行間 二

 そこはだった。

 外の様子が見えないというのは、それだけで一般の時間の流れから切り離されているようでもあった。この部屋の内部だけを映せば、今が一二月二四日である事など誰にも分からないだろう。それどころか、夏か冬か、昼か夜かの区別すらつくまい。

 そんな中にえて身を沈める怪物がいた。

 学園都市に七人しかいない超能力者レベル5の中でも、他を圧倒する正真正銘の第一位。

 それでいて、統括理事長という権力の座すら我が物としたモンスター。


「皮肉だよなァ」


 白い怪物は、鼻で笑っていた。

 かわを、ではなく、自分自身を。

 思えば昔からそんな人間だった気がする。誰からも最強と見上げられ、恐怖の対象として頂点に君臨しながらも、いつでもその心を支配していたのは疎外感とけんだった。だから、あのがかっちりとはまったのかもしれない。はたから見れば奇妙な二人組であっても、彼らにとってはそれがこの上なく自然な形だったのだろう。

 そんな少女はここにいない。

 空気に流れはなかった。ただただ重苦しい閉塞感だけが場を支配している。

 つまりは、


「世界の全てを手に入れたっつっても過言じゃあねェのに、わざわざ自分で選ンだ場所はこンな石室だ。人間ってのは持てば持つほど自由から遠ざけられちまうのかもな」


 対面の席につく事を『許された』黒スーツのかわあいは、しばらくの間この怪物と言葉を交わしていた。費やした時間は決して短くないが、しかし苦を覚えている場合ではない。逆に一言二言しか許されない方が恐ろしい。彼女の表情は決して明るいものではない。統括理事長の言葉は学園都市二三〇万人の運命を直接的に左右し、さらには科学技術の総本山として世界全体七〇億人以上の生活まで揺さぶってしまうのだから、当然と言える。

 科学技術に『絶対の正解』なんかない。

 例えば自然分解されないマイクロプラスチックをかつのように嫌うのは結構だが、そのために全く同じ量の紙のストローやカップを大量生産したらアマゾンの熱帯雨林はまたたに消滅していくだろう。正しい事を言えば憂いなく正しい未来へ進める訳ではない。ゆがむのだ、世界は。この新統括理事長がまぐれに言った一言だけで簡単に歴史のレールは切り替わってしまう。右から左へと、いともあっさりと。しかも行き着く先に待っているのは、プラスチックで埋まった海か砂漠と化した大地か、だ。正しい事を言えば正しい未来へ進める訳ではないのと同様に、目の前の間違いさえ回避すれば一つも間違いのない未来へ行ける訳でもない。

 世界を操る者と対話をしている。

 望む望まざるにかかわらず、かわあいは神々のゲームに参加させられている。

 犯罪をなくそう、病気をなくそう、事故をなくそう、災害をなくそう、戦争をなくそう、悲劇をなくそう。

 誰でも思いつく言葉だが、それを言い放ったが最後、怪物の矛先がどう動くのか、そしてそれが広い世界全体へどんな風に影響を与えていくのかは絶対に考えなくてはならない。この席につく以上は、知らなかったでは済まされないのだ。

 決められたカードの中から、一枚を選ばせるのではない。

 テーブルには存在しない新たな選択肢を、新統括理事長という怪物の頭からひねり出させる。誘導するならそれくらいの覚悟が必要になってくる。

 そういう意味では、


(……確かに、こいつの選択は極大じゃん)

