吉野さんはバッグを手に持って、
「いつもキチキチしっかり。誰に見られても大丈夫な私でいるけど……今日学校で、こっそり素の自分になったの、ものすごく興奮したの」
「……おう」
興奮。そんな言葉を吉野さんが言ってる時点で興奮してしまう俺はマジで安い。
吉野さんは俺のほうを見た。
ゴールドのアイシャドーが塗られている瞳は少し潤んでいて、引き寄せられるように目が離せない。
温度を感じて自分の太ももを見ると、そこに吉野さんの手が置かれていた。
細くて長い指。
……ちょっと、あの。
身体がビクリとしてしまうがなんとか耐える。
「本当の私を知ってる辻尾くんにお願いがあるんだけど」
吉野さんは俺の太ももに置いた手に体重を乗せて、グッ……と近づいてきた。
艶々とした口紅が塗られた唇が開く。
「たまにああやって学校で私を穢してくれないかな」
「……穢す?」
「触れて、近づいて、私を私にしてほしい。学校は私にとって、絶対に悪いことしちゃダメな所だからこそ、だめなこと、こっそりしたい」
そう言って吉野さんは俺の太ももの上でツイと指を立てた。
やばい、これはかなりヤバい。
俺は唾を飲んだ。
吉野さんは目を細めて視線を逸らして小さくむくれる。
「ダメって、何もエッチしたいとかじゃないよ」
「お。おう」
俺はさっきからキョドって「おう」しか言えない。
「学校でこっそりと素の自分になりたい。それってお母さんに勝ったみたい」
お母さんに勝つ……?
学校で素になることと、勝利の関係性がよく分からないけどコクンと頷く。
吉野さんは俺の目をまっすぐに見て続ける。
「私のこと全部知ってる……秘密の親友になってくれないかな?」
秘密の親友。
その響きがなんだか甘美で嬉しくて、コクコクと頷いた。
「俺なんかでよければ全然。俺も今日なんかすげードキドキして、嬉しかったし」
「良かった──。学校と外で違いすぎて、ドン引きされてるかと思ってたー、良かったー」
そう言って「はあ」と力を抜いて両肩を下ろして眉毛もフニャリとさせた笑顔を見せた。
さっきの妖艶な表情とは別人みたいで、ドキドキして息が苦しい。
吉野さんは右手の小指をピンと立てて、
「秘密の親友、指切りげんまん?」
と小首を傾げた。長い髪の毛がさらりと肩から落ちる。
俺は唇を嚙んで手を持ち上げ、小指を立てて、ゆっくりと吉野さんの細すぎる小指に近づけた。
その奥には潤んだ真っ黒な瞳で見ている吉野さんがいる。
絡めるように吉野さんの小指に、自分の小指を巻き付けると、キュッと吉野さんの小指がきつく俺を抱き込んだ。
「裏切っちゃダメよ? 約束なんだから」
そう堅く結んでからパッと離して、吉野さんは立ち上がった。
俺たちは会計を済ませて店の外に出た。吉野さんは「じゃあまた明日学校でー」とカフェに消えていった。
俺の右手小指は、まだじんじんとしびれていて胸がドキドキと高鳴りすぎて息が苦しい。
ほぼ叫びながらバイト先に戻った。
第3話 少しでも近くに、一緒に
「……ミナミさん、ポテトどうです? これは俺のおごりっス」
「わーい頂きまーす。なになに? 告白? ミナミ彼氏と超ラブラブだから困っちゃう~~~」
「違います。ちょっと話聞いて欲しくて……」
さっきから雨が降りはじめて町自体に人が少なく、配達先にミナミさんがいるおっぱいカフェがあったので、注文と一緒に作り置きしてあったポテトも持って来た。
ミナミさんは二十一歳で、ここら辺で働いてる人の中では最も年齢が近く、それでいて大人びているので相談しやすい。ミナミさんは彼氏の起業を応援のために働いてるらしいけど、細かく聞いていない。まあばあちゃんが相談に乗ってるから大丈夫だろうと思っている。
俺は雨だれの音が響く裏口の扉を背に、ずるずると座り込んだ。
「……ミナミさんは、誰かに『自分を穢してほしい』って思ったことあります?」
バイトしながら、ずっとその言葉が気になってた。
どういうことなんだろう。俺に何を求めてるんだろう。
ミナミさんは持っていたたばこを取り出して火をつけた。
「穢してほしいってたぶん、死なないように殺してほしいってことだと思うよ」
「……はい?」
予想外の言葉に俺は首を傾げてミナミさんを見た。
ミナミさんは美味しそうにたばこを吸い込んで、煙を吐き出した。雨で湿った空気が煙を飲み込んで消えていく。