1st chapter 轢き逃げ人馬(ケンタウロス) ②

 前を留めるチャックはすべて開けているが、それでも子供が大人のそれを無理して着たかのようにきゆうくつそうに──たよりない街灯の光に照らされて、点々とついた返り血まで見えた。

 半人半馬ケンタウロス

 ウマのどうたいに人の身体からだつないだような異形の正体は、都市のくらやみまぎれて判然としない。


「はあ、はあ、はあ、はあ、はあ、はあ、はあ、はあ、はあ、はあ……っっっっ♪」


 ただその口元、あらい息をきながら。

 かくしきれない喜びのリズムと共に、かすかにのぞく口元ががる。

 キヨウトウ仮面舞踏街マスカレード ナツバラ──ヒトをじゆうさせる《怪物モンスターサプリ》合法特区をしんかんさせる殺人人馬ケンタウロス》は、どこかおどるような足取りでけ、去っていき──。


「ひでえな、こりゃ。ぐちゃぐちゃでやんの」

「3Dスキャン、デジタル保全かんりようした。遺体は回収、作業開始」


 現場をおとずれた二人組がつぶれた死体と加害者のこんせきをスキャン。

 めるように光が走り、精密にデジタルデータ化された犯行現場が記録、保全される。

 たいしようげきケースにめられたモバイルPCは、本来の仕様ならそくにデータを送信、専門部署でのかいせきを実行するが、通信回線がほぼ死んでいるこの街では、それもできない。


「今時、手でデータ持って帰るのってどうなのよ。ローテクすぎんだろ……」

「古今東西、ちよう大容量データ通信の最速は、記録ばいたいごと交通機関で運ぶこと、だそうだ」

「そこまでデカくねーだろ、この程度。ま、しゃあねえ。お仕事あるだけマシかぁ」


 作業着にゴーグル、分厚いゴムぶくろで衛生対策。顔もじようもわからないふたりは早くももうれつしゆうを放つ遺体を拾い、苦心しながらふくろめると口々に言った。


「このにおい、取れっかなあ。今日だろ、すんの。めっちゃきんちようしねえ?」

「別に。半分仕事だ」

「あ、ずっり。ひとりでクールぶりやがって、お前そういうとこあんよなぁ」

「ぶっちゃいない、というか──……」


 作業着のひとり、二人組の片割れは、マスクをずらす。

 ヒトのかたちを保ったりんかくのライン、くちびるかすかな喜びをたたえて。


「わくわくは、してるな。──ようやく《つう》になれそうだ」


 生態系の下支え、分解者のごとき立ち位置。作業着に記された社名は《幻想清掃Fantastic Sweeper》。

 どこかのビルや街角で見かけるせいそう員のような姿で、彼らは静かに動き出す。


「やらかしを止めんのと、高校デビュー。両方やるのって、ムズくね?」

「前者は仕事、後者は人生だ。どちらが大切かは言うまでもないな」

「そりゃそうだが俺らの場合、前のをサボると後ろがつぶれっし」


 二人組のもうひとりは、ふくれた毛皮でパンパンに張りつめたツナギとマスク。

 けものりんかくを宿した人の姿を雑な作業着でかくしながらぼやき、つぶれた成人男性の遺体をめたおおぶくろをサンタクロースのようにかつぐと、夜明けが近い街を歩き出す。


「行こうぜ、相棒。せめてシャワーとえはしねえとやってらんねえ」

「ああ」


 かたを並べてふたり、死体と機材をかつぎ、情報をかかえてえっちらおっちら。

 警察ではない。声の調子は十代の若者のようで、かくしきれない青さがあふれている。


「とっとと犯人とっつかまえて青春しようや。目星はついてんだしな」

「悪いが、少し早めに行ってそうを進めてくれ。俺は書類を出してからになる」

「あいよ。つうかさ」


 がいしやけものと化したまま死んだ、顔もじようもわからないだれかの遺体。

 ゆうふくそうなスーツ。さいうでけいくつも、血まみれのくつしたまで現場近くにひそんでいただれかが持ち去り、はだか同然の状態となってふくろまった、名前すらないあわれなにつかい


「外で死んだらおおさわぎ。ここで死んだら紙切れ一枚。何でこんなとこ来んのかね?」

ひまなんだろう。《外》の大人は」


 オフィスにもどってから書き込む書類のテンプレートを思い出しながら、ひとりが告げる。

 事件ですらない、せいそう作業報告書。形式ばった文章を解体するなら。


『デカいゴミが落ちてました。片付けました。終わり』


 それで済んでしまう適当さ。ヒトの命は重く、けものの命はゴミより軽く。

 けれどだれかが片付けなければ、ざわりでしょうがない。──それもまさにゴミのよう。

 死に損とでも言うべきだれかをかついで、そうたちはあさもやけぶる街角に消えていった。






──── 01 特殊永続人獣トクニン ────


 時は流れ、時代が変わっても、駅には独特のにおいがある。

 石炭とばいえんいぶされた蒸気機関車のれいめい期ははるか昔。ホームに列車が入り、まると同時に消毒液がふんされ、顔のない人々がうすきりをかき分けるように降りてゆく。


「………」

「………」


 ぞろぞろ、とおんが似合う足取りで、ぐちひとつたたかず人々は歩く。

 サラリーマン、学生、通勤時間帯をめる多数派のマスク着用率は100%。近年開発された密着型の使い捨てマスクは、着用者のはだいろを読み取って調和し、け込む。

 いわゆる『モブ顔』──以外の口元、くうなどしゆつ部をごくうすおおったようなそれは、まつ、ウィルスをほぼ完全にしやだん。顔にんしようさまたげない密着構造で公的な場でも着用可。

 モブ顔の人々は、ホームと車両に設置されたかんカメラにその移動経路をにんされている。

 365日、24時間、全国民の所在、移動経路をリアルタイムでかんする《神の》。

 かんせん対策にたんを発するかんシステムは当初プライバシーのしんがい、個人情報の保護がさけばれたものの、強行策を求めるヒステリックなSNSの圧力に負け、実装されて数年がつ。

 ピピピッ……!

 降車しようとした人々の中で、たんまつが鳴った。

 すると人波がいつせいに左右に割れ、道を空ける。

 ニコニコと群衆顔のマスクの裏にがおを張りつけながら、はくしゆでもせんばかりに──


「……ふん」


 割れた人波の先にいるのは、ひとりの少女だった。

 駅近くにある都立校、アカネ原高の制服姿。ツンツンととがったくせっ毛、わいげより鼻っ柱の強さを感じさせるまなしで周囲をわたすと、軽く頭を下げてから。

 ──キッ……!

 タイヤがきしみ、彼女が乗ったくるまが割れた人波を進んでいく。

 ミニスカートからのぞく彼女の足はすこやかに肉づいて、健康そのもののスポーツマンのようだ。が、それがびようの類でないことは、道を空けた人々全員が証明している。

 車両のてんじようかくされたカメラが少女の顔にフォーカス。

 所持たんまつと同期し、顔にんしようにより個人情報をかいせきする。


『国民登録番号XXXXXX キヨウトウ都立アカネ原高校2−A』

 メイ しようばつれき 都中学総体陸上 女子1500m 1位 大会記録』


 暗号化された国民登録番号にもとづき、所持たんまつでSNSが起動。