第1話 正しい太陽 ①

 職員室の横にあるろう

 窓からななめに夕日が差し込み、外から野球部のかけ声が聞こえてくる。

 授業がすべて終わった平和な放課後……とはいかない。

 二年B組の担任、うち先生は目を血走らせて俺……つじあきの方を見た。


「じゃあつじくん。運が悪かったと思って、これよろしくね」

「先生。これ、今日やらなきゃいけないんですか? 明日じゃダメなんですか」

「日直の仕事はね、先生のさいはいひとつで決まるのよ。先生これからちようぜつめんどくさい会議! 事務の先生が入院しちゃったのよ、悪いけどよろしくね!!」


 うち先生は大きなため息をついて校長室に入っていった。

 夕日が差し込む長いろうには、俺だけがぽつんと残された。

 部活に入ってる人は活動中。

 入ってない人たちは帰宅した時間帯で、だれもいない。


「学級日誌を持って来ただけなのに……」


 俺は資料室のゆかからタワーみたいに生えたプリントを見てため息をついた。

 たのまれたのは、これを三学年各五クラス、人数分に分ける作業だ。

 スマホで時間をかくにんすると十六時。十八時からバイトだから十七時には学校を出たい。

 明日日直だったら、こんなことたのまれなかった。なんで俺がこんな目に……。

 ため息をついている時間はない。運が悪かったと受け入れて作業を開始することにしてプリントタワーに手をばした。


「一年A組が三十六人。二枚予備を入れるから三十八枚」


 俺はかべってあるクラス人数表を見て紙を数え始めた。

 十枚つかんだつもりが数えると八枚。二枚追加して十になった。同じように二十、三十、あと八枚追加して三十八枚、と。

 それを一年A組の手紙箱にぶち込んでため息をつく。予想より紙を数えるのに時間がかかる。

 これ三学年各五クラス分? バイト間に合う?


つじくん。先生にたのまれたの?」


 声がしてくと、入り口に同じクラスのよしさんが立っていた。

 そろえられた黒くつやつやとしたまえがみに、ななめに入ってくる夕日が反射してキラキラと光り美しい。ゆったりと編まれた三つ編みが正しくかたに乗り、長い手足がゆかかげを落としている。

 彼女は正統派美少女として有名で、性格はとにかく真面目。先週クラス委員を決める時、みんなやりたくなくてだまっていたら、よしさんが立候補してくれた。

 昨日も教室でそうしてたらホウキが折れた。俺は前から「なんかグラグラしてるなー」と思ったけど、だれかが言うだろうと思ってだまっていた。折れたのを先生のところに持って行くと「お前が折ったのか」とおこられそうで、責任を押し付け合ってたんだけどよしさんがすぐに対応してくれた。しっかりしてるのにえらぶらない人格者だ。

 だれが呼んだか『正しい太陽』。正しいのに、明るく、やさしい。

 二年生のクラスが始まって一週間、俺はその『正しい』姿をただ遠くから見ていただけで、一度も話したことがなかった。それなのに俺のみようを覚えてくれている事に感動してしまった。

 よしさんはかみを耳にかけて、


「私も先週これをやったわ。事務の方がせつぱく流産で入院されて大変みたい」

「そうなんだ」

「だから手伝います。私は友達が手伝ってくれて三十分で終わったし」

「え、あ、助かり、ます」

だいじよう


 そう言ってプリントを手に取った。俺は何度やってもプリントを一度で十枚を手に取れないけど、よしさんはれただけで十枚を的確に手に取り、テキパキと仕分けていく。そのがない姿に思わずれてしまう。視線に気が付いたのか、俺のほうを見て、


「毎回たのまれるから慣れちゃって」

「いや、すごいなと思って」

かくれた特技かも」


 と小さくりようかたを上げてしようした。そして宣言通り三十分で作業を終わらせた。


「じゃあまた明日。おつかれさま」


 と去って行った。お礼を言おうと思ったらもう居なくなっていて、俺の「ありがとう」はくつばこすきに消えていった。先生にめられるわけでもないのに自ら手伝う……本当にこんな子がいるんだな……と感心してしまった。まさに『正しい太陽』。

