いつもはここに置きっぱなしの黒のパーカーに黒いパンツだ。家で着古した服を適当に着ている。制服がないのでセルフ制服なんだけど、店内はずっと揚げ物をしてるので、服がものすごく油臭くなる。そんな服で吉野さんに会いたくない。だって昨日の吉野さんはすごく可愛かったから。
でも昨日の服をもう見られてるから、ここで頑張りすぎるのも変か?
いや、汚い服装より、キレイな服の方が良いに決まってる。だって昨日の吉野さんの白のVネックとミニスカ可愛すぎた。Vネックの隙間から見えてたキャミが黒なのがまた良かった。長い足がスラリと、もう最高だった。
少し高めのシャツにカーディガンを羽織った自分を見て、やっぱカーディガンはないのでは? といつものパーカーを羽織ったが、臭い。
やっぱこれじゃない。今日はカーディガンで行く。穴だらけのGパンじゃなくて普通のスラックス。でもこれが臭くなるのはイヤだからバイト前に着替えよっと。
その服装で控え室から出ると、パートで働いている品川さんが目を細めた。
「あら。陽都くんカッコイイじゃない。頭良さそうに見えるわよ」
「頭良くないです、何個かどーしても解けなくて困ってるんです。週末バイト前に勉強見てもらっていいですか?」
「いいわよ。数学?」
「そうです、引っかかってそこから動けなくて」
「じゃあ日曜日の交代前で良い?」
「よろしくお願いします」
俺が頭を下げると品川さんは唐揚げを並べながら、
「礼と遊んでくれるの助かるし、全然いいのよ」
「礼くん、足めちゃくちゃ速いですね。もう勝てないです」
「バスケが好きみたいなのよねー」
そういって品川さんは微笑んだ。品川さんはこの店で長くパートとして働いている人だ。
昔有名塾で講師として働いてたんだけど、生徒の子どもを妊娠。妊娠させた生徒の親と塾は、品川さんだけを責めて追放した。そして品川さんは保育所があるうちのキャバクラに入店してきた。でも過去を知ったばあちゃんが自分が持ってる塾に講師として採用。品川さんはそれから塾講師をしながら、ここでパートとして働いていて、俺はたまに息子の礼くんと公園でバスケをしている。
俺は塾で他の先生に習ったこともあるけど、正直品川さんのほうが教えるのがうまい。ただ答えに導くだけじゃない、次も必ず解けるように指導してくれるんだ。こんなに頭が良くて有名大学出てるのに、ひとりで子育てするのは経済的に大変だと思う。
妊娠させた男はほんとクソだと思うけど品川さんは「私が好きで産んだの」という。
品川さん見てると、勉強って、大学って、何だろ……と思うけど、クソ男に引っかかっても勉強してたから、こうやって講師の仕事もできるわけで。
品川さんは「学歴は人生の靴みたいなもので、履いてたほうが安心。まあなくても歩ける」と言う。よく分からないけど、少しだけ分かる。そんな品川さんをすごく尊敬してるし、信用してる。
俺は背筋を伸ばした。
「……変じゃないですかね。こう、頑張りすぎてないですかね?」
「ちょっと~~。綾子さんには絶対秘密にするから教えて? デート?」
「絶対ばあちゃんに言いますよね?! 違います、全然そうじゃないんですけど、とにかく……めっちゃ可愛い子とお茶飲んできます」
「やだ──。妊娠させないでね?」
「……品川さんがいうと重みハンパないッス」
「ゴム持った?」
「お茶です!!」
「かっこいいわよ、大丈夫。自信持って」
「……はい」
俺は品川さんに頭を下げて店を出た。
この店は地下鉄の駅から徒歩五分程度の所にある。夕方のこの時間帯は仕事を終えたサラリーマンたちが飲み屋に消えていく。居酒屋に呼び込む声、そばの出汁の匂い、これから出勤するキャバ嬢たちの笑い声と、ゲーセンから聞こえてくる爆音。俺はこの繁華街が好きだ。
慣れた裏路地を歩き、待ち合わせの喫茶店に向かう。指定したのはバイト先から少し離れた所にある、小綺麗な喫茶店だ。
どこにしようか悩んだけど、ここら辺で二年バイトしてると顔見知りの店が多くて、女の子と会っててネタにされない店を一瞬で必死に考えた。
品川さんや昨日会ったミナミさんも、みんな俺をイジって遊ぶんだ。やめてほしいけど……色々相談には乗ってほしい。自信ないけどスタート時点でかっこつけたから、このまま大人っぽい町で働くキャラで吉野さんの前に立ち続けたいんだ!
一階の店の窓ガラスで髪の毛と服装を確認して店に入ると、窓側の席にもう吉野さんが座っていた。
今日の髪型は昨日とまた違う……黒髪ロングは背中まである……それに白色のハイネックセーターにスリットが入ったロングスカートに黒くてごついブーツ。
ん───、可愛い。昨日のVネックとミニも良かったけど、スリットもすごくいい、ものすごくいい。少し咳払いをして声を整えて、
「……待たせた?」
俺がそう言って近づくと、長い黒髪をくるりと回してパアアと笑顔を見せて、
「辻尾くん! 私が早く来ちゃったの。だからここで待ってたの。今日も私が一目で分かった?」
と目を細めた。その目の上は学校とは違いキラキラとしたアイシャドーがのせてあり、口紅は控えめなピンク色だ。
……可愛い。俺はドキドキしたが冷静な表情で答える。こんなことでキョドると思われたくない、知識だけはある。
「俺女の人の変身よく見てるから、わりと分かる。昨日も動いた時にベージュのウイッグの下から地毛が見えて吉野さんだって確信したんだ。今日は黒髪ロングのウイッグなんだね」
「そう! 見て見て! 今日はネット被らないタイプのやつで、上は自分の毛なんだよ。その下にぐる──っと回すみたいに紐があって、それで地肌にくっつけてるの」
「それだとフルウイッグと違って頭が蒸さないって聞いたことがある」
「やっぱり辻尾くん、大人っぽい所で働いてるだけあって、冷静だし何でも知ってるんだね」
……冷静キャラ、どうやら成功してるみたいだ。
俺は椅子に座って店員さんに手を上げた。
「とりあえず話そうか。あ、すいません。コーヒーください」
実の所コーヒーは苦手だが、大人っぽい俺ゆえ、とりあえず飲む。
ギリ飲めるけど、美味しいとは思わない、すっぺーもん。
俺は注文して吉野さんの横に座った。
吉野さんはオレンジジュースを注文していたようで、それを引き寄せて一口飲み、
「私がバイトしてるの、あのメイドカフェなの。店員全員現役JKが売りだけど、あんな短いスカートのJK今時いないよね。あ、見せパン穿いてるから気にしてないんだけどね」
そう言って吉野さんが指さしたのは、大通りに面しているカフェだった。
たしかにあの店は可愛い子が超ミニスカで接客してくれることで有名だ。
吉野さんはストローでカラカラと氷を回して、
「一年くらい前に高校生もOKな派遣会社に登録してね、ここには一週間くらい前にきたばかり。時給が良いところメインで選んでるから制服がきわどい所が多くて。知り合いに絶対バレたくないから始めたガチ変装なんだけど楽しくてハマっちゃって。ウイッグ二十個くらいあるの。見て!」
そう言ってスマホロックを解除して写真を見せてくれた。
そこには色んな色のウイッグ……ピンクからベージュ、長さもロングからショートまでたくさんあった。それを着用して自撮りしている笑顔は、どれも学校と全然違う濃いメイクだ。