連続して放たれる蠟人形の槍を対馬がさばいていくが、その一つ一つを目で追いかけても、やはり五和には自分では受け止められないのが分かってしまう。サッカーのPKでキーパーが読みを間違えたように、五和の防御と実際の攻撃とが全く嚙み合わない。
そして。
敵は、蠟人形一体だけではない。
「……っ!!」
複数の方角から、巨大な歯車が対馬に向けて一斉に突撃する。
対馬が避ければ無防備になった五和は蠟人形に一手で殺される。かといって、迫りくる全ての攻撃を対馬は防ぎきれない。蠟人形はさばけても、歯車に押し潰される。
二つに一つ。
現状、どちらの命も救う方法はない。
10
そして。
複数の巨大な歯車は、五和や対馬を押し潰すように、複数の方角から躊躇なく襲いかかった。歯車と歯車が勢い良く激突し、大型トラック同士の正面衝突のように、凄まじい破壊音が地下鉄のトンネル内に炸裂する。
五和と対馬は。
二人揃って、互いに激突した巨大な歯車から、わずか数センチ離れた場所に立っていた。
「……未だ罪に穢れぬ楽園での話より」
蠟人形は五和の血液を取り込む事で、五和には絶対に避けられない攻撃を放つ性能を獲得した。
しかしそれは『ただ何となく』で発揮されるものではない。必ずそこには理屈が存在する。
「神は人の子を作り全てを与える手はずを整えたが、人の子はその完璧さに不安を覚える。人の子は孤独に生きるにあらず、さりとて楽園に住む他の動物では心は満たされず」
丑の刻参りなどにも使われる、髪や爪を使った呪いには、『感染』という方式が使われる。たとえ体の一部が切り離されても、それは持ち主と密接な関わりを継続する、という考え方だ。だから憎い敵の爪を燃やしたり、人形に入れて破壊すれば、元の持ち主も一緒に傷がつくのだ。
「寛容な神は人の子の心を満たすべく力を振るうが、さりとて人の子と同じ方法は選択せず」
この場合、繫がりは生命力。
五和の中で作られる力が蠟人形の方にもバイパスされているため、その力の流れの変化を検出する事で、蠟人形は先んじて五和の防御・回避パターンを読み取って、隙間を縫うように攻撃を放つ。だから五和には何をやっても蠟人形の攻撃から逃れる事はできない。
だとすれば。
「楽園より始まる人の子は一人で十分。始点は二つも必要ない。そこから生じる次の子は全て一点であるべし」
その力を、断つ。
あるいは、全く別のものへと置き換える。
おあつらえ向きの伝承は、いくらでも存在する。
「神は孤独な人の子を憐れみその肋骨より番を生み出した。その名はイヴ。全ての女性の原点にして規範となるべき名前なり!」
イヴはアダムの肋骨から生まれたため、結婚する事で両者は完璧な状態を取り戻すのだ、という考えは教会で行う一般的な結婚式でも組み込まれている事だ。
大規模かつ組織的な魔術儀式を執り行う時などは、魔力を精製するために必要な生命力を一点に集中させる時などに応用される。
ブーストとしては一般的。
ただし、女性という条件が整わなければ扱えないが。
「全ての女性は欠けた骨より婚姻を通し生涯の伴侶と一体とならん!!」
五和が自らの叫びを締めくくった直後だった。
ガッシャッッッ!! と一度大きく激突した巨大な歯車や蠟人形は、自らの勢いに負けるような格好で粉々に砕けてしまった。
砕けた瞬間は割れた陶器のようでありながら、しかし、破片が地面や壁へぶつかった時にはドロドロとした粘液状へと変化していた。
「うっぷ……」
間近でそれを浴びた五和が呻き声のようなものをあげる。
顔から胸元から下腹部から。一面に真っ赤な蠟を受けた状態だった。各々の蠟はこうしている今も不気味にびくびくと蠢いているが、ひとまず、再び寄り集まって拷問具や処刑具などに形を整えようとする気配はない。自らの意思というよりは、断末魔の痙攣のような振動だった。
「なるほど、ね」
対馬は疲労以外の原因で噴き出した顔の汗を拭いながら、ゆっくりと息を吐く。
標的の肌と密着していながら、傷一つつける事のできない蠟の群れを眺めつつ。
「こいつら、領域内の生命力に反応して攻撃するように組み上げられていた訳か。蠟人形の方はさらに個人識別できるように精度を高めてある、と。……そういえば、素材は死人の脂肪を加工した屍蠟だっけ。亡者が生者を襲う仕組み辺りも取り入れているのかしら」
「ミサイル除けのフレアと同じで、反応さえ誤魔化せれば大した敵じゃありません」
五和は元来た道を振り返りながら、
