今回はまだ『訓練』だが、これが実戦なら固法側が武器を使ってはいけないなんてルールは特にない。あの透視能力にもしも飛び道具……それこそ、例えば鏃に音響兵器をくくりつけたアーチェリーやバカみたいな射程距離を誇る対物ライフルまで併用し、息を潜めてこちらへ奇襲してきたら……?
「ほんっと……つくづく『襲う側』に最適の闇討ちヤンキー能力ですわね」
思わず呟いたら三〇〇メートル先からメガネ女子に睨まれた。どうやら唇の動きでも察知されたらしい。壁やドアは素通りで、しかも距離を取っても丸見え。これでは『死角を探してこっそり奇襲』という手は考えるだけ無駄なようだ。わざわざこちらから相手の土俵に上がって得する展開はない。
そもそも根本的に固法美偉相手に奇襲という選択肢自体が間違っているのでは?
しかし道場でも証明されたように、ただ馬鹿正直に真正面から戦いを挑んで勝てる相手でもない。固法は『透視能力』だけでなく、地力の逮捕術の腕でも一流なのだ。
透視を使わせない、実力を発揮させない。
……これではまだ足りない。固法美偉と対峙するからこそ生じる特殊な環境や条件が、まだまだ全部先輩女子の味方をしている。
ここを崩さないといけない。対能力戦では勝てない。むしろ、今回限りの諸々の環境や条件全体が固法にとって不利になるようなセッティングをしなくては。
雪山の寒さに耐えるためにもこもこ着膨れする程度では、相手の世界に吞まれている。
雪崩を起こして巻き込むのはこちらの方だと言えなければ。
「……、」
白井黒子は非常階段の手すりに体を預け、ストローで牛乳を一口。静かに考える。
だとすると。
4
途中、何度か場所を変えて、白井黒子は固法美偉の学生寮を監視し続けた。
そのまま夜明けを迎える。
深夜の二時か三時に襲撃の誘惑に駆られたが、白井は我慢に徹した。寝込みを襲うのは基本だが、相手がそこを警戒していないはずがない。気になるのはルームメイトの存在だ。部屋の窓やドアにセンサーをつけるくらいなら『空間移動』で音もなく突破できるが、同じ寝室で友達に頼んで数時間おきに交互に見張りの番を担当でもされたら奇襲の優位性は消えてなくなる。そして実際にそうなった。
(……つまり)
朝焼け、新聞配達の原チャリやジョギング女子が動き始める時間帯になっていた。
白い息を吐いて白井黒子は両手で包むようにして缶の紅茶を摑みながら考える。もっと素晴らしい味になりました! というお決まりの文句がついたリニューアル缶ははっきり言って最低ランクの改悪になっていたが、寒空の下で指先を温めるのには都合が良い。
(逆に言えば、ルームメイトすらご一緒できないような機会を狙えば何とかなる訳で)
午前六時ジャストだった。
せっかくの土曜日、休日だというのに規則正しい事だ。不純極まりない目的で空けていた土日を丸ごと潰されかねない白井側としてはたまったものではないが。
ともあれ、白井黒子はこのタイミングで動く。
優等生のメガネ女子、固法美偉がいつものルーチンに乗っかった、最初の一手。
つまりは朝風呂真っ最中のバスルームへと『空間移動』で突撃したのだ。
多分、見えてはいただろう。
その上でまさか迷わず突っ込んでくるとは思っていなかったらしい。珍しく、あの固法美偉が(素っ裸でシャワー中に)狼狽えた声を放ってきた。
「げっ! ああ、白井さん!? このタイミングで襲うとかデリカシー偏差値ゼロか!?」
「ふはは!! お風呂の時にもメガネは外さない派でしたのねえっちなメガネの人固法先輩。そしてデリカシーまわりならお化粧室を狙わなかっただけ感謝をしてほしいものですわねえッッッ!!!!!!」
余裕の消えた手負いの女子会は大抵ひどい言葉が飛び交うものである。
ビュバン!! と重たい何かが空気を叩く音が炸裂した。
この状況で即座に壁のタオル掛けから濡れたタオルを摑み、鞭のように手首のスナップを利かせた固法美偉はむしろ恐るべき戦闘バカだろう。ありふれたタオルでも水を吸えば重くなる。まともに顔へもらっていれば白井は鼻の頭どころか首の骨まで軽くヤッていたかもしれない。
だがずぶ濡れのまま、白井黒子は腰を低く落として顔への一撃をかわす。
魅惑のお姉様御坂美琴と触れ合えないという極限の欲求不満がツインテールの肉体を強引に動かした……訳ではない。固法側も気づいているのだろう、悔しそうな声が洩れる。
「くっ!!」
「どうしました? 使うのは手首のスナップだけ。全体重を掛けて思い切り、とはいかないようでございますけれど!!」
「っ、これだから狭いバスルームって嫌なのよ!! おうちに銭湯を作りたい!!」
腰を落とした体勢から、そのまま一気に巨乳先輩のおへその辺り目がけて体当たりを仕掛ける白井黒子。床のコンディションは白井も一緒だが、それでも土足で踏み締めている分だけこちらの方が有利だ。体当たりそのものは固法の膝で顔面へ迎撃が入るが、気に留めない。額で受け、白井はずぶ濡れになったまま手を泳がせ、湯気でいっぱいになったバスルームでひたすらお湯を撒き散らすシャワーホースを奪い取る。
やはり固法は、足が滑るせいで腰が引けている。
本来の威力なら、そもそも今の膝、その一発で即死しない方がおかしいのだ。
固法美偉が本気を出したら誰にも勝てない。なるほどごもっとも、ならば本気を出したら自滅する環境や条件を整えてやれば良い。
バスルームは狭い。よって存分に手足を振り回すためのスペースは確保しにくい。
しかもタイルの床にウレタンのマットを敷いている訳だから、濡れた裸足ではよく滑る。
固法側は後ろへ下がろうにも、バスタブの縁に足を乗せるしかない状況だ。
「……『透視能力』を使うあなたを相手に、見つからないように行動する、という考え方がそもそも間違っていたのです」
知っている者は知らない者より有利に立てる。奇襲はする方がされた方より得をする。考えるまでもない事だからこそ、人は疑問を持たず、だからこそそんな固定観念から永遠に脱する事ができない。
でも改めて立ち向かえ。ここの発想を変えなければ、誰も固法美偉には勝てない。
つまり、
「たとえ見られても状況を変えられないという条件を整える!!」
制服をずぶ濡れにしたまま、白井黒子は笑う。
シャワーホースを摑んだまま足で蛇口を蹴り、温度設定を一気に跳ね上げる。固法がいかに『透視能力』を駆使して完全回避を実現しようが、扇状に広がって狭い空間全体を埋めてしまう熱湯は避けようがない。
「ちいっ!! それなら!!」
「まさかこんなものでおしまいとは思っていませんわよね?」
熱湯は脅威だが、分厚い壁にはならない。つまり体一つで突き破れる。己の不利を悟れば、固法はダメージ覚悟で真正面から体当たりを仕掛けてくるだろう。確かにそれが一番の正解だ。
だからこれは、本命にはならない。
つまりそいつは別にある。
「あるいはもっと踏み込み、いっそ見てしまった方が不利になるものを突きつける!!」
バヂィ!! と。
白井黒子が逆の手で炸裂させたのは、携帯電話のフラッシュだった。