(……にしても、魔術的記号を盛り込んだテーブルトークなんて。サイコロの出目一つが生死に直結する戦闘なんて、考えるだけでゾッとしないわよね)
実は。
今回、イギリス清教が天草式十字凄教に与えた特別編入試験の詳細は、いわゆる禅や瞑想に似た精神的作業だった。対象となるメンバーを地下の狭い一室に放り込み、用意されたルールブックやパラメータ、ダイス、見取り図、そして自らが成り変わる仮初の人物の説明文を基に、存在し得ない事件を完璧にシミュレートする、といった内容である。
精神的作業によって、体内で生命力を魔力に変換する事は魔術師の基本。他にも、自らが規定した小世界を『神殿』として区切り、内部の法則を一時的に歪める事で、地脈、龍脈、『天使の力』などを呼び込み、各種儀式を執行する近代西洋魔術式の『召喚』の縮図とも言える。
(ま、組織に必要なのは現場で暴れる力馬鹿だけじゃないってところですか。探索、治癒、通信、交渉、隠蔽……。いろんな駒があってこそのチェス。……ですけど、前に試験やったオルソラ=アクィナスみたいなのを見ていると本当に大丈夫かって思いますが)
テーブルの上には、複数の写真が広げられていた。
それは天草式十字凄教の面々を写したものだ。資料はそれだけではない。今回の試験で使われているギミックの詳細を記した図面や、舞台となる場所の歴史的背景や魔術的立地条件などを記した報告書などもある。
もしも。
この場に五和や対馬がいれば、思わず声を上げていたかもしれない。
図面の中に、彼女達も知らないさらなる悪趣味な仕掛けが描かれていたから、ではない。
そもそもにおいて。
ズレていた。
五和達はランベス区にある地下駅になど潜っていなかった。
全く別の、ソーホーにある地下駅から出発していたのだ。
当然、五和達がこれまで経験してきた事は極めて高精度な幻覚や、内的宇宙の中で行われていたバーチャルな戦闘ではない。
彼女達は。
本物のイギリス清教の思惑とは全く別に、現実に肉体を動かす実戦を強いられていたのだ。
(試験は年々簡略化が進められているとはいえ、時代の変化にはついていけないわよね。ま、超常現象を次々と記号化、簡略化を進めていくと魔法陣になっていくんだから、究極的な魔術戦の舞台が紙の上になるっていうのも分かるけど)
もちろん、実際の五和達は紙の上の戦いなどしていない。
こうしている今も、地下鉄トンネルの中で屍蠟を使った巨大トラップと戦闘を繰り広げている。
にも拘らず、監視役のフリーディア=ストライカーズがそんな事を考えている理由は一つ。
たった一つしかない。
9
きっかけは、建宮斎字からの魔術的な通信だった。
彼も彼で五和や対馬と同様、地下鉄トンネル内に仕掛けられたトラップを『わざと』引っ掛かり続けるという苦行のような戦闘を続けていたはずだ。しかし、仮にも教皇代理の位置にいる人物。率直に言って、単純な魔術の腕であれば五和以上の実力を持っているはずだ。
その建宮が。
断崖絶壁に追い詰められたような声色で、何かを言う。
『おかしい。状況がおかしいのよな!!』
「教皇代理……?」
『不自然な雑音が気になって増幅してみたら、通信が二重に重なっていやがった。フリーディア=ストライカーズの通信は二種類ある! 厳密に言えば、どちらか片方は偽者だ!!』
当然、フリーディアAとフリーディアBが同時に五和達と通信をしていれば、本物のフリーディアも、五和達も、双方共に不自然さに気づいていたはずだ。
だが、それを防ぐ方法がある。
とても簡単な方法が。
「……つまり、私達を騙っている誰かもいるって事?」
対馬が震える声で尋ねる。
「本物の天草式と偽者のフリーディア、偽者の天草式と本物のフリーディア。それぞれクロスするように通信していれば、『本物』は両方とも騙されている事には気づかない。見知らぬ誰かが書類審査もしないで『必要悪の教会』の正規の編入試験を勝手に挑戦している事になる!!」
「ちょ、ちょっと待ってください! 『フリーパス』……。合格者にだけ与えられる『フリーパス』が不審者の手に渡ったら、『必要悪の教会』で抱えている強大な霊装や魔道書の保管庫にも自由に入れるって事になりますよね!?」
対して。
『ひひ』
フリーディア=ストライカーズは……いやそう名乗っていた『何者か』は、五和達の頭の中で直接声を放つ。
『ひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひいひひひひひひっっっ!!!!!!』
くそっ!! と対馬は叫ぶ。
その間にも、大きく屹立した蠟の塊の方で動きがあった。表面がドロドロと溶け落ちていくと、巨大な柱のような形に細かい凹凸が付け足されていく。
二本の腕に二本の足。
女性的な滑らかなラインを描いているそれは……、
「……私?」
五和が、怪訝な声を発する。
「そうか、そうですよ! 蠟を使った民間伝承で一番有名なのは、呪いの人形です。狙った相手の髪や爪を入れて、針で傷つける事で遠隔地の標的を攻撃する。丑の刻参りにも似た蠟人形の呪術!!」
べたんっ!! と。
粘質な音を立て、無造作に赤い蠟人形は五和の元へと真っ直ぐに突っ込む。
その手に持った同色の槍を突き出す。
決して、目で追えないほど凄まじい速さを持った一撃ではなかった。手品のトリックのように、意識の外から攻撃を加えられた訳でもなかった。
にも拘らず、
「っ!?」
とっさに。
対馬が間に割り込んでレイピアを突き出さなかったら、五和はそのまま腹を貫かれていた。
何故か対応できない。
見えているのに防ぐ事も避ける事もできない。
後出しでジャンケンをされるように、蠟人形の穂先は五和の防御の隙間を奇麗に潜り抜けてくる。
「呪いよ」
ギンッ!! と。
続けてレイピアで蠟人形の槍をいなしながら、対馬が叫ぶ。
「対象の血液を取り込む事で、対象を絶対に死に至らしめる攻撃方法を完成させる魔術。それがこいつの正体! 蠟人形としてヤツが完成している以上、ヤツから放たれる攻撃は全てあなたに届く。他の誰にとっても大した攻撃じゃなくたって、狙われているあなただけは逃げ切れないって訳!!」
「それって……」
蠟人形から放たれる攻撃は全て対馬が抑えなければ、五和は一発で絶命する。
……というのが状況の胆なのではない。
一番の問題なのは、矢面に立たされる対馬がかすり傷でも負ったらおしまい、という事。対馬の血液が奪われ、もう一体の蠟人形が追加されたら、五和も対馬も瞬く間に秒殺されてしまう。
『ま、私達が「フリーパス」を得るまで閉じ込めておければそれで良いんですけどね。でも殺しちゃいけない理由は特にないし、殺した方が安全ではある。そんな訳でごめんなさい。私達のために死んでくださいね』
ギンッ! ガン!! ゴンギンガンゴゴン!! と。