「こんなものの後始末にいつまでも付き合っていたって仕方がありません。放っておいて、さっさと地下駅から地上に出ましょう」
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「……酷いテストだったのよな」
地下駅で合流し、天草式の面々が無事に地上へ出た所で、教皇代理の建宮斎字がため息をついた。
ふわふわ金髪の対馬が尋ねる。
「イギリス清教の方はどうなってる?」
「仲良しこよしならすぐに救援を送ってくれるだろう。そんな気配はない。となると状況はかなーり厄介な事になっているはずなのよな」
「『フリーパス』……」
五和が呻くように言った。
『必要悪の教会』が管理している魔術的なロックを、身内の人間として素通りさせる呪文。謎の襲撃犯が本物のフリーディア=ストライカーズを騙してそれを入手したとしたら、確かに危機的と言って良い。
様々な霊装や強力な魔道書の保管庫から、強力な武器が奪われるかもしれない。
イギリスの国家的VIPを守っているセキュリティが無力化され、暗殺計画が実行されるかもしれない。
様々な攻撃に応用できるため、これだけでは敵の動きを先回りできる訳ではないのも問題だ。そして何より、天草式が真っ先に考えるべきは……。
「今回の件は、俺達天草式の実力を試す編入試験の最中に起こった事なのよな」
建宮が苦い顔で言う。
「つまりイギリス清教は俺達を完全な味方とは認めていない。懐疑的なグループだってあるだろう。そんな中で『天草式に配られるはずのフリーパス』を使った大規模な事件が起きれば、俺達が黒幕と繫がっていると疑われる可能性だって低くないのよ」
元より、ここに来る前に派手な事件を起こしている天草式には、イギリスに亡命する以外に生き残る道はない。
そのイギリス側から受け入れてもらうために、最善の方法と言えば一つだけ。
「俺達だけでやる」
代表するように、建宮はそう告げた。
「黒幕の正体と狙いを突き止めて、被害が出る前に捕まえる。それ以外に疑いを晴らす方法が思いつかないのよな」
12
「?」
そしてフリーディア=ストライカーズは怪訝な顔をした。
特別編入試験の突破を確認し、参加者達に『フリーパス』を与えた直後に、鉱石ラジオから一切の声が聞こえなくなったのだ。
(まさか……いや、まさか!!)
とっさに鉱石ラジオにある大きなダイヤルを摑む。思い切りひねる。無害化された呪いはすぐにでも致死性を取り戻し、無秩序なノイズのような形で通信相手の頭を破壊するはずだったが……。
バヂン!! という嫌な音が炸裂した。
思わず顔をしかめて鉱石ラジオから手を引っ込めると、機材からケーブルが溶けるような嫌な臭いが漂ってきた。
舌打ちし、改めて鉱石ラジオの外装を大きく開く。
極めて単純な構造の中、黄鉄鉱でできた『心臓部』が面白いほど砕けていた。
「呪い返し……か」
通信方式はとっくの昔に解析され、対抗策まで講じられていた。
『フリーパス』を持ったまま消えた何者かの行方はもう分からない。ロンドンの闇に紛れ、いつでも『必要悪の教会』の重要施設へ丸腰で侵入できるようになってしまった。
「くそ……ネットオークションで競り落とすのにいくらかかったと思っているのよ……」
忌々しそうに呟きながら、フリーディアはプラスチックでできた四角いピルケースを取り出す。小さな箱をさらに複数の仕切りで遮ったその中には、いくつもの『石』が詰め込まれていた。
その中の一つを取り出し、鉱石ラジオの心臓部へと埋め込んでいく。
外装を閉じ、改めてダイヤルを操作すると、彼女は『必要悪の教会』の『上』へと連絡を取った。
「ええ、ええ。すみません。どうやら連中、笑えないほど有能だったようで、ええ、こちらの通信も振り切られました。『フリーパス』がどういう風に使われるかは不明ですが、意味もなく消息を絶つとは思えません、ええ。そんな訳で応援よろしく。なに? 毎月給料もらっているんだからたまには働いたらどうですか? 私達、税金でご飯食べているんだから立場上はほとんど公務員でしょう」
深刻そうな調子で言いながら、しかしフリーディアは吞気にアイスクリームの最後の一欠片をスプーンですくい、口に放り込む。
ナプキンを使って口元を拭うと、伝票を摑みながら彼女はこう言った。
「ええ。天草式については発見次第、始末してください。ええ、既定の通り、言葉の通りに。皆殺しって方向でお願いします」
追う者と追われる者。
複数入り乱れるロンドンでの攻防戦が、いよいよ始まる。