第一章 白井黒子は躊躇わない ④

 大人の先生達から言わせれば、そもそも学生の風紀委員ジヤツジメントが街中で勝手に尾行なんかするな、という話になりかねないが。

 どうせのりがわから奇襲してくる展開はないのだ。見つかっているのは承知で、ツインテールの少女は屋根伝いで夕方の商店街を歩くのりを追っていく。通りを挟んで右に左にビルの屋根に飛び移ると、やはりのりはこちらを見上げて笑顔で手まで振ってくる。


「くそうー馬鹿にしやがってですの……おや?」


 と、のりがすいっとらした。

 なんかメガネ先輩の空気感が気まずそうだ。

 こちらは常に高所にいるのだから、ぱんつでも見られたのかもしれない。

 ……何となくだが、『透視能力クレアボヤンス』は真面目な人とは相性が悪い気がしてきた。不純と不真面目を(か正義の心と特に矛盾する事もなく)極めてしまったしらからすれば羨ましい事この上ない能力ではあるのだが。

 ぽつっと、鼻の頭にきた。

 気がつけば頭上の空模様が怪しくなっている。しらが『空間移動テレポート』で建物の屋根から地上にあるアーケード下へ逃げ込むと、人混みの向こう、視界の先にいるのりも小走りになっていた。途中で見かけた銭湯に後ろ髪を引かれまくっているようだが、帰宅を優先したとなるとどうやら傘は持ってきていないらしい。

 雨に降られる危険を考えたからだろう、先輩女子は寄り道しないでこのまま学生寮に帰るようだ(しらからすればちょっと羨ましい)。最新のお洒落しやれなマンション的な建物に吸い込まれていく。しらも、誰でも入れるエントランスまで向かってみる。


「ふむ」


 前にも一度訪ねた事はあるが、だからこそうろ覚えが怖い。とはいえここにいてものりの部屋は特定できないし、脇の管理人室をあさるのは流石さすがにアレだ。が、しらはちょっと考えを変えて地下フロアへ向かう。そこにあるのは巨大な駐輪場だ。

 案外、こういうのも部屋の並びに準拠しているものだ。そして自転車にはお店の購入登録がある。でもってトドメに『風紀委員ジヤツジメント』の装備ならこの手の数字は人名に変換できる。一応これも先輩命令の『公務』だ、しらは携帯電話を眺めつつ、


(出てきたっ。のりの登録番号は38A5172……と。あら?)


 地下の駐輪場を歩いてのりの駐輪スペースを見つけると、予想に反して思ったよりもデカいバイクがあった。メーカー純正ではなく、わざわざ大型モデルのフレームからエンジンだけ積み替えて排気量を削減する事で、一八歳以下でも乗り回せるようにカスタマイズされている。

 ともあれ部屋は分かった、これで監視対象の窓も確定だ。さらに駐輪場の並び、隣にある電動アシスト自転車を見る限り同じ部屋にルームメイトがいるらしいのが分かる。


(人質作戦は……ううん、ダメか。他を襲うのはアウト、くらいなら同じ風紀委員ジヤツジメントはギリギリセーフかもしれませんけれど。それ以前に、あっちもあっちで得体が知れませんし)


 そもそものりと肩を並べるルームメイトだ。この人はこの人で底が知れない感じがして怖い。余計に手を広げて十字砲火を浴びるくらいなら、素直にのり一人に徹するべきだろう。

 地上に出ると、すでに陽は暮れて夜になっていた。

 今回は『一瞬の読み合いで即死』ではなく、ある程度の長期戦が許されている。しらは近くの(実家のホールディングスが経営している)コンビニでアンパンと牛乳を買うと、学生寮向かいのビルの非常階段へ『空間移動テレポート』で静かに転移する事に。


「あむ」

(……新商品は一応アタリ評価かしら? あんこの味を阻害しない形でこっそり緑黄色野菜のペーストを練り込んであるからこれ一個で必要な栄養素は全部賄える張り込み専用アンパン)


