不登校になってからずっと送り出す言葉はこれだ。
もうやめてくれと思うが、逆に「二度と不登校なんてならないでほしい」という願いが透けて見える。不登校になる前は推薦で高校に行くつもりだったけど、三ヶ月休んだことで消えた。
決めた高校は電車で一時間かかる私立で、推薦で決まりそうだった高校より偏差値も低く授業料も高い。迷惑かけたのは間違いないので、心配は素直に受け取ると決めている。
「チョリッス、陽都。マジネムすぎ。配信面白くて気がついたら朝だった」
登校すると、学校の下駄箱で同じクラスの親友……中園達也に話しかけられた。俺は上履きを出しながら、
「昨日大変だったんだぜ。内田先生に仕事頼まれてプリント地獄」
「いや、お前がそれを俺に頼んだとしても、俺は見捨てた。ゲームの約束してたし」
中園はキュインとウインクした。同時に天パの茶色の髪の毛がモファと揺れた。
コノヤロ……と思うが、まあ俺も頼まれたらバイトを理由に逃げる可能性が高い。
中園は同じ中学出身のゲーム好き。頭も言葉もチョロいが、盗撮事件の時にたったひとり「陽都がやるわけねーじゃん」と俺を信じてくれたヤツで親友だ。推薦が消えたのは残念だけど、中園がいるのは正直嬉しい。
後ろのドアから教室に入ると、一番前の席に座って本を読んでいる吉野さんが目に入った。
昨日の夜とは全然違う。ゆるく編まれた三つ編みを肩に乗せ、背筋をピンと伸ばしている。
このギャップに驚かなかったかと言われたらもちろん驚いたけど、夜の街では男が女に変身する世界だ。だから受け入れられたけれど、あの姿を見た後だと、学校の姿を見るほうがドキドキする。
吉野さんは声で気がついたのか、本を置いて俺の方をチラリと見て、目を細めた。
……おお。アイコンタクト。なんか秘密の関係って感じでドキドキする。
するとすぐにLINEが入った。見ると吉野さんからだった。
『待ってたよ、おはよう! 今日バイト前に話せる?』
チラリと席のほうを見ると、吉野さんは本を読みながら机の上にスマホを置いている。
待っていた、俺を。
スマホを握る手が汗ばみ、シャツで拭った。
ざわざわと騒がしい教室の中。昨日までただのクラスメイトだった俺と吉野さんがふたりだけの話題で話してるなんて誰も知らない。
そんなのすげー興奮する。でも冷静な表情を装って、
『じゃあこの店で十七時に待ち合わせはどうかな。バイト先の近くなんだ。んで俺は十八時からバイト』
と返した。それはすぐに既読になり、
『私も十八時からバイト。じゃあ十七時にいく。一時間は話せるね。またあとで!』
とクマのスタンプが踊った。チラリと吉野さんを見ると他のクラスメイトと一緒に教室を出て行った。
俺はスマホをポケットに入れてニヤニヤする唇を嚙んで机に倒れ込んだ。
やべえ、これ、なんだかすげぇ楽しいんだけど。
ニヤニヤしていると、視界に中園の巨大スマホが転がり込んできた。
画面にはFPSの試合が映っている。
「なあ陽都。コレ見ろよ、エイムやばくね?」
「……いや、マジで落ち着かないわ」
「見ろよ、この角からの飛び出し。マジ何で反応できるんだって感じだよな」
「……もう緊張してきたわ、楽しみすぎる」
正直俺はまだ心臓がドキドキしていて、中園の話なんて一ミリも聞いてなくて自分が言いたい言葉を吐いている。でも中園はゲームのことしか頭にないので、俺が話半分しか聞いてなくても気にしない。だがそこがいい。
「これラグじゃねーのって言われてるけど、どう見える?」
あまりにもグイグイと画面を見せてくるので、仕方なく意識を戻す。
「……昨日の大会?」
「そうなんだよ、これ見てたら深夜二時。マジで眠い。課題写させて」
「自分でやれ、バカ」
中園はここの高校にギリギリの成績で滑り込んだ男だ。
それでもプロゲーマーに誘われるほどゲームが上手くて、顔出し配信もしている陽キャでクソモテる。俺もゲームは中園とたまにするけど、何時間もしたくない。理不尽に殺戮されて腹立つだけだ。中園は一日最低でも七時間やるって言ってたから、そりゃもう「向いてる」ってやつだろう。ゲームにしか興味がない中園といるのが、俺は気楽だ。
声がして廊下を見ると内田先生と一緒に大量のノートを運んでいる吉野さんの姿が見えた。
内田先生に言われて、吉野さんは再び廊下を歩いて行く。
……他にも何か運ぶものがあるのか?
少しだけでもいいから話したい。
昨日のことが夢じゃなかったと感じたい。
動画を流しながら延々語ってる中園に「トイレ」と伝えて吉野さんの後ろを追った。
目の前を歩いている吉野さんは、ゆるく編まれた三つ編みを揺らしながら歩いて行く。そして資料室に入り、ノートの束を持った。俺は横から近づいて話しかけた。
「……運ぶの、手伝い、ます」
「あ。……ありがとうございます」
俺が半分ノートの山を持つと、横に立った吉野さんもノートを少し持ち、そのまま身体を俺のほうにトン……とぶつけてきた。
え? 学校では近づかない方が良かった? 俺調子に乗ったかな? と横を見たら、吉野さんが俺の耳に口を近づけて小さな声で、
「(助かっちゃった。いつも頼まれるの。マジ奴隷。ありがとう)」
と言った。耳元にふわりとかかる息と甘く香るシャンプーの香り。
吉野さんが小声なので、俺も小声で、
「(いつでも手伝うよ)」
「(……嬉しい。ノートって重たいんだもん。疲れるよ)」
そういって目を細めて微笑み、俺のほうを見た。
昨日と同じ話し方なのに、学校の姿の吉野さんがそこにいた。
……やべえ、やっぱり夢じゃなかった。
あの吉野さんと、この吉野さんは同じ人だ。
俺は緩んでしまう口をなんとか戻して、吉野さんと一緒にノートを持って教室に戻った。
そして「学校ってこんなに時間進むの遅かったか?!」とイライラしながら授業を受け、たまにスマホを取りだして吉野さんとのやり取りを見てニヤニヤした。
バイト先で会う……ちょっと待てよ、バイト先の服って油ですげー臭いから一回家に帰って服を取ってこよう。
母さんにバレないようにバーッと入ってバーッと逃げだそう。
いつもの臭い服で吉野さんに会えない。
第2話 吉野さんとふたり、喫茶店で
「おはようございます」
「あら陽都くん、今日は早いのね」
「バイト前に近くの店で人と会うので」
学校が終わり次第、鬼のような速度で家に帰り服を摑んでバイト先に駆けつけた。
基本的に俺は、日曜日と平日の十八時から二十一時までバイトしている。ばあちゃんに投げ込まれた場所だけど、時給が良く、貯めたお金でパソコン周りに課金できるし、服も買えて楽しい。本当は二十二時までバイトしたいけど、それはさすがに勉強する時間がなくなる。母さんはばあちゃんが紹介したここを良いと思ってなくて、隙あらば辞めさせたいと思っている。成績が落ちたらそれを理由にされるのは目に見えているから、成績は落とせない。
大学は行くつもりなんだけど……正直大学行ってまで学びたいことがないし、ここで働いてる人たちは、良い大学を出ても大変そうな人が多い。だからそれを目指す意味が分からなくてやる気が出ない。
「うし。こんな感じでいいだろ」
制服をハンガーにかけて、控え室にある鏡で全身をチェックする。