 俺だったら見かけても「可哀かわいそうに」って、スルーする。帰る。だって得がないし。

 スマホを見ると十七時前だったので、あわてて教室にもどり学校を出た。


「店長、これどこに持って行けばいいんですか?」

「それは南通りの店だ、よろしく」

りようかいです」


 バイトにはゆうで間に合った。やっぱり十七時に学校出れば十八時には着ける。

 俺はできあがったからげとポテトを入れたリュックを背負って裏通りに出た。

 ツンとにおってくるのはションベンくささ。ビルのすきに置かれているゴミ箱からは生ゴミがあふれかえっているが、すきを慣れた足つきで走った。

 俺はサラリーマン家庭で育ったつうの高校生だけど母親の母親……ばあちゃんははん街に何軒もクラブを持っている経営者だ。

 実は中三の時に色々あって三ヶ月学校に行けず、不登校になった。

 その時ばあちゃんに「ひまなら走れ!」と言われてこの店の配達員としてされた。

 不登校になった受験生をこんな地域でバイトさせるなんて……と母さんはばあちゃんにキレたけど、今まで先生と親しか大人を知らなかった俺にはしんせんだった。

 頭がいいのに学歴がなくてキャバクラの店長してる人、有名ぎようで働いてるのに女の子のかみつかんでるバカ男、高学歴なのにホストにハマってふうぞくで働く女の人。

 これで大人って……と最初はどこかバカにしてた。

 でもどう見ても子どもな俺が、昼間学校行かずに外を走っててもスルーしてくれる、何も聞かない、ものみたいにあつかわず、つうに接してくれる。

 ただからげを持って走る日々。

 そのうち落ち着いてきて、夏休み明けのタイミングで学校に復帰して高校に合格、それからずっとここでバイトしてる。

 町はきたないし、ビルにエレベーターは少なく、かんと体力はひつだ。それでも学校とちがう世界が俺には必要みたいで、バイトを続けている。

 階段をがって目的地のキャバクラに入って店長に一声かけてからげを置いた。

 店にもどるために階段を下りてビルのすきに入ろうとしたら、女の子のさけごえが聞こえた。


ちがうって言ってるの! 引っ張らないで!!」

「ぜってーお前だよ、この顔何度も見たんだよ! お前が連れてった店のせいで俺の人生終わったんだよ、ああん?!」


 大声を上げてるのはスーツを着ているサラリーマンだ。

 真っ赤な顔をして女の子のベージュのかみつかみ、さけんでいる。

 女の子のスカートは短くてハイヒール。どっからどう見てもギャルだ。


「お前が連れて行った」……ぼったくりとつながってるデートクラブにだまされたのか? 女の子と安くお茶して、少しトランプでゲームしたら十万要求されるってヤツ。女の子は男からげようと頭をって、


「だからちがうって! 私はそんなことしてない!!」


 とさけんでいる。

 本当にこの町はケンカばかりだ。俺はからげを出して軽くなったリュックを背負い直した。

 男同士のなぐいは毎日見るし、女の子がホストをカバンでなぐっていたり、ぱらいが通りを歩く女の子全員にケンカふっかけてるのもよく見る。

 あまりに日常でそれにかいにゆうしようとする人はいない。関わるなんて逆にこわい。あの男が何持ってるか分からないし、デートクラブに連れて行ってぼったくるなんて良くある話だし。こんな町に来てるんだから、自己責任でなんとかするのがこの町のルールだ。

 俺はその場をはなれようとした。


「こっち来いよ!」

はなして! ひとちがいって言ってるでしょ? どうして分かってくれないの?!」


 ……この声。

 俺はいつしゆん立ち止まって、さわいでいる方にもどった。なんだか聞き覚えがある気がする。