一章 ①

 まだ雪の残る細い道路沿い。人気の薄い地域にある衣料店の前に、小さな車が止まっていた。どこか草臥れた雰囲気を身に纏うツシマは、曇天の下で煙草を吹かす。

 吐き出す煙はいつもより重たく、空に舞い上がりもしない。それはまるで彼の心境のようでもあった。

「よりによって、この国でガキのお守りとは、な」

 彼の憂鬱な独り言は、積もった雪の中に染み入って消えていった。その独り言の続きを語るように、待ちくたびれた彼の耳に扉を開くベルの音が聞こえた。

 ツシマは短くなった煙草を捨てて、店の出入り口を見る。そこには品のある白銀の髪に、青い瞳をした少女が立っていた。雪景色がよく似合う色白な少女ホーリーは、どこか不満げに新調した服を確認していた。

 古着の白シャツによれたスカートという服装だ。決して違和感があるわけではない。やや、着丈が合っていないのは、彼女の骨格が細いからだろう。仕方が無い。

 服装に関していくつかの項目を確認するツシマの視線と目が重なり、ホーリーは敵意をむき出しにした目つきに変わる。

「なによ。どこか変?」

 彼女の問いかけにツシマは軽く肩をすくめる。

「問題ない。血まみれの服よりかはいくらかマシになった。乗れ」

 助手席の扉を開き、手招きをするツシマ。彼女はツシマと一切視線を合わさず車に乗り込んだ。ツシマはわざと荒く扉を閉めると大きなため息を吐く。

「これだから子供は嫌いだ」

 改めて苦手意識を確認し、ツシマは運転席へと乗り込んだ。

 二人は昨晩の大捕物があった港から一睡もすることなく車を走らせていた。おかげで追手の姿はなく、どうにか警戒網を抜けた様子であった。返り血や泥、すすで汚れきったホーリーの服を買い換える余裕が出来たのはそのおかげだ。

 隣の席でやっと不快な服を脱ぎ捨てられたホーリーは、窓の外を見ながら小さく吐息を吐いていた。

 雪道を走り、上下に揺れる車内に暖房が効き始めた頃合いでやっとホーリーが口を開く。

「昨日は助けてくれて、ありがとう」

 ぶっきら棒にそう言う彼女は表情を見られないように顔を背けたままだ。ツシマはハンドルを握ったまま「仕事だ」と素っ気なく返した。

「それで、あなたが『嵐の丘』が私の亡命の為に準備したっていう情報師なのよね」

「あぁ。エルバル独立都市のツシマ・リンドウ七等位情報師だ」

 簡潔な自己紹介を聞いて、少女は改めて隣に座るツシマのことを横目に見る。明らかに好意的な視線ではない。ツシマはその視線に乗せられた問いかけに答える。

「なにか、不満か?」

「別に」

 彼が何者かなど興味無いとばかりに言い切り、少女は靴を脱ぎ始めた。彼女はしばらく靴紐と格闘をしていたが、ツシマの視線に気が付いて顔を上げる。

「なに?」

「こちらは名乗った。次はお前の番だ」

 実にまともなことを言われているのだが、なぜか彼女はさらに機嫌を損ねて頬を膨らませる。そして仕方なしと言葉を吐いた。

「名前はホーリー。偽名よ。地方貴族の末子で、色々あってエルバルへ亡命を希望してる。依頼を受けたときに聞いてないの?」

「一応、事実確認だ」

 反抗的な態度のホーリーに半ば呆れつつ、ツシマはポケットから煙草を取り出した。灰色の真新しい箱から一本取り出すと、ホーリーが顔をしかめた。

「煙草は遠慮して頂戴。こんな狭い車で吸われたら堪ったものじゃないわ」

 ツシマは鼻で笑うと、お構いなしにオイルライターを取り出す。

「我慢しろ。どうせ短い付き合いだ」

 そう言い放ち、ライターを擦った。途端に車中に広がる煙草の香り。信じられないものを見たとばかりにホーリーは首を横に振った。

「あなた、情報師よね。脳への血流を悪くする煙草は情報師にとっては厳禁なはずでしょ?」

「詳しいようでなによりだ。だが、煙草程度で支障が出る様な半端者ではない」

 うまそうに煙に燻されるツシマを、ホーリーは汚物を見るような目で睨んでいた。

 彼らの言う情報師とは、世界の人口の数パーセント存在する特殊な能力を持つ人間たちの総称だ。

 情報師は科学的に実現可能な事象であればコードを執行する【傍点、、、、、、、、】ことにより、大抵の現象を発生させることができる。脳内で組み上げたコードは眼球を通して大気中の情報因子へ送られ、様々な現象を引き起こした。眼球の発光現象はその際に起きる特徴的な反応だ。

