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放課後である。
白井黒子は『学舎の園』を出ると、徒歩で夕方の街を歩いていた。今日は金曜日で週末が待っているからか、繁華街へ向かう少年や少女達の足取りも軽い。
白井としても放課後の人混みに流されてしまいたい。何としても。
(……さ、サボってぶっちぎっても学生寮に連絡が入るだけ。それではせっかくの愛と欲望の密室が台なしになってしまいますの、主にブチ切れた恐怖の寮監サマが強度を無視して外からドアを蹴破る格好で。くっ、ホームを舞台にしたのが仇になりましたわ!!)
固法美偉からの連絡を阻止する、では結局巨乳メガネと戦う羽目になる。まして巨乳じゃないメガネの寮監を物理的に何とかする、というのは明らかな袋小路だ。そっちで対策を練ろうとしても永遠に答えは出ない。永遠ですって。日々の学校生活で出てきて良い単語かこれは?
そうなると今日、金曜日に一発で固法美偉を倒して自由を得るのが理想。無理でも土曜を予備日のクッションとして完全にケリをつける。そうすれば、愛しのお姉様と夢の日曜日愛のデスゲームが待っているッ!!
「はあ」
(……まったく。本来なら、常盤台生がこんな風にトコトコ街を歩いているのもおかしな話ではあるのですけれど。お姉様とか食蜂操祈とか、あの辺のてっぺんが学生バスの送迎を無視して勝手気ままに動き回るから基準がおかしくなっているような)
ヤツは同じ第七学区にある風紀委員系の訓練施設で待っているらしい。あのブレザーメガネめ、絶対に道場のど真ん中で腕を組んでの仁王立ちだ。鼻から息を吐いてやる気満々のパターンだ。考えなしに正攻法の格闘技で挑むのは『あの』白井黒子であってもちょっと怖い。ならどうする? 到着までまだ時間があるので、白井としては今の内に作戦を練っておきたい。
まずは基本的なところから全部洗っていこう。
(固法先輩……と、このわたくしに言わせるくらいなのですから、当然、それに相応しい実力を持っているのが厄介なんですのよね)
固法美偉は『風紀委員』の先輩格に当たる女子高生だ。
もちろん学校は違うが、同じ第七学区内で活動している事もあって顔を合わせる機会は多い。すらりとした体軀にオトナの証みたいなおっぱい、ただ肩の辺りで切り揃えた艶やかな黒髪と理知的なメガネのおかげで見る者の印象は真面目な優等生寄りだ。実際印象通りに清く正しくお勉強もできるので、先生達の印象は悪くないはず。
ただ、白井黒子からすれば一番気になるのはここだ。
強能力、『透視能力』。
白井の『空間移動』の大能力より値が低いとはいっても、そもそも能力のジャンルが違うとこの手の数字はあまりあてにならない。そしてESPとPKというざっくりした超能力二元論はあまり学園都市では推奨されないのだが……この超感覚的知覚系というのは挑む側からするととことんやりにくいオモチャでもある。
物体を透かして見る能力。なるほど分かりやすい。
だから?
モノが透けるとは、具体的に『どう』見えるのだ。材質や厚み、液体や固体、一メートル先のコンクリ塀と一〇〇メートル先の紙切れはどっちが透けやすい、などなど得意や不得意は? モノを透かして見ている時は手前にあるものは見えなくなるのか、半透明で把握はしているのか。その時すぐ手前を何かが横切ったら? などなどなどなど……。
そういう細かい条件になるとサッパリだ。もちろん常日頃から固法と行動を共にし、凶悪犯の逮捕・補導の際は互いの背中を預け合う関係。固法の能力についてもある程度は本人から直接説明を受けている。けど、それは本当に全てなのか? というか感覚的に、何となく分かってしまう人が改めて口から言葉に出して説明した内容にズレや洩れはないのか?
これが物理的な超電磁砲ならルールを把握して共有しやすい。一発見せてもらって、精密機器で計測して、スーパースローの映像を分析すればどれくらいの射程や威力でどこに逃げれば安全かはすぐ分かる。でも予知だの読心だの『能力者本人の頭の中でしか展開されない』超感覚系はとにかく外から見て凄さを測りにくいのだ。なのに、それは『確かに』ある。
チェスで考えてみよう。
互いに駒を並べて睨めっこ、一〇〇手先まで状況を読んで間違いのない駒を指したいのに、対戦相手の側に見た事もない駒が置いてある。こいつ、この戦隊モノのゴム人形がどう動くか、口で説明されてもいまいち理解できない。……この状況で必勝法なんて作れるか? 万全の布陣を固めたところで、たった一つの駒がいきなりチェス盤の端から逆サイドの端にワープしたら? こいつ一個が予想外の動きをしただけで全部瓦解してしまう。
「……ふむ」
少し考え、白井黒子は一人で小さく頷いた。
『風紀委員』の訓練施設、市民体育館をちょっと豪華にしたようなハコモノまでやってきた。実際、薙刀や合気道の競技会場としても利用されていたはず。ゲート警備の大人に肩の腕章を見せて敷地内に踏み込み、第一格技道場は左折五〇メートル先です、という壁の案内板を目で追いかけながら、
(未確定の駒のせいで定跡の構築ができない以上、長引けば長引くだけ誤差は大きく広がっていき、致命的な結果を招きかねませんわね)
だとすれば。
白井黒子はゆっくりと息を吸って、吐いて、止めて、そして集中。
『空間移動』でもって虚空に消える。
飛距離八一・五メートル、最大重量一三〇・七キログラム。
つまり五〇メートル先ならすでに移動可能圏内だ。
「シャるアアアアア!!!!!!」
移動先は固法美偉の待ち構える第一格技道場、畳敷きの空間のど真ん中。黒髪メガネはほんとに制服姿で腕を組んで仁王立ちしていやがった。その後頭部を狙う形で、後方上空四メートルの位置からドロップキックをお見舞いする白井黒子。
予測不能な誤差の広がりが怖いのなら、小さな内に仕留めるのが最善。
つまり最速の速攻に限る。
「わたくしとお姉様の愛の週末デスゲームを邪魔する者は誰であれ許しませんわよおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッッッ!!」
どぶらぐしゃめちゃどぶがくちゃーっ!!!???
そしてあまりの轟音に、屋内型の筋トレをしていた角刈りの八頭身モデルみたいなお姉さんや合気道の袴を擦り合わせて激しく乱取りしていた大和撫子達が思わず息を吞んで格技道場の中央に目をやった。
肩までかかる黒髪に、理知的なメガネ。
整ったブレザー制服にしわや汚れの一つも許さず、固法美偉はにっこり笑ってかかとにぐりっと力を込めていた。もちろん、ボッコボコにされた白井黒子の後頭部に優しくご褒美をくれてやるために。
笑顔のまま巨乳メガネはかく語りき。
「見えてた☆」
「あう、あぶ……? そ、そうですの……」
未確定を確定に変えるべく、一つ分かった事を心にメモする。
……どうやら固法美偉の『透視能力』は、鉄筋コンクリの壁を貫いて五〇メートル先から無音で自分を狙う刺客を正確に捉える事ができるレベルらしい。