>>一二月二四日、午前〇時〇〇分
>>東京西部、学園都市、第七学区駅前繁華街
三枚羽根のプロペラがぐるぐると回っていた。
この街ならどこにでもある風力発電のものである。
横殴りの雪が襲いかかる深夜の街を、総勢二〇〇人近いサムライ達が歩いていた。
「それにしても、何がクリスマスよ。こんなのブラック過ぎるわ……」
失礼、厳密に言えば名門お嬢様学校常盤台中学のキラキラお嬢達であった。そんな一角、ブレザー制服の上から分厚いダッフルコートで身をくるんだ御坂美琴(生脚)は唇を青くしながら、どこか遠い目をしていた。雪の夜に生脚だからかもしれない。生の脚だもの。
「死ぬわ、これ。普通に死ぬ」
「お姉様。気を強く保たないと本当に向こう岸へ辿り着いてしまいますわよ」
イヴだっつってんのにアジアンなたとえが抜けないのは、傍らを歩いているツインテールの後輩、白井黒子である。
誰もが浮かれるクリスマスイヴがやってきた。一時期海外ニュースで巷を騒がせた、デジカメを見つけたら勝手に自撮りを始める森の動物だってこの環境に放り込めば楽しむ事を学ぶだろう。だというのに明かりの一つもなく、水たまりが凍りつくほど寒くて、そしてお嬢様方は色も味もない学校行事に明け暮れていた。
夜空をゆっくり流れている飛行船のお腹に張り付いている大画面はこう語っている。
二四日の天気は全体的に晴れますが、始まりと終わりの深夜帯はそれぞれぐずつくかもしれません。予想最低気温は氷点下五度。わあ、もしかしたらホワイトクリスマスが期待できるかも!
「もう降ってるわよ、凍って死ぬ」
「死という単語からいったん遠ざかりましょうお姉様。イヴはもう始まっているのですから」
そう。
雪が降ったからどうだと言うのだ。歴史と伝統ある名門校にとって、クリスマスとは『厳かで』『静粛で』『清らかな』日付でしかない。浮かれ気分などどこにもなかった。野外特別奉仕活動、すなわち街のゴミ拾いの真っ最中である。二四時間耐久ウォークラリーの変種だと思っていただければ幸いだ。カンペキ義務教育の範疇を超えている。
隣を通り過ぎていくドラム缶型の清掃ロボットがいつもよりうるさい音を出していた。おそらく融雪用に、ドライヤーに似た温風を地面に当てる機能が追加されているのだろう。……溶かすのは良いが、そのままにしておくとかえって路面が凍りそうではあるのだが。
パン屋さんにあるのとは似て非なる、ゴミ取り用のトングで地べたに落ちた何かを掴む。積もり始めた雪が織りなす凹凸のせいで清掃ロボットのセンサーが見逃してしまっているのだろうか。摘んでみればクリームパンのビニール袋だった。しかも食べかけのままのパンが入っていて、白と黄色の中間くらいの色合いのクリームがぐにゅっとはみ出ている。最悪であった。燃えるゴミ燃えないゴミでなく、ナマがやってきた。こればっかりは一二月の寒空に感謝だ。凍っていなかったらもっとひどいビジュアルになっていたはずだし。
分別は後で行う。サンタクロースと違って夢も希望もないごみ袋に戦利品を放り込みつつ、美琴はため息をついていた。
「ぐのー。別に常盤台はミッション系とかじゃないのに、どうしてこう、あちこちからツギハギのようにレアリティやステータスを注入しようとするのかしら」
「……それを言ったらそもそも海の向こうからやってきたクリスマスというイベントそのものを否定する事になりかねませんけれど」
「学園都市って基本的に科学信仰の権化でデジタルな無神論じゃなかったっけ」
「それ以上ゆったらイヴ中止にして帰りますわよ」
「テメどっちの味方だよ!?」
「女の園で目一杯カラダを温め合う側に決まっているでしょう!? 具体的にはお姉様と!!」
返しがぶっ壊れているので論点がズレてしまいそうだ。
しかし御坂美琴にとってこの危機は最大のチャンスでもあった。彼女とて、年に一度のこの日を刑務所みたいな灰色の行事で平坦に潰されていくなんて真っ平御免である。
