れているかなど、問うまでもない。世の真理だ」
「ぐぬぬぬ」
「はんっ」
睨みあう狼娘と錬金術師に、赤毛の娘は呆れたような視線を向けているし、金髪の娘は困ったように笑っている。
なにせ、大真面目な顔で勝負にこだわる理由を言った二人の横で、それぞれの連れが顔を赤くしてうつむいているからだ。
「要するにさあ」
赤毛の娘は、言った。
「あんたたち、自分の連れ添いが一番だって言いたいだけでしょ?」
「「なっ」」
と、二つの声が重なった。
「そういうの、よそでやって欲しいなあ。ただでさえ温泉と蒸気で暑いんだからさあ」
ぱたぱたと手で仰ぎ、赤毛の娘がけだるそうに言うと、金髪の娘が気を利かして麦酒を注ぐ。それを受けて赤毛の娘も酌をして、揃って酒を飲んでいた。
「……」
「……」
テーブルを挟んで睨みあっていた二人は、ひどくいたたまれない様子でそっぽを向きあっている。
そんな二人の手を取って椅子に座らせたのは、それぞれの隣にいる連れだ。
「まだスープありますよ。それとも、お水のほうがいいですか?」
「あ、ああ……?」
「お前、せっかくの良い肉だぞ。あとでまた調理しなおしてやるから、食べられるところだけ食べてしまえ」
「う、うむ……」
どちらもしおらしくなっているし、各々の連れは揃って優しげだ。
赤毛の娘は疲れ切ったような半笑いだし、金髪の娘は微笑ましそうにそんな様子を眺めている。
楽師の音楽が響き、湯船のほうからは楽しげな笑い声が聞こえてくる。
平和な時間が流れていく。
最後に一声、黒毛の犬が吠えたのだった。