第一章 白井黒子は躊躇わない ①


 がくえん第七学区にある男子禁制のお嬢様学校密集エリア、『まなびその』。

 並より上である事が普通、という言葉の定義のおかしな世界だった。欧風に整えられた街並みはその細部まで安全性とセレブリティが高められており、出入りできる人の数に限りがあるというのにバッグやアクセサリーなどのブランドショップにも事欠かない。交通量の多い駅前の一等地で大勢の客を相手にするよりも、たった一人のお嬢様の『お気に入り』『ようたし』になる方がグループ全体にとっての益になる、と判断されている訳だ。時間と空間の切り取られ方で言えば、パカパカというひづめの音と共に白馬の手綱を引いて車道脇をゆったりと歩いている女子中学生までいる始末だった。

 中でも一等の名門校、ときだいちゆうがく

 しかし上流階級の間でも休み時間にウワサ話が飛び交うのは同じなのか、あるいはそういった人々こそ肩書きや評判を人並み以上に気にかけるのか。西洋風の校舎、その廊下ではこんな声がさざなみのようにささやかれていた。



『あら、まあ、まあまあまあ☆ あれはしらくろさまではございませんか。「風紀委員ジヤツジメント」としても突出した……』

『ホワイトスプリングホールディングスといえば全国規模のコンビニ、ドラッグストア、ショッピングセンターとカジュアル路線の怪物でしてよ』

『……第三位のさかことじようせんぞくの「露払い」なのでしょう? まだ一年生なのに大躍進ですわね』



 肩で風を切るとは、こういう事を言うのだろう。

 とはいえくりいろかみをツインテールにした少女からすれば、これもいつもの話だ。


(……まったく。他人のウワサを気にかけたところで己の実力が上昇する訳でもあるまいに、ですの)


 故に、しらは周囲の話になど振り回されない。

 休み時間の人混み。同じ制服を着ていても、その背中ははっきりと切り分けられている。

 さかこと


「おっねえっさまー……?」


 遠くからそっと声をかけてみる。

 反応なし、気づいていない。ならばこれはチャンスだ。しらくろは廊下の人混みに紛れて舌なめずりすると、無音で大能力レベル4、『空間移動テレポート』を発動する。

 背後から直接ことおおかぶさる程度の空中へと。


「おっねえっさまァァああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああんンンウ!!!???」


 語尾が不自然に跳ね上がったのは高圧電流で体を貫かれたからだろう。しらくろの体が空中二段ジャンプ的な明らかに不自然な軌道を描く。

 さかことは特に振り返らず、


「分かってた」

「ふふふ、これは以心伝心で相思相愛であると認識してもよろしいですか……?」

「地べたでいつくばってけいれんしているっていうのに? うつ伏せで、大の字に」


 冷たい声だがこれもいつもの話。

 そしてしらくろはこれくらいではめげない。


(……今日は夢の金曜日)


 そうなのだ。

 そういう話なのだ。


(そしてルームメイトのわたくしは土日の四八時間ずーっとお姉様と一緒! 共・同・生・活!! うふふこの日のための準備は万全ですの。楽しいボードゲームからやkげふんちょっと不思議な海外の栄養ドリンクまで必殺のゴールインに向かうべくそれはそれは腕によりをかけた完全愛情計画を……)

「ねえくろ

「っ、はい!? な、何ですのお姉様?」

「なにキョドってんの?」


 ことは何にも気づいていない無防備な顔でくびかしげている。

 どうやら学生寮の部屋のドアは外側からだろうが内側からだろうがしらくろの許可がないと絶対開かない愛の密室デスゲームようにこっそり改造してある事がバレた訳ではないようで、


「そういえばアレ知ってる? フォレストライトのクーラーボックス。氷で冷やすんじゃなくて化学冷媒とデカいモーター使って冷やすって話だから、正確には手持ちの冷蔵庫って感じなんだろうけど」

