「必要悪の教会」特別編入試験編

第一話 ④

 その光景に、いつはどこか巨大な歯をイメージした。

 牙ではなく、歯。

 鋭く突き刺さるものではなく、奥歯のように平たく、その圧力でもって全てを押し潰し、しやくし、まるみしていくための凶器。


いつ!!」


 真横から対馬つしまに叫ばれ、いつの思考は現実へとピントを戻す。

 恐怖を植え付けられている場合ではない。

 やりの穂先を地面へ向け、柄全体を斜めに向け、最後にやりの柄から一〇本指を離し、てのひらだけを使って下から支える形で構え直す。

 直後に巨大な歯車がいつへと突撃した。

 頭の上へレールを通すように固定されたやりの柄をなぞるような格好で、歯車はいつの真上へと逃がされる。まるでスキーのジャンプ台のように宙へと放り出される。


「づ……っ!!」


 ミシリ、といつの背骨がきしんだ痛みを発する。

 しかし三メートル大の歯車はバランスを崩さない。

 そのまま天井に張り付くと、半円形のトンネルの壁面をなぞるように、滑らかに地上へと移動する。勢いを一切殺さず、それどころか上乗せするような格好で、再びいつ目がけて突撃を開始する。


(車輪刑。有名なのはフランス式。車輪や歯車を模した巨大な金属部品を用いたおう・撲殺系の処刑法。『車輪』の用途は折れた四肢を縛り付けるための拘束具から直接的おうのための鈍器まで様々だが、現況から察するに今回においては罪人の手足を折るために使われたシンプルな技法を抽出していると思われる)


 同じ事を何度も繰り返しても意味はない。

 やりを構え、迫る歯車をにらみつけながら、いつは迅速に次の手を考えていく。


(機能性や合理性で考えればかなづちこんぼうの方が使いやすいはずなのに、えて車輪の形を保っているのは、太古、太陽に対するにえの儀式を取り込んだ結果であるため。だから!!)


 くるん、と。

 いつは一度だけ、手にしたやりをバトンのように回す。

 まるで、その輝く円の軌道を迫りくる巨大な歯車と対応させるように。


(天の威光は常に太陽により表れたり。光の届かぬ地の底とて主の威光が届かぬ事はなし。真昼のごとまばゆい光をもって、なんじ、我の危難をはらいたまえ!!)


 直後だった。

 二点で純白の爆発が巻き起こった。

 一つはいつの描いたやりの軌跡。もう一つは迫りくる歯車。示し合わせたように、そっくり対応するように、すさまじい光は真っ暗なトンネルを一気に埋め尽くしていく。

 ブジュアッッッ!! と。


『太陽』という魔術的記号を強調された巨大な歯車が、まるであぶられたろうのように形を失っていく。


「効いてる? これでもう……っ!!」


 いいや。

 ろうに似ている、のではない。


「まだよいつ!! そいつの本質はろうよ。溶けたくらいじゃ止まらない!!」

「え……っ!?」


 慌てたようにやりを構え直すいつは、そこでミルククラウンのようなものを見た。

 南米のジャングル辺りにありそうな、あまりにも大きな花のように、何かが咲き誇っていた。数メートルもある花弁はいつまるみするように迫る。その表面に、何か鋭いくいのようなものが数十本、数百本と飛び出てくる。

 子供でも分かる、説明不要の悪趣味と言えば二つある。

 一つ目はギロチン。

 二つ目はアイアンメイデン。


「……ッッッ!!!???」


 それまでの動きの全てを無視して、背筋に走る嫌な感覚を頼りに、いつは真後ろへ勢い良く跳んだ。

 同時。

 空間丸ごとるように、八枚のひとべんが、バグン!! と勢い良く閉じる。


いつ!」

「っ!?」


 右手の甲の辺りに、鋭い痛みがはじける。

 何とかられる事は避けられたが、壁から飛び出たくぎに引っ掛けるように、くいの一本がいつの肌を裂いていたのだ。

 ぞるぞるぞる!! と、排水溝にヘドロがまれていくような音を立て、血の色をしたひとばなは形を失い、粘性の塊へと変化していく。さらなる悪趣味へと自身のレベルをげようとするように。

