一章 ②
ツシマは数時間ほど車を走らせた先で、牧草地の奥に家屋の姿を見つけた。日の陰り始めた農道に車の進路を向けると、車の振動の変化にホーリーが目を覚ました。
彼女は眠たげに目をこすりながら身体を起こすと、何もない窓の外を見渡す。
「なに? どこに行くの」
「今晩の宿を見つけた」
「宿?」
何もない牧草地を見渡し、ホーリーは首をかしげている。しかし、進んだ先で廃墟を見つけた彼女は絶句した。
「え? まさか、宿ってここじゃないわよね?」
「そのまさかだ」
廃墟の前に車を寄せると、口を開けたまま建物を見つめるホーリーを残して、ツシマは先に車を降りた。
バルガ帝国に合併されて間もない北部地域では、こうした廃墟は珍しくはない。未だに侵略戦争の傷跡が多く残っている場所なのだ。うんざりさせる戦争の名残を見上げ、ツシマは廃墟に歩み寄る。
玄関先には鬱蒼と草が生えているが、見た目に反して柱などの造りはしっかり残っていそうだ。雪の降るこの辺りで潰れていないのであれば、一晩の宿には問題ない。
家を一通り眺め終えたツシマは、今度は追手の気配を確認する。周辺を見渡し、彼はホーリーに安全を告げた。
「大丈夫だ」
助手席でいかにも降りたくないという表情を浮かべるホーリーは、目の前の空き家を見上げて呟く。
「ねぇ、少し遅くなってもいいから、ちゃんとした宿に泊まらない?」
「帝国の正規軍が動いている。下手に町の宿を使えば、すぐに足がつく。そんなときは廃墟が一番使い勝手がいい。そういう判断だ」
「使い勝手とか、そういう話じゃないんだけれど」
未だに不安げに助手席から降りようとしないホーリーに、ツシマはさらっと告げる。
「野宿よりかは、ずっとマシだ」
「比較対象がおかしいわよ。比較対象が」
ぶつくさと文句を言いながらも、ホーリーは渋々車を降りた。足元の草を踏みしめながら、ツシマの後ろにぴったりとくっついてくる。
廃墟の中は思っていた以上に綺麗で、幾つかの家具も残されていた。軋む床板の上を歩きながらツシマは天井から床までくまなく観察していく。
「想像よりもいくらかはマシね」
ツシマの背中に隠れるように恐る恐る歩くホーリーが、言葉だけは強気に言った。
リビングに残されていたソファを指さしてツシマはホーリーに言う。
「あそこで休んでろ。俺は他の部屋を確認してくる」
「嫌よ。こんな薄気味悪いところに一人にしないで」
ホーリーは食い気味に言い返してきた。確かに外は西日の射す夕方だ。室内は目をこらさないと見えないほどの薄暗さである。薄気味悪いと言われれば確かにそうだった。
ホーリーはつんけんとした態度ではあるものの、明らかに怯えている。
ツシマは仕方なくホーリーの手を取った。そして自分の背中を掴ませる。
「別に何もないとは思うが、傍を離れるな」
「わ、分かってるわ」
お化け屋敷にでも来ているのか、というほど怯えるホーリーを連れてツシマは一階と二階の確認を終わらせる。扉を開くたびに目をつむり「開ける時は合図して!」と過敏に反応するホーリーは正直邪魔だった。
やっと全室を調べ終えた二人は、はじめのリビングに腰を落ち着けた。すっかり外は夜の暗さに浸っている。
ツシマは寝室から見つけてきた毛布をホーリーに手渡した。
「ありがとう」
素直にそう言い受け取ったホーリーは大きく身震いを一つして、ソファの上で体を小さく丸める。ツシマは月明かりの漏れる窓際に陣取り、外へ神経を向けた。
そんな彼の背中を見つめながら、ホーリーは少し心配げに声をかけてくる。
「ねぇ、あなたも少しは休んだら?」
「大丈夫だ。必要なときに休む」
「そう言って、もう丸一日以上寝てないじゃない。いざというときに倒れられても困るんだけれど」
これはホーリーなりの気遣いなのだろう。ツシマはそれに気がついていながらも、姿勢を崩さなかった。