 彼らの力はかつて魔術や錬金術と呼ばれてきたものであったが、現在では科学的な法則の中で機能していることが分かってきている。

 そういった情報師の力を使う上で、アルコールやニコチンは様々な悪影響を与えた。多くの情報師はこれらを嫌う傾向があるのだ。

 一般的な情報師の常識から外れ、ツシマはくわえ煙草のまま話を進める。

「本来ならお前の受け渡しは明日の予定だったはずだ。一体何があった?」

 ホーリーは靴紐をほどきながら首を横に振った。

「私に聞かれても分からないわよ。こっちだってそのつもりだったわ。でも、気がついたら連中に追われて、あれよあれよと言う間にあの港に追い込まれたのよ。そこへあなたが来た。それだけ」

 脱いだ靴を乱暴に投げ、ホーリーは座席の上で足を抱きかかえる。決して大きくない助手席の上で、容易く足を抱えられる彼女は想像以上に華奢な体つきをしていた。

 小さく鼻を鳴らし、膝に顔を埋めた彼女は僅かに肩をふるわせている。港での一件を思い出しているのだろう。強がってはいても、中身は年相応の少女なのだ。

 ツシマは気持ちの分だけ口調を弱めて続ける。

「連中は第四師団だった。バルガ帝国軍の正規部隊だ。そんな奴らに追われるとは。お前、一体何をしでかした?」

「あなたには関係ないでしょ」

 ホーリーは突き放す言い方でそう言うと、口を噤んでしまった。ツシマは車の窓を少し開けて、ため息と一緒に煙を吐き出した。

 バルガ帝国とは世界三大列強に数えられる大国だ。現存する国家で最も広い領土を持ち、軍事、経済あらゆる面で覇権を争う強国である。

 そんな国から狙われるということが何を意味するのか。それが分からないほど、ツシマも無知ではない。

 ツシマは面倒くさそうに咳払いを挟み、会話を再開する。

「まぁいい。何にしても、お前を亡命させるのが俺の仕事だ。これからの予定だが事前の計画通り、シェルンへ向かう。そこからは鉄道を使って中海沿いの国際港に行く。港からはエルバル行きの国際船に乗り込んで亡命する。分かったな」

「えっと、ちょっと待って。そんな急に言われても困るわ。もう一度言って」

 ツシマが急に大事な説明を始めたので、ホーリーは慌てて身を起こした。そしてサンバイザーに挟まれた帝国全土の地図を見つけて引っ張り出す。

 幾重にも折られた地図を広げて彼女は「確か、今はここよね」と呟いている。

 遠目からでも分かるが、既に出発地点から間違えている。そもそも、地図が逆さになっていることにすら気が付いていない。

 それでも真剣な表情で必死に地図上の地名を探す彼女に、ツシマは肩を落とした。運転席から腕を伸ばして、ツシマは地図の上に人差し指を添える。

「ここが今いる場所だ。バルガ帝国の最北の地。そして、これから向かう先のエルバル独立都市はここだ」

 ツシマの指先が帝国領土の北西から大きく南に向かう。そして地図の一番隅で止まった。彼の指は海を隔てたさらに向こう側を示していた。

 この世界はバルガ帝国を含む多くの国々が巨大な大陸の上に存在している。大陸の中心部には大きな海が存在しており、それを中海と呼んでいた。

 そして中海の中心にある小さな島が、亡命の最終目的地であるエルバル独立都市だ。ツシマはそのままの流れで帝国地図の南端部分を指でたたく。

「国際港はここだ。出国手続きの時には偽造パスポートを使ってエルバルに入国。その後はお前の仲間『嵐の丘』の連中が、暮らす場所も身分も用意してるはずだ。とにかく、順調に事が運べば約三日で終わる」

