その光景に、五和はどこか巨大な歯をイメージした。
牙ではなく、歯。
鋭く突き刺さるものではなく、奥歯のように平たく、その圧力でもって全てを押し潰し、咀嚼し、丸吞みしていくための凶器。
「五和!!」
真横から対馬に叫ばれ、五和の思考は現実へとピントを戻す。
恐怖を植え付けられている場合ではない。
槍の穂先を地面へ向け、柄全体を斜めに向け、最後に槍の柄から一〇本指を離し、掌だけを使って下から支える形で構え直す。
直後に巨大な歯車が五和へと突撃した。
頭の上へレールを通すように固定された槍の柄をなぞるような格好で、歯車は五和の真上へと逃がされる。まるでスキーのジャンプ台のように宙へと放り出される。
「づ……っ!!」
ミシリ、と五和の背骨が軋んだ痛みを発する。
しかし三メートル大の歯車はバランスを崩さない。
そのまま天井に張り付くと、半円形のトンネルの壁面をなぞるように、滑らかに地上へと移動する。勢いを一切殺さず、それどころか上乗せするような格好で、再び五和目がけて突撃を開始する。
(車輪刑。有名なのはフランス式。車輪や歯車を模した巨大な金属部品を用いた殴打・撲殺系の処刑法。『車輪』の用途は折れた四肢を縛り付けるための拘束具から直接的殴打のための鈍器まで様々だが、現況から察するに今回においては罪人の手足を折るために使われたシンプルな技法を抽出していると思われる)
同じ事を何度も繰り返しても意味はない。
槍を構え、迫る歯車を睨みつけながら、五和は迅速に次の手を考えていく。
(機能性や合理性で考えれば金槌や棍棒の方が使いやすいはずなのに、敢えて車輪の形を保っているのは、太古、太陽に対する贄の儀式を取り込んだ結果であるため。だから!!)
くるん、と。
五和は一度だけ、手にした槍をバトンのように回す。
まるで、その輝く円の軌道を迫りくる巨大な歯車と対応させるように。
(天の威光は常に太陽により表れたり。光の届かぬ地の底とて主の威光が届かぬ事はなし。真昼の如き眩い光をもって、汝、我の危難を祓いたまえ!!)
直後だった。
二点で純白の爆発が巻き起こった。
一つは五和の描いた槍の軌跡。もう一つは迫りくる歯車。示し合わせたように、そっくり対応するように、凄まじい光は真っ暗なトンネルを一気に埋め尽くしていく。
ブジュアッッッ!! と。
『太陽』という魔術的記号を強調された巨大な歯車が、まるで炙られた蠟のように形を失っていく。
「効いてる? これでもう……っ!!」
いいや。
蠟に似ている、のではない。
「まだよ五和!! そいつの本質は蠟よ。溶けたくらいじゃ止まらない!!」
「え……っ!?」
慌てたように槍を構え直す五和は、そこでミルククラウンのようなものを見た。
南米のジャングル辺りにありそうな、あまりにも大きな花のように、何かが咲き誇っていた。数メートルもある花弁は五和を丸吞みするように迫る。その表面に、何か鋭い杭のようなものが数十本、数百本と飛び出てくる。
子供でも分かる、説明不要の悪趣味と言えば二つある。
一つ目はギロチン。
二つ目はアイアンメイデン。
「……ッッッ!!!???」
それまでの動きの全てを無視して、背筋に走る嫌な感覚を頼りに、五和は真後ろへ勢い良く跳んだ。
同時。
空間丸ごと嚙み千切るように、八枚の人喰い花弁が、バグン!! と勢い良く閉じる。
「五和!」
「っ!?」
右手の甲の辺りに、鋭い痛みが弾ける。
何とか嚙み千切られる事は避けられたが、壁から飛び出た釘に引っ掛けるように、杭の一本が五和の肌を裂いていたのだ。