「敵がこちらの位置を把握しているのであれば、仕掛けてくるのは夜だ。一度は正面から戦って負けている。次は奇襲戦に切り替えてくる可能性が高い。夜の闇は奇襲に最適だ」
「用心深いわね」
「そういう仕事だ」
ツシマはまるで他人事のように言うとホーリーへ視線を向ける。すると意外にも、彼女は敵意のない表情をしていた。何かを思い出すような、そんな遠い目をしている。
少し油断のある、少女らしい儚さを纏ったホーリーの表情。その顔つきが、どうしてだかツシマの記憶の中にいる彼女【傍点、、】を呼び起こさせた。
顔つきも、性格も、どれを取っても似ていないはずだ。にもかかわらず、なぜだか頭をよぎった少女の姿がホーリーに重なり、ツシマは小さく舌打ちをした。
ツシマの心情を知りもせず、ホーリーは少し気を緩めた声色で話しかけてきた。
「ねぇ、ちょっと聞いてもいい?」
ツシマを窺うように彼女はそう切り出す。ツシマは窓の外を見たまま頷き返した。
「あなた、情報師としては七等位って言ってたわよね」
「あぁ。国際基準で七等位だ」
「それ、嘘でしょ。七等位なら情報師としては凡庸なはず。あなたは明らかに違うわ」
ホーリーは不満げに下唇を突き出した。なにやら嘘を吐かれていると感じている様子だ。ツシマは事実だけを淡々と答える。
「これより上の等位試験は受けていないし、受けるつもりもない。そもそもエルバル独立都市の情報師は、独立戦争に参加した奴も多い。この国にいるような実戦経験の浅い連中よりかは腕が立つ」
「あなたも、その実戦経験者の一人ってこと?」
「そうだ」
どうやらホーリーもその説明で納得したらしく「ふぅ~ん」と軽い口調で相づちを打っていた。
情報師には能力に応じて『等位』という順位付けがされている。一から十までの等位は絶対評価による格付けがなされ、数が大きいほど上位を意味している。ボリュームゾーンは五から七までで、八等位より上位となると実力がある情報師とみなされていた。
だが近年、十段階評価では位置づけられない情報師が生まれ、十一から十三までの相対比較で格付けされる『格外等位』というものが規定されていた。
格外等位は、情報師の中でも人知を超える能力を持つ者にしか与えられない称号だ。最高階級である十三等位など、世界にたった二人しか存在していなかった。
「私の見立てだと、あなたは九等位くらいの実力はあると思うのだけれど」
そう口にしてから、彼女は更に付け加えるように口を動かし続ける。車の中にいたときとは打って変わり、彼女はよく喋った。
「情報師は科学で成しえることであれば、ほとんどの事を単独で実現できるって話でしょ。逆に言えば科学で解明されていない事は出来ないはず。あなたの技はちょっと現実離れしてるように見えたから、そこそこ腕が立つのだと思ったんだけれど?」
「妙に詳しいな。バルガは反情報師派の国だと思っていたが?」
「このくらいは基礎教養の範囲じゃない? まぁ、私にも多少の事情があるってのはそうなんだけれど」
ホーリーはお喋りの余韻を残しながら、肝心な部分には触れないように言葉を濁す。その気配を感じて、ツシマはあえて話の深掘りを避けた。
「情報師も科学的根拠があるなら何でもできるという訳ではない。個々人の技量と、コード【傍点、、、】を作るセンスがなければ何もできないからな」
「コード?」
ホーリーは少し困ったように聞き返してくる。どうやら、彼女にはどこかで聞いた情報の寄せ集め程度の知識しかないようだ。
ツシマは自分の口から出した言葉の手前、仕方なく説明をする。
「コードは脳内で構築する呪文のようなものだ。事象の科学的なメカニズムを解釈した上で、どのように運用するかをコードという形で頭の中にしまっている。公開されているコードもあるが、ほとんどの情報師は独自のコードを保有している。そいつの構築がシンプルなほど執行の時間は短くなり、負担も少なくなる。だからコード作りにもセンスがいる」
