第1章 迷宮の誘惑 ①

「他人のやってるRPGをはたから眺めるほど詰まらないことはない」


──『ソードアート・オンライン1 アインクラッド』




 もし、この手記が俺以外の誰かの手に渡り、読まれているのだとしたら、そのとき俺はすでに死んでいるのだろう。

 ──などと、柄にもなく感傷的な書き出しを試みたのは、死体も残らず、跡形もなくこの広大な電子の海に溶けていくであろう数分後の未来を思い、恐怖や悲哀よりもただむなしさを覚えてしまったためだ。

 この石と鉄の巨城で繰り広げられている剣と戦闘の世界は、あまりにも空虚だった。

 得られるものといえば、ささやかな経験値とくらい。

 対して失うものは、比較にならないほど大きいものばかりだ。

 日々消費されていく有限のリソース。無慈悲に過ぎ去る《現実》の時間。

 そして何より──大切な仲間の命。

 俺はこの地獄のようなもう一つの現実が始まってから、常に何かを失い続けてきた──。


 ──いや、泣き言などそれこそリソースの無駄か。

 データ容量も限られているので単刀直入に書くが、ありていに表現するならこれは遺書だ。

 俺の最後の意思を、誰かに伝えるためにこれを記している。

 俺の願いはただ一つ。

 どうか、俺の身に起きた、ぜんだいもんの殺人事件を解決してほしい。

 本当に殺人事件なのか──そう改めて自問すると、具体的な確証があるわけじゃない。

 だが、あまりにも不可解な出来事が連続しすぎて、その裏には何者かの悪意が介在しているような気がしてならないのだ。

 いずれにせよ、その解決を俺が知る機会は二度とないのだろうが……構うものか。

 俺はただ、誰かに知ってもらいたいだけなのだ。

 俺が、この史上最悪のデスゲーム《ソードアート・オンライン》から退場したのかを。

 死体も残らないこの世界で死後に唯一残せるものは、おもいだけだ。あるいは、それも誰かに見つけられるまえに耐久値が尽きて消えてなくなってしまうかもしれないが……。

 とにかく、誰かの手に渡ることを願って、俺はこの手記を残す。

 元々日記として書いていたものに前書きを付け足しただけだから、偉そうなことは言えないが……。


 さて、事の起こりは、二〇二三年九月二十三日。日本では秋分の日に当たる。

 この昼と夜の時間が大体等しくなる特別な日に、俺たちの探索ギルド《アルゴナウタイ》は、二十層《ひだまりの森》の端にひっそりとたたずむ洋館を発見した。

 事前に情報がなかったダンジョンの発見に色めき立ち、俺たちは興奮した足取りで、大した準備をすることなくダンジョン内に踏み込んでいった。

 その頃、最前線は三十層台の終盤。二十層のダンジョンならば、それほど強力なモンスターも出てこないだろうと高をくくった。

 だが、ダンジョンの名前を目にしたとき──気づくべきだった。

 館の名は──《迷宮館》。

 古来、迷宮には怪物がむと言われている。

 先人たちが残してくれた生きるための知恵。だが、俺たちはそんなあかの付いた常識を気に留めることすらしなかった。だから……後に痛いほど思い知らされる。


 迷宮館ラビユリントスには、本当に恐ろしい怪物ミノタウロスんでいた──。


1


「……なんだこれ?」


 いつの間にか、当たり前のように所持していた紙束を見つめながら、俺は首をかしげた。

 改めて紙束を確認してみる。紙自体は一般的で、近くのショップにも売っているくらいのものだから、そこから得られる情報はない。問題は、俺自身がこの紙束をどこで入手したのか、とんと思い出せないことだ。