 『嵐の丘』は今回ツシマに仕事を依頼した反政府組織の名前だ。昨晩の港でホーリーを守るために命を散らしていた彼らも嵐の丘の構成員だった。本来であれば彼らとの間で十分な情報交換が欲しかったが、事情が事情だ。

 ツシマは短くなった煙草を灰皿に押し込み、座席に身を戻す。彼の気配が遠のいてもなお、ホーリーは小難しい表情で地図と睨めっこをしていた。

 そして何か疑問でも浮かんだのか、隣の彼を見つめる。

「あなた、この国の地理に詳しいわね。もしかしてバルガ帝国出身?」

「お前以外の大人は、大抵そのくらいの地図は読める」

「・・・・・・嫌みな大人ね」

 ホーリーはツシマの皮肉を正面から受けて、眉間にしわを寄せた。ツシマはその気配を感じて、真面目に答える。

「この国は初めてではない。むしろよく知ってる方だ。だから迷子にならないから安心しろ」

「別に、地図が読めても迷う時は迷うわよ」

 言葉の節々に棘のある言い方を残し、ホーリーは大きく欠伸を溢した。自らの小さな油断に気がつき、彼女は慌てて口元を押さえる。さりげなく今の様子を見られていないかツシマを見て確認してきた。

 もちろんツシマはその様子をしっかり確認している。彼は小さく肩をすくめた。

「しばらく追手は来ない。少し休め」

「別に、平気よ。少し寝ないくらい」

「夜に追手が来れば休めない。だから今のうちに休め、という意味だ。気を遣ってるわけではない」

 はっきりと突き放した言い方をするツシマ。その態度に彼女は不満げだったが、やはり眠たい様子だ。大きな目を何度か瞬きさせると、おとなしく座席をリクライニングさせた。

 思春期の少女が見せる独特な態度は扱いが面倒くさい。ツシマはため息を吐きたくなる気持ちを堪え、ハンドルを握り直す。

 しかし、ホーリーの態度はツシマの想像を超えてくる。彼女は横になって数秒もしないうちに身を起こした。

「なんだ? 寝心地が悪いのは我慢しろ」

「そうじゃないわ。いや、それもありはするけど。もっと重大な話よ」

 ホーリーの態度に、ツシマは物憂げに彼女を見る。

「あなたのいる隣で寝て大丈夫という保証はあるの?」

 ホーリーはさも当然という表情でそう言った。一体コイツは何を言っているのだ。ツシマはありありと感情を顔に出しながら言い返す。

「それは、どういう意味だ?」

「いや、だって考えてみなさいよ。今の状況って車の中とはいえ、得体の知れない男と密室で二人っきりなのよね。だったらあなたが私に何かする可能性だってあるわけでしょ?」

 ホーリーは育ちの良い乙女らしい過敏さを示して、警戒心をむき出しにする。妙なところが理屈づいているのが余計に面倒くさい。ツシマは馬鹿馬鹿しいと天を仰いだ。

「生憎、こっちもお前みたいな小娘に欲情するほど愚かではない」

 ツシマはホーリーを安心させるつもりで言った台詞だった。だがそれが裏目に出た。

 ホーリーは自分に魅力がないと断言された上に、小娘と馬鹿にされたと二重の意味にとらえたらしい。頬を赤らめて言葉を詰まらせた。

「わ、私だってあなたが思うよりちゃんと!」

 何かを口走りそうになった彼女を手で制して、ツシマは呆れて首を振る。

「それ以上はいい。お互いに聞いたことを後悔する前に、おとなしく寝ろ」

 ホーリーは自分の胸元を手でさすりながら、奇妙な敗北感を漂わせる。別にツシマとしてもそこまで彼女をけなす気は無かったのだが、時すでに遅しだ。

 無駄な精神ダメージを負った彼女は静かに座席に横たわった。それから少し間を置いて彼女が何やら呟く声が聞こえてくる。はっきりとは聞こえてこないが、恨み節を呟いている様子だ。

 ツシマは静かに車のラジオをつけて聞かなかったことにする。状況にそぐわない気楽なカントリー音楽が流れる車内に、彼女の寝息が聞こえ始めたのは数分もしないうちのことだった。

刊行シリーズ

汝、わが騎士として2 皇女反逆編Iの書影
汝、わが騎士としての書影