第2章 迷宮の怪物 ①


【謎の手記・第2節】


 入口の朽ちた扉を押し開いた瞬間、俺たちは見知らぬ場所に立っていた。

 薄暗く、妙に広々とした閉鎖空間だった。背後に入口は見えないので、おそらく建物の中へ自動転移されたのだろう。

 洋館型のダンジョン、というのは初めてだ。いつも岩肌がしになっている洞窟や、やたらと意匠の施された城塞のダンジョンを攻略することが多いため、白い壁とフローリングの床が広がるこの場所には、ひどい違和感があった。

 ファンタジーの世界観としては明らかに前者のほうが真っ当で、この洋館の中はまるで現実世界へ引き戻されたように錯覚してしまう。正直言って、居心地が悪い。

 照明器具らしきものは存在しなかったが、三メートルほど離れた天井が薄らと光を放ち、一様に室内をぼんやりと照らしていた。光量は少ないが、見通しは悪くない。

 俺たちが転移させられたのは、目測で十メートル掛ける六メートルほどの長方形の空間だった。ダンジョンとして見れば手狭だが、部屋として考えるとホテルのスイートルームくらいはありそう。古びた外観に反して、中はれいで近代的だ。

 ファンタジー世界の森から、突然現実的な洋館に転移させられ、皆困惑したようにきょろきょろと周囲の様子をうかがっている。辺りはとても静かで、モンスターがポップして襲い掛かってくることもなさそうだ。


「……不気味ですね」


 アタランテのつぶやき。確かに──これまで経験してきたダンジョンとは真逆の意味で不気味だ。にも物々しい、石と鉄で作られたダンジョンと比較して……ここはあまりにもシンプルすぎた。何とも言えないいびつな現実感が、妙な不安をあおってくる。


「こういうの、ホラー映画によくあるパターンっすよね」オルフェウスが軽口をたたく。「なんか、陽キャの大学生がノリで人の家に上がり込んで、家主に一人ずつ殺されていくやつ」

「……不穏当なことを言うな、馬鹿者」


 カイニスの一喝。だが、正直俺も同意見だった。オルフェウスの軽口は、この状況ではジョークとして全く笑えなかった。あまりにも──的を射すぎている。


「どうする? やはり一旦引いて態勢を立て直すか?」


 青色の《転移結晶》を片手に取り出したヘラクレスが、真剣な声色で尋ねてきた。現実でいくつもの修羅場をくぐり抜けてきた彼の提案は無下にはできない。今の状況に何らかの強い危機感を抱いているのだろう。

 だが──《転移結晶》は、どこでも好きな場所から安全な主街区へ瞬時に移動できる優れものだが、如何いかんせん高級品だ。ただダンジョン内に転移させられただけの今使うには惜しい。せめてもう少し情報を収集してからでも遅くはないはずだ。


「……進もう。ただ、いつでも使えるようにみんな《転移結晶》を用意しておいてくれ」


 俺の指示に皆思い思いの顔でうなずいた。

 それから改めて、室内を見回す。部屋の長辺には左右それぞれに道が続いているようだ。あと部屋の中央の床にも、何やら四角い金属の蓋のようなものが付いている。大きさは一・五メートル四方程度。ただの床下収納か、それとも地下にも部屋があるのかは、現状判断ができない。試しに取っ手を引っ張ってみたが、ロックでもされているようにかたくなに動かない。仕方がないので今は無視する。

 二手に分かれるわけにもいかないので、ひとまずは向かって右側の道を進むことに決めた。

 二メートルほどの幅がある必要以上に曲がりくねった長い廊下が続く。枝分かれなどはせずにずっと一本道だったが、方向感覚はすぐに失われ、ともすれば自分がどちらから来たのかもわからなくなりそうだった。

 警戒を怠らないまま廊下を進んでいくと、急に少しだけ開けた場所に出る。


「ここは……キッチンか?」


 アスクレピオスが眉をひそめた。確かにそこは、調理台やシンク、オーブンなどが設置されたありふれたキッチンだった。その見慣れた生活感が逆に大きな違和感を生んでいる。キッチンの壁には、かデフォルメされたゴリラのイラストが掛けられていた。

 戸棚など色々調べたい気持ちを抑えて、ひとまずは素通りして先へ進む。

 右へ左へ四回ほど曲がり角を折れると、今度は最初の広間ほどの大きさの空間に出た。床には赤いじゆうたんが敷かれ、中央には木製の長いテーブルが置かれている。そのほかかべぎわに飾られた調度品の数々から、どうやらここは食堂に当たるらしいことがわかった。


「なかなか立派な部屋っすね。何か上流階級って感じっす」


 興味深そうに調度品を眺めながらオルフェウスが言った。確かに華美ではないが、ハイセンスなインテリアからは品のよさが窺える。椅子は全部で十四脚と十分な数がそろっていた。テーブルもあることだし、話し合いなどをここで行うのもいいかもしれない。

 食堂の壁には、デフォルメされたシマウマのイラストが掛けられていた。何か……意味があるのだろうか。気にはなったが、詳細な調査は後回しにして、また俺たちは先へ進んでいく。

 その途中で、最初の部屋の床にあったものと同じ金属の蓋がまた現れた。また試しに取っ手に手を掛けて引っ張ってみるがびくともしない。やはり力業で開くものではないようだ。仕方なくそのまま通りすぎる。

 続いて見えたのは、三つ等間隔で横並びになったドアだった。これまでのように廊下と一続きにはなっていない個室のようだ。中は六畳ほどの洋室で、ベッドと簡単な書き物机と椅子が置かれているだけだった。


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