「へぇ~。そういうものなのね」
いったい、感心しているのか馬鹿にしているのか。ホーリーは間抜けな声を出しながら、平然と欠伸をかみ殺した。ツシマは彼女の様子を観察して、眉を寄せる。
「眠いならさっさと寝ろ」
「良いじゃない。もう少しだけ、話をさせて。今、寝ると嫌な夢を見そうだわ」
ホーリーは遠くを見つめるように眼を細め、ソファの上で寝返りを打つ。
確かに悲惨な一夜はついこの間のことだ。こうして彼女がやたらと喋るのも、不安の裏返しなのかもしれない。多少は付き合ってやるのも、心のケアの一環だ。
ツシマはホーリーへ目配せして、話すように促した。
「あなた、この国は初めてじゃないって言ってたわよね」
「あぁ。仕事で何度か来たことがある」
「それっていつのこと?」
一歩、踏み込んだ質問にツシマの表情に険がさす。だが、薄暗い部屋の中では彼の表情は見えなかったのだろう。ホーリーの他意のない瞳が、まっすぐにツシマを射貫く。
久々に見る純粋な瞳に、ツシマは感傷的な気分が湧き上がってくるのを感じる。一度蓋をした記憶から立ち上がる、かぐわしい香りだ。
自分を惑わせるその感情を消すために、ツシマはおもむろに煙草へ手を伸ばす。しかし、彼の思惑とは逆に煙草から立ち上がる煙は、ずるずると彼を過去に引きずり込んでいった。
きっとこの状況が昔を思い出させるのだ。そうでもなければ話すはずもない事を、ツシマは語り始める。
「十年以上も昔の話だ。この国に住んでいたことがあった。いわゆる傭兵稼業で帝国の言いなりに、あちこちの戦場を渡り歩いた。その時もこうして廃墟で寝泊まりしていた」
ツシマは瞼の裏に浮かぶ過去の記憶を思い出す。今まで様々なことを経験してきたが、それらの始まりは全てこの国での暮らしが基礎にあった。
人とのかかわりの作り方、情報師として生きていく術、敵の殺し方。
子供が身に付けるにはとても血生臭く、生々しいことを平然と覚えていった。そうでもしなければ生きていけない環境だったのだ。
「十年以上前ってことは、ジャバル奪還戦の頃よね?」
「あぁ。その戦争にも参加した」
「もしかして、エルバル独立戦争にも?」
「まぁ、そうなるな」
ツシマは曖昧に返事をした。
ジャバル奪還戦とは今から十二年前に、バルガ帝国内で情報師と政府の間で起こった大規模な内戦だ。情報師率いる反乱軍が一時優勢となったものの、最終的には反乱軍の内部に潜んでいた裏切り者によって空中分裂、大敗を喫することとなった。
生き残った情報師たちは国内外に潜伏し、四年後に再結成することになる。それが世界を相手に情報師の独立を求めて争った、エルバル独立戦争だった。
その経緯から、ジャバル奪還戦は、独立戦争の前哨戦と位置づけられる大きな戦争として歴史に名を刻んでいる。
「実戦経験って、そういう事だったのね」
ホーリの言葉が暗い部屋の中に、そっと呟かれた。ツシマは自嘲の笑いを浮かべると肩をすくめる。
「俺の世代では珍しくない話だ」
「生まれもこの国なの? 家族は?」
「俺は戦争孤児だ。生みの親も知らなければ、生まれの国も知らん。ただ、姉のような人はいた」
ツシマは自分で口にしていながら、心に刺さる小さな棘の痛みに気が付いた。替えの利かないほど大切なものであり、同時に思い出したくもない記憶が蘇ってくる。
きっとツシマの感情が表情に露わになったのだろう。ホーリーが気を遣うように、優しい口調で声をかけてくる。
「大切な人、なのね」
彼女はそう呟くと、胸元の何かを握りしめる。ツシマは彼女の様子を流し見て、静かに息を吐き出した。
「そうだったのかもしれない。だが、今ではもう分からない事だ」
「自分の事でしょ。どうして分からないのよ」
「その記憶は忘れたことにしている。思い出すには・・・・・・辛い記憶だ」