 問題は、合法的に張り込みが許される職業があまりにも少ない事かもしれないが。ストーカー関係の法律が整備されると『公務』とは呼べない探偵業まで巻き込まれるらしいという話をたまに聞くし。なので『報道』名目の抜け道を活用するべく、がくえんの探偵さんはフリーの記者やカメラマンという肩書きを持っているケースも珍しくない。ようはああ言えばこう言うだ。


「ムサシノ牛乳。のりせんぱいがやたらと執着しておりましたが……」


 本当は双眼鏡が欲しいところだが、流石さすがにコンビニでは手に入らない。ひとまず携帯電話のレンズを向け、ズーム機能で画面を目一杯引き延ばしてみる。

 いきなりのりと目が合った。


「……、」


 やはり。

 。しかも日没、大都会の夜景の中。野外ステージのアイドルライブなら相手の表情を見るだけで双眼鏡必至となる距離なのに、ルームメイトの少女と一緒にビーチチェアや電熱式のバーベキューセットを引っ張り出して優雅にベランピングを楽しむメガネ女子ののりは、例のムサシノ牛乳片手に正確にこちらを見据えてくるのだ。やっぱり普通ではない。


(どういう理屈でわたくしの金属矢を容易たやすく回避してくるのかと思ったら……)


 だとすると、だ。

 半ばあきれたようにハイテクな画面から目を離し、しらはストローでパックの牛乳を一口飲みつつ、


(……ちりほこり、あるいは空気そのものを『透視』する事で、わずかな光の屈折や減衰がもたらす誤差を消し去っている。完全純粋視界。ゆがみのない正確な空間を把握できるから、のりせんぱいはとにかく誤差のない回避ができる、と)


 普段、何気なく撮ったスマホやケータイの写真を見て『色味がおかしい』と感じる事はないだろうか。ただし、これは必ずしも設定ミスやスペック不足とは限らない。実際のところ人間が何となく見ている景色は結構ゆがんでいるものなのだ。大気中の水分や温度差による光の減衰・わいきよくはもちろん、光が細い隙間を通れば回折が起きるし、壁に当たった光は反射するのだから太陽は一つでも複数方向から同時に光が飛び込んで合成されるケースだってある。朝と夕方で大空の色が違うのはどうして? 別に誰かが時計を見て天空一面をペンキで塗り替えている訳ではない、あれだって光の屈折や波長の吸収によって説明がつく自然現象だ。

 だが、そうしたふうけいゆがみものりにだけは通じない。なら『透視』は己の視界を確保する能力、という大前提があるからだ。のりは誤差のないありのままの世界を捉える事ができる。だから彼女は絶対に間違えない。

 完全純粋視界。

 しらの見ている一ミリとのりの見ている一ミリは、文字通り精度と価値が違う。


(……のりせんぱいは日頃からメガネを掛けているんですから、元の視力に能力が引きずられているとうれしいんですけれど)


 これはしらがわの予測……ではなく希望であって、外から客観的に検証なんかできない。というか、透視能力クレアボヤンスを使った指示出しの時は、結構遠くにあるものを指差してあれこれ叫んでいたような……? 常に能力に頼らないのは手前の障害物にぶつかって危ないから、とか?

 だとすると、こいつは予想以上に厄介だ。本来なら人間の視力には限界がある。空気そのものが光を少しずつ減衰させていくのだから、鮮明に見える距離にも限りが出てくるからだ。なのに、空気の存在を無視して己の視界を確保するのりに距離の減衰は通用しない。おそらく今のままではたとえ一キロ以上離れてものりの追尾からは逃げられない。しかも屋内や地下などの遮蔽物を活用しても、ある程度の厚さまでは『透視』が通用してしまうはずだ。


「五キロの壁……いわゆる地平線の向こうまでは見えない、と信じたいところではありますけれど」


 地球は貫けないというのもしらがわの勝手な要求であって、まだ具体的な検証の済んでいない案件だ。すがるには早い。しかものりがわが電波塔などの高所に上ってしまえば地平線までの距離は変わるから、不可視の壁があっても容易たやすく破られる。

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