1st chapter 轢き逃げ人馬(ケンタウロス) ①

 夜、とあるさびれた街角。

 築半世紀はっていそうなコンクリのかべに無数の室外機。

 びたベアリングが音をたててファンを回し、カビくさなまぬるい風を起こしている。

 ビルの谷間には窓からてられたとおぼしきゴミぶくろが積み上がり、くさったバラ肉じみた層を形成して、白くのぼはつこうガスが室外機の風にゆらゆら、ぼうれいのように立っていた。

 この街はゴミめだ。

 表通りはせいそう会社のじゆんかいも来るが、道を2つもはさめば地主も管理をほうしたはいきよが連なり、後ろ暗いいを好む『客』がめいめい勝手に店や住居を構えている。

 その生活によって生じるゴミやはいせつぶつは、管理ほうゆえに公共のサービスを受けられぬままただただ積み上がり、ふるけのごとくくさってゆくばかりに見えた。


「はあ、はあ、はあ、はあ……ハアッ!!」


 そんな中、ゴミぶくろの山を泳ぐように──《おおかみ》が走る。

 街の外なら一目置かれたにちがいないハイブランドのスーツは無残によごれ、はだけたシャツのむなもとにはもふもふと分厚いむなふくがって、ボタンが千切れそうに張りつめている。

 てのひらにはやわらかな肉球、顔面すべてをおおやわい体毛。あせりときようを表すようにした舌はハッハッとけものくさい息をたてて、ゴミをかき分けながら必死にいていた。


「来なきゃ良かった! 来るんじゃなかった! こんな街! こんな街! こんな街!!」


 おおかみという字から想像できるようなせいかんさとはえんの、無様なさけび。

 絵本に出てくる、の子をなんびきも腹に収めて丸々と肥えたおおかみのように、ムチムチと太い腹をらしながら、高級スーツを着たあわてふためき、ゴミをかきわけげている。

 比率で言うならヒトが7で、おおかみが3の、半人はんろう


「ヒッ!?」


 ──《でぶおおかみ》としか言いようのない男が、かえると。

 ガダダッ! ガダダッ! ガダダダダッ……!

 ゴミぶくろばし、アスファルトにU字のらくいんしながら、でぶおおかみに追いすがる。

 切れかけた街灯に照らされたかげが長く長く、まるでいにしえの白黒映画の1シーンのように──

 無数の室外機が張りついたでこぼこかべに、四つあしかげびる。


「わ、悪かった!! 悪かったよ!! だから──殺さないで!!」


 ゴミめにおぼれたでぶおおかみが悲痛にさけぶ。

 だが四つあしかげは動じることなく、だくあしのリズムを刻んでけてくる。

 これが《外》ならば、つじつじけられたかんカメラの映像をもとに、治安部隊が出動。

 重火器の使用も視野に入れた武力行使により《でぶおおかみ》は救われたかもしれない。

 事実、彼は最後までその希望を捨てることなく、無様に助けを求め、うた。


「悪ふざけだったんだよ!! この街なら何してもいいって! 身元も顔もバレずにどんなことでもできるって聞いたから、だから、だから、だから……!!」


 最後の言葉はもはやかすれてただのえつに変わっていた。


「ほ、本気じゃなかったんだ! アンタもそのつもりだったんだろ!? そんなかつこうでここ歩くとか、もうさそってるようなもんだよな!? 俺は悪くねえ、俺は……!」


 ぬるい風がく。室外機が流す油やカビのにおいではなく、もっとなまぐさく、生々しい風だ。

 それはでぶおおかみはるか頭上、3mえの高みから──いてくる。


「ヒギッ!?」


 ぞくりとふるえたでぶおおかみが、かえせつ

 さお立ちとなった四つあしけもの。それがU字形のきよだいひづめげて。

 ──グシャッ!!


「あいいいいいぃぃぃいいいいいっ」


 デタラメな悲鳴。

 うずたかく積みあがったゴミぶくろに半ばもれた、でぶおおかみ

 ねらいすましたかのように、そのうでが半ばからつぶれ、ちぎれていた。

 ぺらぺらにまれた断面がアスファルトにへばりつき、のりが広がる。かろうじて残ったかたの骨とうでをつなぐ肉の断面、よごれたぞう色の生々しい骨と筋に、でぶおおかみいつしゆん見入り。


「あれ? 俺 ほんとに うで、あ も、 げ……ッ!!」


 肉体の一時的じゆうをもたらすざい──怪物モンスターサプリは、肉体をいちじるしく強化する。

 それは単純な筋力の増大などにとどまらず、脳に作用して痛覚をよくせいし、文字通り野生動物に等しいしぶとさ、生命力すらあたえるのだ。しかし、そのおんけいは今や──

 なおに死ねないというだけの、ごうもんと化した。


「あああああああああああああぁああぁあぁっ……ぁあああああああああっっっっ!!」


 信じられない、というおもちで、でぶおおかみはちぎれたうでを拾おうとする。

 泣きべそをかきながらスーツのそでつめをひっかけた時、背後からせまって来たついせきしやが、再びそのまえあしげると、無様に身をかがめたでぶおおかみの背中をんだ。


「が あ ……ッ!?」


 背骨がくだける音がして、肺の空気がすべてされてカスッと鳴った。

 それは、ひづめだ。中指と薬指が変化してふたまたに分かれたウシやブタのような形ではない。

 ヒトで言うなら足の指が全体をおおうほどに変化した一体成形のひづめていもくと呼ばれる動物が備えるとくちようがありありと、みずまりをんだように真っ赤なせんけつに染まっていた。

 ブルルルッ……!

 くうふるえる音がする。

 えつふくんだひびきだ。ウマが行う感情のサイン。

 喜びと興奮を示す仕草と共に、ソレは今ひとつの命を無残につぶそうとしている。


「たす け ……でっ!?」


 ……グシャッ!!

 いのちいは届かず、転げ落ちた卵のように。

 イヌ科とヒト科がミックスされた異形のがいこつくだけ、中身がこぼれた。

 数トンの圧力をこめてひづめおおかみ男をほぼ垂直につぶし、ひきにくとなった死体がゴミにもれ、破れたゴミぶくろからこぼれたしゆうを放つはい物の中にしずんでいく。

 ソレは大きかった。

 でぶおおかみが全身しずみ込んだゴミの山、そこにあしの半ばまでめながらもすっくと立っている。

 もこもことふくらんだイヌ科の毛皮とはまったく異なる、うすく短いかつしよくの体毛。アスファルトをめしめる四つあしは太くて長く、生き物というよりがんじようきわまる重機のソレを連想させる。

 一見、それは馬だ。

 本来のウマという生き物の首がある位置からくっきりと6つに割れた腹筋が並び、豊かな胸とうすい色のせんたんを、内からのぼうちようえられず破れた下着のざんがいかろうじて包んでいる。

 そでを通したジャージは、ミチミチと張りつめてハムのよう。