黒夜と違って派手な物理現象が起きているようには見えない。だが彼女の周囲の窒素は確実に制御下に置かれていた。ライフル弾程度の衝撃なら、三六〇度どの方向からでも確実に防御する『窒素装甲』である。
彼女達の共通点。
『暗闇の五月計画』。
学園都市最強の超能力者の演算方法の一部分を意図的に植え付ける事で、能力者の性能を向上させようというプロジェクト。
個人の人格を他者の都合で蹂躙するその計画は、ある意味において、確かに二人の少女へ力を与えていた。
ただし、その力は同類であっても同種ではない。
演算方法の理想モデルとされた第一位。その精神性の『どこを切り取り、どこを植え付けるか』によって、その能力の細部に変化があったのだ。
片方は攻撃性。
片方は防護性。
共に『空気中の窒素を操る』大能力者でありながら、黒夜海鳥と絹旗最愛の間には確かな区別があった。
故に、か。
それとも、精神を変質させられる前から、傷を舐め合う思考に持ち合わせがないのか。
悪夢のような実験を乗り越えた二人は、会話で物事を解決に導こうとしたり、暴力を振るう事にためらいを見せるような雰囲気は抱いていなかった。
ただ真正面から叩き潰す。
己の目的の障害となるべき人物を、完膚無きまで。
ゴッキィィィィン!! という轟音が炸裂した。
絹旗と黒夜が正面から突撃し、空気中の窒素を凝縮させた攻撃を放った音だ。
だが攻撃性なら黒夜の方が上。
右手と左手。双方から飛び出した窒素の槍は、絹旗の腕の隙間をかいくぐり、胸と腹の中央へそれぞれ正確に突き刺さる。
徹底的な指向性によって、戦車を前後に貫けるとまで言われたその攻撃。
しかし、直撃したはずの絹旗は、わずかな呻きを上げただけで、直後に笑みを作った。
「……防護性なら私の方が超一流です」
『窒素爆槍』が真横に弾かれる。
同じように、窒素の塊で保護された絹旗の拳で。
そこから先は、連打の嵐だった。
「絹旗ちゃーン!!」
片方は槍。片方は拳。それだけ見れば、有利なのは断然黒夜だ。絹旗の力は強固だが、それは拳から数センチの範囲しかない。対して黒夜の槍は三メートル。純粋なインファイトがガトリング砲に匹敵する結果を生み出す絹旗の拳だが、黒夜の槍は小型巡航ミサイルの連射に近い。その最大級の出力を出した一撃は『貫く』のではなく『爆砕』を生み、それが連続して標的を地形ごと瓦礫の山に変える。そもそもの設計段階からして、攻撃性で黒夜に敵うはずがない。
しかし、
「超お可哀そォに」
自動車を一〇秒でスクラップに変える拳を放ち続けながら、絹旗は鼻で笑う。
「初撃で私を殺せなかった時点で、すでに勝敗は超決まっています。私の防護は三六〇度、私の意思に関係なく自動展開されます。装甲を超貫けないのであれば、何度振るっても無意味。どンな手を使っても、どンな角度から突き入れても、あなたは私の超柔らかい目玉に傷をつける事すらできませン。……大量の窒素を使って標的を貫くそのやり方は普通の鋼板程度なら濡れた紙のよォに引き裂くでしょうが、同じ窒素を使う私の壁とは相性が超悪いですし」
一方で、
「あなたは攻撃性には超優れていても、防護性は全く考慮していない。全ての力はその両手に超集約されています。体のどこに超当てよォが、一発でももらえば生身の肉体などひしゃげてしまう。どちらが有利かなど超問うまでもありませン。……多少劣っていよォが何だろォが、私の手は必ずあなたに超届く」
分かっていて、なお止めない。
あらゆる攻撃をあらゆる方向から受けても致命傷にならないのなら、手を止めても安全であるはずなのに。
目の前の敵を粉砕するため、絹旗最愛は容赦をしない。
「ひっはは。変わってないねェ、絹旗ちゃンよォ」
「あなたは何か超変わったンですか」
「変わったさ」
二本の腕を振るう、それだけに特化した黒夜は、しかし嘲るように笑った。
「変わって変わって変わったさ。絹旗ちゃン。むしろ、私はまだアンタがそンなトコに留まってるのが不思議でならない。あったはずだ。変わる機会はいくらでもあったはずだ。なのにどォして変わらない? どォして能力者は能力を使って戦うなンて基本中の基本から抜け出せていない?」
「……、」
「能力者の秘密は能力だけだと思ったか? どンな能力を持っていて、どンな特徴の攻撃方法があって、どンな弱点があるか。それさえ分かれば決着がつくとでも思ったか? そいつァ古いね。世代が違う。もォ一度言うよ、絹旗ちゃン。アンタはその気になれば、いつでも変われたはずなンだ。私みたいになァ」
一瞬、絹旗は黒夜が能力以外の兵器……例えば拳銃や爆弾などを併用するかと警戒した。
それはある意味において正しく、ある意味において間違っていた。
結果はこうだった。
白いコートに張り付いていたイルカのビニール人形が、爆ぜた。
中から出てきたのは、大量の腕。
それらは黒夜の体を伝い、右上半身へと次々に接続されていく。
手といっても、それは赤子のように小さく、ある意味でバランスの歪なものだった。だが腕の長さは一メートルほどもある。質感はビニールなどの石油製品に近いか。本来硬いはずのマネキンが、球体関節などに頼らず滑らかに動いたら、こんな風になるかもしれない。人のような肌色で、作り物のような光沢で、硬く、滑らか。矛盾した項目をそのまま実現させてしまっている。
歪んだパイプのようにも見える十数もの腕は、まるで黒夜の意思に従うかのように、一斉にその小さな掌を絹旗に向ける。
もちろん生物的なものではないだろう。
そして同時に、絹旗は思い出す。
黒夜海鳥は、掌から窒素の槍を自在に生み出す能力者だと。
ゴッッッッバッッッ───ッ!!!!!! と、衝撃波の域に達する爆音が発せられた。
大量の『窒素爆槍』が生み出され、それがさらに一点へと収束された。莫大な破壊力を帯びた透明な槍は、思わず顔の前で両腕を交差させた絹旗の体を、数メートルも後方へ押し流した。
ニットでできた袖が破けるのを絹旗は確認する。
わずかにだが、彼女の『窒素装甲』が貫かれている。
「義手……駆動鎧……いや、超違う。それは……ッ!?」
「一定の水準を超えたサイボーグは駆動鎧と変わらないって事さ、絹旗ちゃンよォ。逆もまた然りだが」
ギシギシギチギチ、と十数の細い腕を蠢かせる黒夜。
完全なチューブではなく、内部に短い骨が何本も接続されているらしい。それが、まるで複雑骨折した歪な腕を無理矢理動かしているかのような嫌悪感を与えてくる。
「って言っても、未だに金属加工で人間を作る方法なンざ確立できちゃいないンだよねェ。結局、最後は生物の力を借りる訳よ。ミクロ方面は細菌やバクテリアの力を使った方が精巧な部品を作れるからさァ。イースト菌を使わずにパンを作るのがどれだけ大変かって話だよ」
「人の作、る……超、能力を、補強する、機械……ッ!?」
「つい最近、世代が更新したンだよ。サイボーグそれ自体は例の『木原印』で研究されていたよォだが、そこからもォ一段階進ンだ訳だ」
嘲笑う声。
これらの技術が、確立はしても一般には出回らない理由は明快だ。
あまりにも、歪み過ぎる。
この街の腐り切った上層部でさえためらうほどに、社会が急激に変動しすぎてしまう。