ロード・トゥ・エンデュミオン
第一章 ①
1
東京の西部には、都の三分の一の面積を誇る巨大な街が存在する。
学園都市。
最先端の技術情報を結集した科学の都であり、その『科学』というキーワードが生み出す利害、優位性、そしてある種の信頼や信仰などを利用し、世界の広い範囲で強い影響力を及ぼす中心地である。
住人の八割は学生。
その関係で安全性や信頼性を前面に押し出した街作りをしているものの、水面下では徹底した情報の管理が行われている。テロリスト、産業スパイ、国家所属の工作員。そうしたものを寄せ付けない……という『名目』で、様々なシステムが街中に張り巡らされている。
そんな理路整然とした街の一角。
外部からの観光客を狙った『多層旅館』の一角に、西欧人の男はやってきていた。
「……ま、大抵の事には驚かないつもりでいたけど、これはなかなかにイカれているね」
外観だけ見れば、ただの四角いビルに見える。
しかし内装は、ワンフロアごとに平屋建ての高級旅館を、庭園ごと詰め込んだ奇怪な作りになっていた。和風建築のジオラマを重箱のように、縦に積んだものと考えれば良い。
単なる土地不足の解消が目的か、あるいは学園都市の常識全般が技術と一緒にどこか遠くへ飛んでしまっているのか。
いずれにしても、外からやってきた男にはどうやっても
ここまで案内してきた中年の仲居が引っ込んだのを確認してから、男は小さなコンピュータを取り出す。特にセキュリティや逆探知の阻害などは
ネット上のデータストレージにあったいくつかのファイルをダウンロードしていくと、その途中で音声チャットのサインが点灯した。
クリックして
『届きましたか?』
「今やっている」
男はわずかに顔をしかめながら、
「……ダウンロード用のパスワードを設定する時は大文字と小文字の区別も伝えてくれ。気づかないでエラーを頻発していたらロックされていたところだったよ」
『私がこういうものが得意でないのは分かっていたはずでは?』
「何事にも限度がある」
言っても無駄だと思ったが、口が動いてしまう。
しかし予想通り、相手は意に介さなかった。
『あなたの指示に従いましたが、この方法で学園都市が検知しないとは思えません。インターネットは便利なものですが、その領分は完全に「彼ら」に支配されている』
「当然、産業スパイ対策という名目で、あらゆるデータは学園都市に監視されている。平凡な文面に危険な暗号を盛り込んだとしても、連中の機材ならすぐに解析演算を終えてしまうだろう」
男はダウンロードを終えたファイルを開きながら言う。
「しかし一方で、それらは『彼ら』の領分の範囲だけ。魔術サイドに関する情報には当然
そこにあるのはいくつかの図面だった。
陣、と呼んでも差し支えない。
学園都市製の印刷機器があれば、魔術的記号を潰さずに、高速、大量の量産化作業を行える事だろう。
『その陣の使用は、「彼ら」との事前協議の中に含まれてはいませんが』
「連中の手ぬるいやり方で目的を達せられるとは思えない」
西欧人の男は地図のサイトを呼び出し、写真撮影用のスタジオをいくつかピックアップする。デジカメの普及でどこも苦境に立たされているらしいが、男の使う陣を精密に生産するためには、彼らの持つ現像・印刷用の技術と機材が欲しい。
当然、陣についての情報は秘匿事項でもあるので、印刷技術者は一時的に操り人形になってもらう必要もあるのだが。
「学園都市の中で何かをしようとすればいずれは見つかる。それなら、露見した時にはもう遅い、という構図を作るしかない。無傷で勝とうとするから何も得られないまま終わるのさ。最初から損害を考慮して動けば、最適化された学園都市の中でも一定の自由度を獲得できる」
『念のために確認します。目的を達成しても、あなたは生還できない可能性もある訳ですが』
「それを織り込み済みと言っている」
『……、』
「そしてなんだかんだで黙認されているのも事実だ。学園都市ではなく、こちらの『上』にね。我々は魔術と科学のバランスの崩壊を望んでいない。
必要な陣の情報を全て取得した西欧人の男は、コンピュータをネットワークから切断する。
向かう先は、写真撮影用のスタジオ。
相手は当然一般人で、軽度であれ『魔術』に関わらせる事は間違いない。いくつかのケアを施しても、彼あるいは彼女が今後『世界の深い所』に関わってしまうリスクはゼロにできない。
それを理解した上で、なお進む。
事態はそれだけ切迫しているという証明だ。
「……こんな汚れ仕事を押しつけやがって。大騒ぎしたツケは払ってもらうぞ」
2
最先端の科学の街、超能力開発機関などと呼ばれる学園都市だが、朝の登校風景はそれほど奇抜で特徴的ではない。
……はずなのだが、そんな通学路では、
『通信エラーです。現在、金星探査プロジェクトレースへのエントリーはできません。時間が
「……、」
彼の右手には携帯電話が握られており、小さな画面には人気のSNSの企画ページが表示されたままになっていた。
「……何してんの?」
そんな彼に、後ろから声を掛ける少女が一人。
対して、世間の邪魔者
「……SNSの企画レースのエントリーページがアクセス集中で固まってやがる。ていうか次の締め切りは一〇分後なのに時間が
「そういや金星探査コンテストと連動した企画があったわね。ムチャクチャな数の無人探査機を宇宙に飛ばしているのを
「『新発見』の探査機を的中できれば、当たった人だけでその命名権をもらえるかもしれない抽選に参加できるっていうのに!!」
「……いや、抽選に参加できるっていうだけで命名権を一〇〇%もらえる訳じゃないんでしょ? あのSNS、学園都市の中で一五〇万人近くが参加していなかったっけ」
「小惑星に
「金星の探査コンテストだっつってんだろ」
「私は夜空に浮かぶ星座になりたい!!」
「それだと死にたがっているみたいに聞こえるわよ」
と、そこまで言った
「でも、アンタそんなので遊んでいるのね。そういうのにあんまり興味がないと思っていたんだけど」
「この前ケータイのOSの自動アップデートがあったんだけど、その時から勝手に入っているんだよ。どっかの会社と会社で提携してんじゃないの?」
「ふ、ふむふむ。ちなみにフレンドってどんぐらい登録してる訳? と、登録番号さえ教えてくれれば私がリンクしてやっても……」
「?」
ゴニョゴニョ言う
さらにこれまでの流れをぶった切るように、
「とうま!! 相変わらずお昼ご飯の準備がおろそかになっているんだよ!!」
純白のシスターさんの大声が横から思いっきり割り込んできた。
インデックス。
彼女は通学の時間帯であっちこっちを行き交う学生達の注目を存分に集めながら、それらを一切
「まったくとうまはいつもいつも! 食は生活の基本です!!
「……自分でご飯を作れば良いのでは?」
「できる子はこれだから!!」