 文面からすると日記のようなので、おそらく誰かが実際に記したものを、拾ったか譲り受けたかしたのだと想像するが……少なくとも関係する記憶は全くなかった。

 それに──。

 紙束をテーブルの上に放り、不気味に思いながらにらみつける。

 何よりも気掛かりなのは、その内容。

 ──《ソードアート・オンライン》。

 今やその名を知らぬ者などいないと言ってもいいほどに悪名をとどろかせた、ぜんだいもんのデスゲーム。最終的に四千人もの犠牲者を出したと言われる、史上最悪の大量殺人事件。

 紙束の書き出しは、嫌でもかの事件を想起させる。それどころか──。

 まるで《ようではないか。

 それからすぐに、いや、と否定する。

 そんなことはあり得ない。ならここは──。

 脳裏をよぎった可能性を打ち消すようにかぶりを振った次の瞬間、部屋の扉が勢いよく開かれた。


「ただいま! いい子でお留守番ができていたかな、助手くん!」


 戸口に立つ少女は、珍妙な格好をしていた。

 身にまとっているのは、オーバーサイズな男物のインバネスコートと鹿撃ち帽──いわゆる、《シャーロック・ホームズ》の衣装。ただし、鹿撃ち帽の左右からは猫の耳のようなものが、コートのでんからは、猫の尻尾のようなふさふさした黒毛が飛び出していた。

 帽子の下からは黒々として豊かな、そしてにも柔らかそうなショートカットのくせっ毛があふている。またこの世界では珍しい北欧ふうの彫りの深い顔には、意志の強さを示すくっきりとした眉と、好奇心の豊かさを表した大きな瞳がらんらんと輝いていた。

 ──ケットシー族。

 九種の妖精族の中で、最も視力に優れた種族の少女を見て、俺はあんにも似た息を吐く。

《ソードアート・オンライン》の中で書かれたものが、この世界に存在するはずないのだ。

 ならここは──《妖精郷アルヴヘイム・オンライン》なのだから。



 仮想現実──バーチャル・リアリティ。

 コンピュータの中で作られた、もう一つの現実。

 二十世紀、科学技術が発展していく中で人類が夢見た、少し先の未来。それはミレニアムをとうに過ぎた二〇二二年五月に至り、ついに夢でなくなった。

《ナーヴギア》と呼ばれる人間の思考と機械をつなぐことができる特殊なインタフェースの登場により、人類はついに念願だった本物の仮想現実を手に入れたのだ。

 ナーヴギアは、電磁パルスにより装着者の脳とコンピュータを直接つなぐ。そのため、従来必要であった操作のためのコントローラすら必要なく、現実の身体からだを動かすときのようにただ意思を発生させるだけで、仮想現実の世界を自由に動き回ることができた。

 これにより仮想現実の世界は、人々にとって身近な存在となり、医療分野などにおいても注目を集め始めるのだけれども……最も人々の関心が集まったのは当然ゲーム分野だった。

 その結果、インターネットを介して世界中の人々と共に、仮想現実として作られたゲーム内世界を共有する仮想大規模オンライン──通称、VRMMO(Virtual Reality Massively Multiplayer Online)と呼ばれるジャンルが台頭し、一世をふうするようになった。

 今、俺たちがいる《アルヴヘイム・オンライン》も、そんなVRMMOタイトルの一つだ。

 北欧神話をテーマにしたロールプレイングゲームで、プレイヤーは九種の妖精族の中から一種を選び、広大な世界で自由気ままに過ごす。

 空を飛び回ったり、他種族と領土争いをしたり、日々追加される様々なクエストをこなしていったり……その遊び方はプレイヤーによって様々だ。

 近頃は特に、俺のように《アルヴヘイム・オンライン》──ALOに広がる仮想世界《妖精郷》での生活をただ楽しんでいるだけのライトユーザーも増えてきているようだ。

 さて、ここはケットシー領首都《フリーリア》。そのきらびやかで幻想的な街の片隅、まるで人目を避けるようにたたずむ古びた木造家屋の一室である。

 突如現れたケットシー族の少女──スピカは、外出から戻るやいなや、手慣れた様子で紅茶をれ始めた。


「実は今、街で話題のシュークリームがあってね。先ほどたまたま店の前を通りかかったら、最後の二つが残っていたものだから、思わず買ってしまったよ。いやあ、運がよかったね」


