近代社会は、途方もない《結果》の積み重ねによって成立している。
幾千、幾億もの賽の目、そのほとんどは些細なものだ。
何を食べ、何を好み、誰を愛して、どのように死ぬか──
それらを決めて動くたびに、運命の賽が転がる。
──蝶の翅が羽ばたくように。
名もなき人々が振った賽の目により、近代社会は成立するのだ。
ここは秋津洲、京東。
賽の目が違えば日本、東京と呼ばれたかもしれない島国の首都。
2度の世界大戦、そして敗戦。冷戦による分裂の危機を経て、情報通信技術の革新が世界を縮め、インターネットにより世界の人々が隣人のごとく繫がった奇跡の時代。
しかし、複雑に張り巡らされた貿易網、流通網を寸断する悪疫が、その歯車を狂わせる。
それ以前、それ以後に世界がハッキリと分かたれる、史上最大のパンデミック。
人類滅亡もあり得た、地球全土で数億の死者を数える地獄。
病のみならず、複雑に入り組んだ貿易網の崩壊が、すでにそれ無しには成り立たなくなっていた各国経済を破壊し、飢餓や貧困、そしてそれを原因とする戦争の恐怖すら蘇らせた。
欧州に端を発する大戦の危機はグローバル経済を殺し、持続可能エネルギー論を終わらせ、化石燃料とブロック経済に回帰し、同盟国とのみ連帯し孤立を深めゆく混迷の時代。
その最果て──
世界最高水準と言われる防疫体制を確立するための超管理社会と成り果てた秋津洲。
人々は家畜の如く、強制参加が義務付けられたSNSのムラ社会に繫がれたまま、喘ぐように日々を過ごし、貧困と繁栄のはざまで息継ぐように生きている。
そんな中、人々を熱狂させる唯一の救い。
世界防疫体制の完成に多大な貢献を果たした巨大企業──《Beast Tech》の福音。
政府承認のもと地域を限定して売り出した究極の解放。
──体感せよ!
奇抜なデザインの缶で波打つ、350mlの自由。
プルタブを引き上げて喉を鳴らし、強烈なフレーバーとテイストに踊れ。
鎖を解き放つ、ここは仮面舞踏街。
あらゆる人々が自分を縛る端末を切り、マスクを外して《獣》に還る街。
社会の軛を外し、悪徳も暴力も容認された必要悪。
超管理社会のブラックホールに人々は魅了され、集い
法なき街で自由を飲み乾して獣に還り、狂ったように踊り続ける。
文字通り人を獣に還すその液体──《怪物サプリ》。
濃厚なコーラフレーバー。ケミカルな後味の甘い液体を飲み乾せば、ある時は虎に、ある時は羊に、ある時は狼に──あらゆる獣の特徴を残すヒトとなり、人々は心に仮面をかぶる。
名も知れず、素性も解らぬ、ただ正体不明の《獣》たち。
禁じられてなお彼らを魅了する背徳、外の世界では決して行えぬ娯楽とは──?
仕切り板など取り払い、酒を浴びるほど飲んでの乱痴気騒ぎ。一切責任など感じることなく行きずりの異性と夜を共にし、破滅を望むがごとくバカげた大金を賭けて博打を打つ。
すべてが自由、それが仮面舞踏街。
ここは地獄のテーマパーク。国が許した官製スラムに、ある噂が流れる。
「──最高にキマる自由が、あるらしい」
ありふれた獣を遥かに超えた絶頂をもたらす魔剤の極み。
遥か昔に絶滅した伝説に変わるとされる《幻想サプリ》の噂は、抑圧されたネットワークの片隅で、社会や学校の暇つぶしとしてまことしやかに語られていった。
結論から言おう。
最高の自由は存在し、街に撒かれたそれが巻き起こす波紋は悲劇と喜劇をもたらす。
これは超管理社会に生まれた《怪物》たちの物語。
懸命に生き、ささやかな自由を満喫しながら進みゆく少年少女の伝説が──今、始まる。