 にじむ鮮血を見て、当の本人よりも対馬つしまの方がげつこうする。


「殺す気まんまんって訳!?」


 嘆きに、試験官らしき女性の声が脳裏で直接応じる。


『そりゃまあ。罪人のろうに魔女の薬を織り交ぜて作った特別製ですからね。せめてそれくらいやってあげなきゃ彼らも浮かばれないでしょう』

ろう……これが全部……?」


 特殊な条件下において安置された人間の死体が腐敗せず、脂肪分がろうへと変化したものだ。ある意味において死体の永久保存化に通じる現象だが、仏教の即身仏やエジプト神話のミイラなどと違って人為的に製造するというよりは、偶発的に生み出されるものがほとんどである。

 ろうの利用については、きちんとした宗教的基盤に基づくものというより、民間伝承から派生した伝説が数知れず。中には『ろうした罪人の腕を切り取ってしよくだいを作れば幸運を招く』といったものまであるほどだ。

 だが。

 いつは改めて血のような色のろうの塊へと目をやる。

 元は三メートル大の巨大な歯車だ。これを一つ作るだけで、一体何人分の脂肪が必要なのだろう? もちろん脂肪吸引ダイエットみたいな方法で生きた人間から安全かつ定期的に脂肪を集める事もできるのだが、世界最大規模、そして何より最も苛烈な異端審問を執り行う彼らイギリスせいきようが、そんな『配慮』をするだろうか。


まれている場合じゃないわよ」


 レイピアを構える対馬つしまが警告する。


「こいつらはまだ動いてる。私達の命を狙ってる! 元の材料が人間だろうが何だろうが関係ない。ほうけていると私達までろうにされて仲間入りにされかねないわ!!」


 ぞぶぞぶぐぶぐぶ!! と液状化したろうの塊が、大きく動く。

 真上へ、きつりつするように。


(……でも待って。ろう? 民間伝承? 何かが引っかかるような……)



『核になるようなものはない。急所もない。どれだけ破壊したって形はいくらでも作り直せる。さて問題、こんな理不尽なトラップにあなた達はどうします?』

「記号を分析すれば良い……」


 ふわふわ金髪の対馬つしまは、レイピアを構えながら吐き捨てるように言う。


「『ろうの歯車』って記号性の柱がどこにあるか! 脂をせつけんに作り変えたってい。罪人の書類を偽造して『罪はなかった事』にしても良い。とにかくトラップを形作る一番の柱を見つけてそこを組み替えてしまえば機能は停止するはずよ!!」

『さてそうくいきますかね……ザザ……』


 そこで、いつはわずかに顔をしかめた。

 わずかな雑音が、こめかみに突き刺さるような頭痛の形で表現される。

 今のは……。



 その時。

 特別編入試験を行っている天草式十字凄教の監視役、フリーディア=ストライカーズはまだ異変に気づいていなかった。

 鉱石ラジオから聞こえる複数人の声に耳を傾けながら、デザートのアイスクリームを小さなフォークでつついている。


(この調子ならい勝負、って感じかな)


 なかなか苦戦しているようだが、中盤戦に差しかかっても脱落者がいない事は素直に褒めておくべきだ。実戦において第一に必要なのは、敵を確実に発見する索敵力でも敵を確実に始末する高火力でもなく、生きて帰る力だ。それ以外の全ては経験を重ねれば後付けで獲得できる。基本にして真髄であるその一点だけが、天性のきゆうかくを必要とする技術なのだ。


(ま、模擬戦とはいえ死ぬ時は死ぬものだし。、今あるリンクの状況じゃダメージはそのままフィードバックしちゃうものね)


 ワインベースの赤紫のシロップをかけたアイスクリームを削り取りながら、彼女はそっと考える。

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