ぞるぞるぞる!! と、排水溝にヘドロが吞み込まれていくような音を立て、血の色をした人喰い花は形を失い、粘性の塊へと変化していく。さらなる悪趣味へと自身のレベルを吊り上げようとするように。
滲む鮮血を見て、当の本人よりも対馬の方が激昂する。
「殺す気まんまんって訳!?」
嘆きに、試験官らしき女性の声が脳裏で直接応じる。
『そりゃまあ。罪人の屍蠟に魔女の薬を織り交ぜて作った特別製ですからね。せめてそれくらいやってあげなきゃ彼らも浮かばれないでしょう』
「屍蠟……これが全部……?」
特殊な条件下において安置された人間の死体が腐敗せず、脂肪分が蠟へと変化したものだ。ある意味において死体の永久保存化に通じる現象だが、仏教の即身仏やエジプト神話のミイラなどと違って人為的に製造するというよりは、偶発的に生み出されるものがほとんどである。
屍蠟の利用については、きちんとした宗教的基盤に基づくものというより、民間伝承から派生した伝説が数知れず。中には『屍蠟化した罪人の腕を切り取って燭台を作れば幸運を招く』といったものまであるほどだ。
だが。
五和は改めて血のような色の蠟の塊へと目をやる。
元は三メートル大の巨大な歯車だ。これを一つ作るだけで、一体何人分の脂肪が必要なのだろう? もちろん脂肪吸引ダイエットみたいな方法で生きた人間から安全かつ定期的に脂肪を集める事もできるのだが、世界最大規模、そして何より最も苛烈な異端審問を執り行う彼らイギリス清教が、そんな『配慮』をするだろうか。
「吞まれている場合じゃないわよ」
レイピアを構える対馬が警告する。
「こいつらはまだ動いてる。私達の命を狙ってる! 元の材料が人間だろうが何だろうが関係ない。呆けていると私達まで蠟にされて仲間入りにされかねないわ!!」
ぞぶぞぶぐぶぐぶ!! と液状化した蠟の塊が、大きく動く。
真上へ、屹立するように。
(……でも待って。蠟? 民間伝承? 何かが引っかかるような……)
『核になるようなものはない。急所もない。どれだけ破壊したって形はいくらでも作り直せる。さて問題、こんな理不尽なトラップにあなた達はどうします?』
「記号を分析すれば良い……」
ふわふわ金髪の対馬は、レイピアを構えながら吐き捨てるように言う。
「『屍蠟の歯車』って記号性の柱がどこにあるか! 脂を石鹼に作り変えたって良い。罪人の書類を偽造して『罪はなかった事』にしても良い。とにかくトラップを形作る一番の柱を見つけてそこを組み替えてしまえば機能は停止するはずよ!!」
『さてそう上手くいきますかね……ザザ……』
そこで、五和はわずかに顔をしかめた。
わずかな雑音が、こめかみに突き刺さるような頭痛の形で表現される。
今のは……。
8
その時。
特別編入試験を行っている天草式十字凄教の監視役、フリーディア=ストライカーズはまだ異変に気づいていなかった。
鉱石ラジオから聞こえる複数人の声に耳を傾けながら、デザートのアイスクリームを小さなフォークでつついている。
(この調子なら良い勝負、って感じかな)
なかなか苦戦しているようだが、中盤戦に差しかかっても脱落者がいない事は素直に褒めておくべきだ。実戦において第一に必要なのは、敵を確実に発見する索敵力でも敵を確実に始末する高火力でもなく、生きて帰る力だ。それ以外の全ては経験を重ねれば後付けで獲得できる。基本にして真髄であるその一点だけが、天性の嗅覚を必要とする技術なのだ。
(ま、模擬戦とはいえ死ぬ時は死ぬものだし。紙の上の出来事とはいえ、今あるリンクの状況じゃダメージはそのままフィードバックしちゃうものね)
ワインベースの赤紫のシロップをかけたアイスクリームを削り取りながら、彼女はそっと考える。