「本当に、じゃん。それで良かったのか?」

「何が」

「正直、他にもやりようはあったと思う。アンタのやり方は正しいかもしれないけど、どう考えたって悲劇の発生を前提としているじゃんよ」

「笑わせるぜ」

「少なくとも、聞いていて楽しい話じゃない!」

「ならどォする?」


 怪物は小さく笑っていた。

 口元はそのまま音もなく裂けて、三日月のように広がっていく。


「俺を止めてみせるか。今ならサービスで、オトナの権限は封印してやったって構わねェがよ。だから、それで、オマエに何ができる? ガキの世界まで降りてきて、一体何を」

「……、」

「そォいう事だ。本当はもォ分かっているはずだぜ。オマエは、新統括理事長って言葉の響きが怖ええ訳じゃあねェ。かと言って学園都市第一位なンていう数字の話でビビった訳でもねえンだろ。……本当は、分かってる。これが一番『』選択なンだってよ。その正しさを崩せそォになかったから、オマエは俺の胸ぐらをつかむ事ができなかったンだ。いンだぜ、そのちっぽけなプライドは美徳だ。よォは、ガキの見ている前じゃ大人が駄々をこねる訳にゃいかねェって話だろ。『はら』だ何だ、あの連中に比べりゃずっとまともだ」

「けど……ッ!!」

「野望を始めよォぜ」


 宣言があった。

 大人達が作ってしまった子供の、幼稚だが残酷な言葉が。

 まるで自分達で作って飛ばした人工衛星がコントロールを失って頭の上へ降ってくるように。しかも人類の科学技術の粋を結集して作ったその衛星には重水素だのナトリウム冷却だので動く危険な宇宙用原子炉がみっちり搭載されているときた。

 報いかもしれない、とかわは思った。

 だがそれは、誰から誰に対しての、だ?


「くそったれの統括理事長らしく、色々と小難しい事を考えてよ。こっちは今まで散々頭ン中をいじくり回されてきた。オマエ達、大人の都合ってヤツでな。その大馬鹿野郎の権限が丸ごと俺の方にやってきたンだ、だったら覚悟を決めろよ。今度は、この俺が。自分のために賢い頭ァ使ってチカラァ振り回したって文句はねェはずだ」

「……、」

「今日まで時間は与えた。準備なンざとっくに終わっているだろう。ここまできて、できていないとは言わせねェ。聞きてェのはぐだぐだした進捗じゃァねェ、きっちり耳をそろえての準備完了の最終報告だ。そのためにオマエを呼びつけたンだぜ、この上ない人材としてな」


 かわあいはそっと奥歯をんだ。


「全部変わる」

「ああ」

「この街の子供だけじゃないじゃんよ。アンタが一人で選んでしまったその選択は、七〇億人以上が暮らすこの星全体の行く末だって……っ!!」

「それくらいじゃねェと、意味がねェ」


 確信犯であった。

 かわあいは学園都市の子供達を守る警備員アンチスキルだ。もしも今ここで目の前の白い怪物を床に引きずり倒して後ろ手に関節をめてしまえば坂道から転げ落ちる雪球を止められるとしたら、彼女は迷わずそうする。無手の状態で最大一〇億ボルト以上の高圧電流を生み出して制御下に置く第三位の『超電磁砲レールガン』や人の心を意のままに操る第五位の『心理掌握メンタルアウト』、それらを大きく引き離しての、堂々の第一位。を知っていようが、お構いなしに素手でつかみかかる。だけどかわは理解している。そんな事をしたって『大きな流れ』を止める事も変える事もかなわないと。

 そんな方法では、誰も守れない。

 馬鹿でも分かる事だが、人を救うとは簡単な話ではない。


「できてンだろ。引き金は?」

「……、」

「オマエに任せたいと言っている。できねェならよそへ回すだけだがな。世界の結末に関わるのか、関わりたくねェのか。選べ、どっちがいンだ」


 どこまでいってもかわあいは一教師でしかなく、目の前の相手はその全員を束ねる新統括理事長だ。

 かつての関係性がどうであろうが、その事実はくつがえせない。

 じくたる思いだった。

 彼女は何もできぬまま吐き捨てた。


「……変わったじゃんよ、アンタ」

「そォさせたのは俺じゃあねェ。変えた側の人間がナニ寝言を言ってやがる」


 水面下では、すでに始まっている。

 オペレーションネーム・ハンドカフス。新時代を象徴する『』が。

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