第1話 正しい太陽 ⑥

「一年の時に町でジュース配るバイトしてたの。その時うちの学校の子たちが通りかかったんだけど、全然気がつかなかったよ。だからつじくんすごいね」

「昨日会った……えっと、ほら、女の人、ミナミさん」

「おっぱいさん!」


 おっぱいさんとよしさんが言ったので、横の席に座っていたカップルがこっちをチラリと見た。それに気がついてよしさんは俺の方にごとズルルと寄ってきて、


「(……大きな声で言っちゃった。だってすごかったんだもん)」

「……まあ、うん、ミナミさんはきよにゆうカフェにいるからな」

きよにゆうカフェ?! ……あわわ」


 また大声になってしまったことを気にしたのか、よしさんは手で口を押さえて、俺にもっと近づいてきた。そのたびにふわりと甘い香りがして、ひだりうではもう完全によしさんに密着している。……Dカップかな……俺はくびけたおっぱいをよく見ているしんだから分かる……。

 意識を遠ざけることで俺はなんとか冷静な表情を保ち、クソ苦いコーヒーをブラックで飲んだ。もっと話したい。スマホの画面を明るくして時間をかくにんした。

 するとバイト開始まであと三十分だった。


「あの店でバイトしてるってことは、えとかあるよね? 何時にもどればいい?」

「……そんなこと気にしてくれるんだね、ありがとう」

「いや、女の子のえって時間かかるから」


 ミナミさんは、昼におかたい会社でOLして夜はおっぱいカフェで働いている。

 こう室に来るときは黒スーツにメガネくろかみなのに、一気にキャミソール姿のエッチなお姉さんに変身するんだけど、その作業には三十分かかると言っていた。

 よしさんは横の席でえへへと笑い、


「パーッといで着るだけだけど、ウイッグが取れないようにえるから十五分前には出たいかも」

りようかい。じゃああと十分は話せるかな」

「……こんな風に私の時間を気にしてくれるの、うれしいな」

「いやいや、いつまでも話しちゃいそうだったから」


 そこまで言って、よしさんとずっと話したいと自ら告白してしまったことにくちびるんだ。

 そんなことは全く気にせずよしさんはゴールドのアイシャドーが乗っているじりを下げて、


「わかる! 今すっごく楽しいよ。あのね、つじくんの『がんったおく』ってどこが最初?」

「ええ? がんったおく……?」


 とつぜん何のことだろうと思いつつ、自分のあごを持って思い出してみる。

 がんった……明確に覚えているのは……。


「小学校のころ、白米食べたあとに飲まされる牛乳がきらいでさ」

「あ──、わかる。よく考えると小学校の時しかしてないよね、あれ」


 そういって両手をパチンとたたいて笑うと今日は長いよしさんの黒いかみがピョンとねた。

 動きのひとつひとつがわいくて、少し近づいて話す。


「飲まないと昼休みなし! って言うから、一気に飲んだ。それが最初かなあ」

「昼休みに残って食べてる子、いた! あれイヤだよねえ。私の最初のがんったおくようえんのおゆう会でね、私は主役だったの。『絶対に失敗できない』『みんな見てるんだから』ってすっごくがんったの。あれがトラウマで今も歌が苦手」

「今も?」

「そう、今も全然好きじゃないよ。毎日家でお母さんと練習してね、すごくつらかった」

「ああいうのって親の方が張り切るよな。うちも家族総出で見に来てビビった」


 小学校の時の発表会に、母さんもばあちゃんも、父さんの母さんもじいさんもその弟まで居て、一体何なんだ? と思ったのを覚えてる。

 よしさんはストローで少しオレンジジュースを飲んで視線を外し、


「そう。家族のががんるよね。でも私は苦手で……。おゆう会の時ね、いつも仕事でいそがしいお父さんも来るって事になって、お母さんがさらにヒートアップしちゃって」

「あー……なるほど」

「私のお母さんは市議会議員をしてるの。教育関係ではちょっと有名な人でね。子どもの教育とか、権利とか、そういう講演会とかもしてる人なの」

「えっ、マジで?」


 そんなこと知らなかった。よしさんはスマホを解除して写真を見せてくれた。

 そこには出版記念パーティーで着物を着て立っている美しい人……その右側によしさん。左側にLINEのアイコンでも一緒に写っていたわいい人が立っていた。大きなホールの真ん中でライトを受けて話し、ごこうれいな人と握手してがおを見せている……そんな写真が無限に出てきた。

 よしさんがスマホを机に置いて、


「テレビに出てるわけじゃないからクラスメイトは知らないけど、学校関係では有名人で、校長先生も知り合いなの。学校の先生たちもみんなそれを知ってる」

「げ」

「『げ』でしょ。マジで『げ』。お母さんがそういう関係で有名人だからさ、私は絶対に『ちようしっかりしてないとダメ』なの」

「だからあんなに優等生で勉強もして委員長までキメて、あげく先生のれいまでしてんのか」

れい笑う! いや自分で言ったんだけどね。学校での生活は全部お母さんに知られてると思う。しっかりしたちゃんとしたむすめ。その評判は絶対にくずしちゃダメ」

「そうなの、か……?」


 そんなのめちゃくちゃ息苦しいと思うんだけど。

 よしさんはカランとストローで氷を回して、


「お母さん、昔はつうの主婦だったんだよ。でもお父さんの願いをいで、すごくがんって今の地位まで来てるの。今は国会議員めざしてがんってる。それを横で見てたから、私は絶対にじやしたくないの。優等生を演じなきゃ……と思うより、お母さんのがんりをじやしたくない気持ちが大きいよ。妹ほどゆうしゆうじゃないけどできる限りおうえんしたいと思ってる」


 そう言ってよしさんはコップの残っていた氷をガリッとんだ。

 じゃり、じゃり、とかみくだく音がひびいて、よしさんは口を開いた。


「でも家でもしっかりしてなきゃいけなくて息苦しくて、早く家を出たいの。そのためにお金めててバイトしてる感じ」

「一人暮らしするために?」

「そう。許してもらえる気がしなくて……。でも絶対出たいから。そのためのお金」


 聞いていてやっとなつとくができた。ここは高校生がバイトしにくるには、リスクが高い場所だ。

 ぱらいがからんでくるし、も変態も山ほどいる。でも女子高校生はトップランクの価値があって、げんえきだと特にバイト料が高い。優等生のよしさんがどうしてこんな所でバイトを……? と思ったけど、家を出たいからなのか。俺はかみを見て、


「でも家で変装したら、さすがに色々バレない?」

「えへへ~~。家族がトランクルームを借りてるの。昔の荷物がメインでみんな存在を忘れてるんだけどね。そこの奥のほうにこっそり置いてて……ほら、見て」


 見せてくれた写真にはたなが写っていて、カーテンらしきものが見えた。

 その奥のしようケースにかくされるように服やウイッグ、それにメイク道具が置かれていた。


「なるほど、家にはいつもの服装で帰って、ここで変身してるのか」

「そう。最初はつうのファミレスでバイトしてたんだけど、時給悪すぎて、あと勉強も手をけないから、そんなに長く働けないし。でも最初に必要なお金だけでも早くめたくて」

「わかる。時給が低いとマジでかせげないよな」

「そうなの──。もう無理! って思って今の女子高校生けんのところ見つけたの。まあ制服はちょっとアレな所が多いけど、変身するお金もかせげるし楽しいよ」


 そう言ってよしさんはスマホをポケットに入れた。

 あ、もうそろそろ時間だ。授業中は全然時間が進まないのに、楽しい時間は秒で消えていく。