ホーリーは黙り込んでしまった。彼女も薄々だが、ツシマの言葉遣いの裏にある意味に気が付いていた。
「ごめんなさい、余計なことを聞いたわ」
毛布の下から気まずそうな視線を見せるホーリーが、弱気に小さく言う。ツシマはいつも反抗的な彼女が見せる素直な謝罪と態度に、思わず頬を緩めた。
「別にいい。こんな事でもないと思い出せなくなった記憶だ」
「そう。でもそれって、ちょっとだけ寂しいわね」
「何がだ?」
「だって、大切な人の記憶も、だんだん消えてしまうってことでしょ? なんだか切ないわ」
まるで何か自分の心の中にある思い出と重ねるようにホーリーは口にする。センチメンタルな話は嫌いだ。ツシマは煙を吐き出して、感情とは無縁な口調で返す。
「忘れることも大事なことだ。辛い記憶ほど、将来に響く」
「経験者は語るってやつ?」
「さぁな」
ぶっきらぼうに返したツシマの姿を見て、ホーリーは表情を和らげた。それから部屋の天井を見上げると、悲しげな目つきをする。
「つらい記憶を早く忘れてしまいたい時って、どうしてる?」
「なんだ。失恋でもしたのか?」
「そうじゃないけど」
茶化すように言ってくるツシマに、湿り気のある視線を向けたホーリーは小さな頬を膨らませる。それからやや真剣味を帯びた表情に戻った。
「私にだってつらい過去くらいあるわ。あなたほどじゃないかもしれないけれど」
決してその過去について話をする気はないのだろう。ホーリーは毛布に首まで潜ると、ツシマにも聞こえるくらいの大きなため息をついた。
「そもそも失恋の一つや二つでこんなに悩まないわよ」
「年頃の子供はみんな恋煩いで悩むものだ。同類かと思ってな」
「それこそ、経験者は語るってことじゃないの?」
ツシマは咥え煙草のまま、しばらく窓の外に視線を固定する。そして、黙って煙を吐き出した。微妙な沈黙に、ホーリーはにやりと笑みを浮かべる。
「図星ね」
「そういう時期は誰にでもある」
先ほどまで眠たげな表情をしていたはずのホーリーだったが、急に身を起こして表情を明るくさせた。少女は恋の話に敏感なのだ。
明らかに放たれる乙女の気配に、ツシマは面倒くさそうな表情をする。
「あなた、パートナーはいるの?」
「それを聞いてどうする」
「ただの興味よ。いいじゃない。こんな廃墟にいるんだもの。少しくらい浮ついた話でもしないと気分が落ちる一方だわ」
確かに、今日一日のことを考えると多少の息抜きはあってしかるべきだ。ツシマは珍しくホーリーの言い分に押し切られる形で苦々しい顔を作った。
「仕事も私生活も、一人の方が都合がいい。子供のお前には分からない話だ」
「へぇ~。独り身なんだ。顔は悪くないのにね。まぁ、問題は中身ってことかしら。分かる? な、か、み」
ホーリーはここぞとばかりに仕掛けてくる。ツシマは何も言えず、咥え煙草のまま彼女を睨んだ。
「何よ。こっちも親切心で言ってあげてるのよ? もう少し優しさを見せれば、モテるんじゃないってアドバイスしてるの」
「余計なお世話だ」
ツシマは短くなった煙草をもみ消し、ホーリーへ歩み寄る。そして毛布をつかむと無理矢理彼女の頭から覆い被せた。
「さっさと寝ろ。明日も早いぞ」
短い悲鳴を上げたホーリーは、毛布の隙間から目元だけをのぞかせてツシマを見上げた。
勢いでお茶を濁そうとするツシマの姿を観察して、彼が本気で怒っているわけではないと分かったらしい。毛布の下で小さく笑う。
「あなたの事が少し分かったような気がするわ。話してくれてありがとう。ツシマ」
表情を見られないように背を向けたツシマに、ホーリーはそう言った。
ただの雑談をしただけで礼を言われるとは思ってもいなかったツシマは、居心地悪そうに顔をしかめて新しい煙草に手を伸ばす。
廃屋の外ではどこからともなく鳥の声が聞こえていた。