「はあ。アウトドアグッズのメーカーでしたわよね? 壁に囲まれたハイテクながくえんでキャンプ女子にでもめる気ですのお姉様」

「あはは。あれあったらかしとかかなり便利になるんじゃないって話よ。寮のご飯はしいけど決まった時間にしか出てこないから、冷蔵庫とか電子レンジとか、ああいうグッズは憧れちゃうわよねえ。デカい家電は隠し場所がないから一発で寮監にバレるんだけど」

「よふかし」

「でもこう、クーラーボックスサイズならさ、缶の冷たい紅茶でも取り出して。いやいや冷蔵庫ならショートケーキとかも保存しておけるでしょ? もうやりたい放題! 消灯時間になったら水しか飲めないからもう寝ましょうみたいな窮屈生活にはおさらばって話。これぞ寮監への反乱よ!! うー、週末とか眠れなくなっちゃうかも?」

(よ、夜という言葉に一切の邪気がない……。なんかもう、お姉様から後光が見える。余計な計画を企てている自分のわいしようさがとんでもない事になっているんですけれどーっ? ハッ!?)


 ぶんぶんとしらは首を横に振った。

 ほっこりムードにほだされてはならぬ!! いつまでも『ひと』のままで足踏みするのかしらくろオ!?


「ああそうそう」

「何ですのお姉様?」

「アンタ、ケータイのアカウントクラッシュしたんですって? でもってまだ中のプロファイルの再設定に手間取ってるとか」

「は、はあ。どうもアレ契約キャリアのサービスカウンターまで顔を出さないといけない問題らしくて。外部のSNSメッセージは使えるので、ついつい後回しにしてしまいがちなんですのよね……。ええと、それが?」

「だから音信不通なアンタに風紀委員ジヤツジメントのりせんぱいから伝言を頼まれていたのよ。つかSNSやってるなら何でフレンドにしてないの?」


 何のための招待制サービスだと思っているのだ。のりとかういはるとかリアルに顔を合わせる仕事仲間なんかネットの内輪に入れたら肩の力を抜いた自由なトークができなくなるからに決まっているのだが、キホン孤高でネットのコミュニティに全く興味がない(くせにどこでも自由に侵入できる)お姉様にはご理解いただけないらしい。

 そしてげんな顔をしている場合ではなかった。

 これは聞くべきではない話、一刻も早くことの口を塞ぐのが唯一の正解だったのだ。せっかくの大義名分だってできたんだし、何だったら唇と唇で。むちゅーっと。

 あとちょっとだけ勇気の足りなかったしらに、にっこり笑顔でことは告げる。


「アンタかくの練度下がってるんだって? 感謝しなさいよ、のりせんぱいがこの週末をわざわざ全部潰して鍛え直してくれるみたいだから」


 音が飛んだ。

 光がふわっと広がって目の前の景色が消失した。

 さかことは伝えるだけ伝えるとあっさり立ち去ってしまう。しらには、いとしのお姉様が何と言って別れたのかももう聞こえていなかったが。


「……、」


 そしてしらくろは世界に一人残された。

 廊下の真ん中でそっと崩れ落ち、うつむいたまま、無言で己のくちびるむ。生徒の波が左右に分かれ、中には遠巻きに心配そうに声を掛けてくれる女の子までいた。おしとやか満載のご親切さん達は、時には腫れ物扱いが一番キツい時もあるという事までは考えが及んでいないようだが。

 このまま諦めるのか。今日は夢の金曜日、その先には待ちに待った土日。ドアも窓も密室改造し、土日の四八時間で起こり得るであろう状況を全てフローチャート化して流れを何度も何度も指差し確認して、ピンク色のガスだってセットした。だというのに謎のゲームマスターしらくろはめくるめくパラダイスモードに挑戦する前からゲームオーバーなのか? マジで? 物理的にマイクロ波という形で第六感を持っている『あの』超電磁砲レールガンさかことにバレないようにコツコツと、こっちが今日までどれだけ手間暇かけて準備してきたと思っているんだ!?

 とっくに結論は出ていた。

 斜めに傾いた少女の唇から、ぼそっと一言こぼれた。


「……ヤッたるわ」


 のり

 あの究極最強メガネ巨乳を殺さねば、わたくしは先へと進めない……ッ!!

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