全校生徒が一度に外へ出ているのだ。
迷子のふりを装ってはぐれるなら今しかない。
ふと、背筋を指先で縦になぞられた。
耳元でそっと囁かれる。
「(みさーかさん☆)」
気がつけば真後ろに誰かが張り付いていた。ここで振り返るほど美琴は愚かではない。ガラスのウィンドウへ目をやれば、長い金髪の少女がさり気なく密着している。
食蜂操祈。
学園都市第三位の美琴に対する第五位の超能力者。精神系においては最強の『心理掌握』の使い手である。
声には出さず、美琴はウィンドウに目をやったまま唇だけを動かした。
「(……アンタの『心理掌握』があれば先生達なんて簡単に洗脳できるんじゃあ?)」
「(そんなの向こうも把握済みよお。艦砲クラスの火力を持った思春期女子を素手で叩きのめす先生方のアクセサリーにご注目。胸元のネクタイピンに二ミリのカメラレンズ、あるいはメガネが丸ごとモバイルグラス。人間の目と機械の目を併用して死角力を潰しに来ているわ)」
よっての共闘。
常盤台の先生は、あの少数で強大な能力者の集団を御する術を構築している。力のゴリ押しが通用すると思っているほど御坂美琴も甘く見てはいない。
機械に強い美琴と精神に強い食蜂。普段は犬猿の仲であるお嬢二大トップが手を結ぶには相応の理由というものがあるのだった。
「(それにしても、御坂さんてば迅速ねえ。とっとと逃げ出したい私達にとってはオトナの先生達よりも『空間移動』を使うカタブツ風紀委員ちゃんの方がおっかないし。早めに首根っこ押さえてくれて助かるんダゾ☆)」
「……、」
「(なあに、まさかここまできて罪悪感でも湧いてきたの? 言っておくけど、私も派閥の子は置いてきたわ。どう考えたって集団行動は速度の遅延と悪目立ちしか生まない。情にほだされれば失敗して、みんな揃って廊下で正座の灰色力全開のクリスマスが待っているわよお)」
分かっている。
分かってはいるのだ。
しかし隣で鼻歌を歌いながら上機嫌で歩いている白井黒子には何の罪もないではないか。彼女は彼女なりに、ルームメイトの美琴と楽しくクリスマスを過ごす段取りを決めているのかもしれない。それを無碍にするのが本当に正しい行いか。自由と義理の間で揺れる美琴がチラリと隣へ目をやると、こちらに可憐な横顔を見せる後輩は口の中でこう呟いていた。
「うへへ年に一度の特別な日はお姉様と二人きりええそうですとも先生方は厳戒態勢を敷いて学生寮からの脱走を防ぐはずですから私が何もせずとも疑似監禁状態が成立しますわイヴとクリスマス当日、四八時間にわたってお姉様は私だけのもの誰の目にも入らない秘密の密室で何がどうなろうが外から邪魔が入る恐れは一切ないのですつまり愛しのお姉様を縛り上げて床に転がして目隠しとヘッドフォンとさるぐつわで五感を奪い特製オイルをたっぷりと使ってうふぐふへ大人の階段どころか人間辞めちゃう×××の壁をどばーんと突き破って
「食蜂、今すぐゴー」
途中で遮るように美琴は宣告した。
直後に後ろで張り付いていた食蜂操祈が肩に掛けた小さなバッグからテレビのリモコンを取り出し、何も知らない(妄想まみれの)白井黒子の後頭部に軽く押し当てる。
音もなくスイッチを押すだけで、栗色ツインテールの頭がわずかにブレた。
精神系では最強。
しかしあまりにも応用の幅が広過ぎて自分でも制御が難しいため、テレビやレコーダーなど各種のリモコンを自己暗示めいた『区切り』として取り扱う、食蜂操祈の『心理掌握』。
当然ながら、
「おいっ」
金髪少女がバッグに手を伸ばした時点で、『能力の詳細を知っている』引率の女教師にも緊張が走った。彼女は強い声で、反射的に呼び止める。
「白井、どこでそんなリモコン拾った? レコーダー本体は投棄されてなかったか!?」
「はい?」
リモコンに注目したが、論点がズレている。