1st chapter 轢き逃げ人馬(ケンタウロス) ③

 日々の暮らしのつぶやき、陸上選手としてえいかんを勝ち取るほこらしい姿などが参照され──。


『交通事故によるせきつい損傷 みぎあし

『生活えん要度:B』


 同じ車両に乗り合わせた人々のたんまつに、通知が飛ぶ。

 社会管理システム《神の》により、社会的・身体的弱者へのサポートはすいしようされ。

 ──その実行者は、はん的市民として確実にポイントをかせぐことができるのだ。

 ピンポン♪


『おめでとうございます。生活えんこうけんBが達成されました』

『信用スコア+1。社会しんらい度に加算されます──』


 非通知にしていなかったのだろう。

 人波のいずこかから、たんまつの機械音声と信用スコアの加算通知がピコンと鳴る。


「どうぞどうぞ!」

「おじようさん、お困りなら手伝いますよ?」

「……いらない」


 顔半分をおおう群衆マスク。だがわずかなしわが、その裏のみをかくしきれない。

 たかが1ポイント、されど1ポイント。このちよう管理社会において、信用スコアは税こうじよからクレジットカードやローンの限度額に至るまであらゆる社会活動の基準となる。

 道を空けるだけでかせげるとあらば当然、ニッコリがおもこぼれるというもの。


「……あり、がとう」


 重々しい、言わされている感のにじみ出るようなお礼にも。


「「「はい! どういたしまして!」」」


 善行を積んだ、という確信から、群衆はハキハキと返事をする。

 そんな人々をろんげにわたすと、メイは今時めずらしいぎのくるまを走らせ、車両を降りる。

 当然、何も言わずとも全自動でタラップが出現。彼女のいくところざつとうなどえんのものだ。どんなに混んでいようと道は空き、にこやかながおとポイント加算通知がひびき続ける。


 ピンポン♪ ピンポン♪ ピンポン♪ ピンポン♪ ピンポン♪ ──……ピンポン♪


「……うっっっざ!!」


 群衆をし、ようやく駅構内から出ると。

 メイまりにまったうつぷんすように、そうえた。

 空は青く、風はみ、街路はゴミひとつなく美しく。

 時間をわずかにずらしたせいか通勤通学のピークを外れ、自分以外のひとかげはなく。

 ゆえまんの必要もなく、わずかな間にまった黒いものを言葉に変えてした。


「親切づらするなら、せめて通知音くらい切っとけっての……!」


 今、彼女が暮らす世界において【とくめい】は特権で。

 みんな、やさしいふりをして、生きている。

 ギッ、ギッ、ギッ……!

 たいぼうりつひとケタ台。きわめてせいかんしぼられた、女子とは思えないうで

 それが今時めずらしい完全人力、動力アシストのいつさいないアナログくるまを進ませる。

 首筋にあせかべながら見上げた坂道、けいしやのきついその先に校舎のかべが見えた。


「……ふっ、くっ……ぎっ……!」


 歯を食いしばって車輪のにぎり──ハンドリムを強く回そうとした、その時だった。

 そでからしたたったあせに伝い、つるりとすべる。


「はあっ!?」


 女子らしくない声があがる。すべったハンドリムから手がはなれ、タイヤがせいぎよを失った。

 真後ろ──慣性の法則に従って急な坂道を転がり出す。


(ヤバっ、死ぬ……!?)


 坂を上り切れず車道に転落したら、その先は交通量の多いいつぱん車道。

 とっさに聞き取る、車のエンジン音、通行音。自動運転車両のオートブレーキがあろうと、勢いよく飛び出した異物に対処できるかあやしい。最悪、そのまま、ねられる。


(……あ。でも、ま……)


 ブレーキレバーをたおそうとした手が、えた。


(いっ、か……?)


 歯を食いしばっていたあごから力がける。

 世界のすべてをあきらめたように、ふっとブレーキレバーから手が外れた。

 転がるくるま。真後ろへすっ飛ぶように流れる風景が──。

 ──キイッ!


「っ!?」


 とつぜんまった。

 慣性でから投げ出されそうになる身体からだを反射的に押さえ、かえる。

 ピントのずれたメイの視界に、真っ先に映ったものは。

 通り過ぎる車。

 歩道のえんせきに乗り上げかけた車輪を、だれかが割って入って止めたのだ。

 ……もし、いつしゆんでもおくれていたら?


「~~~~────………っっっっ!!」


 ぞわっと背筋がこおり、バケツの水をかぶったように冷たいあせがあふれ出る。

 かつて味わった感覚がよみがえる。そう古い話ではない、ほんの数か月前だ。部活のこうはいいつしよに、くだらない話……確かアイドルのだれそれがどうとかいうネタに気のないあいづちを打った直後。

 真横からっ込んできたフルマニュアル。今時めずらしい手動運転のスポーツカーに真横から、がっつりばされて背骨が曲がり、ぶっ飛ばされたあの感覚……。


(死んだよな、あんとき、あたし)


 リアルに感じた《死》。あの時、一度自分は死んだのだ、とメイは思う。

 足が動かなくなっただけで命はとりとめた。手術を受けてリハビリをして、せんたんりようの力で回復をげた。わあラッキー、助かった。大事に前向きに生きなくちゃ……!

 なんて思える、わけがなくて。


(走れなくなったら、なんにも無くて)


 それだけにすべてをけてきた。ただ走るのが好きだった。それ以外何も無かった。

 足を失ってがらになって、どこへいってもピンポンパン。

 押しつけがましい通知に追い回されて、にやにや同情されながら。

 ありがたい善意に感謝して、残りの余生を過ごすのだ──と。

 あまりにもみじめと、思い知ったから。


だれも」


 強がりが、れた。


「助けてくれなんて、たのんでないけど?」

「……」


 くるまのハンドルをつかみ、我が身をたてに飛び出しを防いでくれた人物──少年。

 ねんれいは彼女とほぼ同じか、やや下だろうか。かみは7対3の割合でくろかみはくはつに分かれ、とくしゆな左右たいしようばつなファッション……にしては他にかざしやがまるで見えない。

 メイと同じ、アカネ原高の男子制服。黒のウレタンマスクで口をおおっているが、ウィルスしやだんまつよくせい効果がうすしろものを今時使う人間など、よほどの田舎いなかものくらいだろう。

 ぼんやりとよどんだ目つき、青白いはだ。クールな顔立ちは正直かなりのイケメンに見えたが、あいにく、やさぐれたメイにとって、何のなぐさめにもならなかった。


「余計な事、しないでよ」


 メイがそう言い、かえりながら見上げた時だ。

 風にそよいだ少年のはくはつ、そのまえがみせんたんがわずかにけた。


(え? 今の……気のせい?)


 まるでせんこうけむりのように、ほんのわずか──

 はくはつせんたんがごくごくうすけむりを放ち、ただよう空気にスパイシーな香りが混ざっている。

 決して悪いにおいではない、むしろ上等のこうすいじみた大人の空気をかもしている、のだが。


(何て言うのかしら。……モテそうなやつだわ)


 そこが強くひっかかる。顔立ちの良さもそうだが、どこかうれいを帯びたかげのあるふんは。


「金持ちのOLとかに囲われてそうなイケメンね、あんた」