 紅茶をれる、とは言っても、ここは仮想現実の世界。湯を沸かしたり茶葉を蒸らしたりする必要はない。アイテムを用意し、手元に現れるウインドウと呼ばれるパネルを指先で操作するだけで、日常の大抵の動作は完了する。

 テーブルの上にはすぐ、赤褐色の液体が満たされた上等そうなティーカップが二つ現れる。カップからは湯気が立ち上り、かぐわしい香りも広がっている。五感が完全にデジタル信号に変換されているとはいえ、ともすればここが仮想現実の世界であることを忘れてしまいそうなほどの現実感リアリテイだ。

 スピカは上機嫌に、自身のアイテムストレージから先ほど街で購入したというシュークリームを取り出して同じくテーブルの上に並べる。


「──おや? この羊皮紙アイテムの束は?」


 そこで先ほど俺が不気味に思って無造作に放った、例の紙束に気づいた。

刊行シリーズ

ソードアート・オンライン オルタナティブ グルメ・シーカーズ2の書影
ソードアート・オンライン28 ユナイタル・リングVIIの書影
ソードアート・オンライン オルタナティブ ミステリ・ラビリンス 迷宮館の殺人の書影
ソードアート・オンライン オルタナティブ グルメ・シーカーズの書影
ソードアート・オンライン IF 公式小説アンソロジーの書影
ソードアート・オンライン27 ユナイタル・リングVIの書影
ソードアート・オンライン26 ユナイタル・リングVの書影
ソードアート・オンライン プログレッシブ8の書影
ソードアート・オンライン プログレッシブ7の書影
ソードアート・オンライン25 ユナイタル・リングIVの書影
ソードアート・オンライン24 ユナイタル・リングIIIの書影
ソードアート・オンライン23 ユナイタル・リングIIの書影
ソードアート・オンライン22 キス・アンド・フライの書影
ソードアート・オンライン21 ユナイタル・リングIの書影
ソードアート・オンライン プログレッシブ6の書影
ソードアート・オンライン プログレッシブ5の書影
ソードアート・オンライン20 ムーン・クレイドルの書影
ソードアート・オンライン19 ムーン・クレイドルの書影
ソードアート・オンライン18 アリシゼーション・ラスティングの書影
ソードアート・オンライン17 アリシゼーション・アウェイクニングの書影
ソードアート・オンライン プログレッシブ4の書影
ソードアート・オンライン16 アリシゼーション・エクスプローディングの書影
ソードアート・オンライン プログレッシブ3の書影
ソードアート・オンライン15 アリシゼーション・インベーディングの書影
ソードアート・オンライン14 アリシゼーション・ユナイティングの書影
ソードアート・オンライン プログレッシブ2の書影
ソードアート・オンライン13 アリシゼーション・ディバイディングの書影
ソードアート・オンライン12 アリシゼーション・ライジングの書影
ソードアート・オンライン11 アリシゼーション・ターニングの書影
ソードアート・オンライン プログレッシブ1の書影
ソードアート・オンライン10 アリシゼーション・ランニングの書影
ソードアート・オンライン9 アリシゼーション・ビギニングの書影
ソードアート・オンライン8 アーリー・アンド・レイトの書影
ソードアート・オンライン7 マザーズ・ロザリオの書影
ソードアート・オンライン6ファントム・バレットの書影
ソードアート・オンライン5ファントム・バレットの書影
ソードアート・オンライン4フェアリィ・ダンスの書影
ソードアート・オンライン3フェアリィ・ダンスの書影
ソードアート・オンライン2アインクラッドの書影
ソードアート・オンライン1アインクラッドの書影