「……余計なお世話だ」
思わず口を突いた感想に、黒白の少年は嫌そうな顔をして、ようやく答えた。
「あんた、付き添いは?」
「いないわよ、そんなの」
「そっか。あんた……」
そら来た、と内心命は身構えた。
どれほど攻撃的になろうが、歩けなくなって以来誰も、嚙みついてすらこなかった。
口が悪いのは元からだ。友達と口喧嘩や口論もしょっちゅうで、我慢しない性格は自分でもわかる明快な欠点だが、それでも命にとっては欠かすことのできない『自分』だから。
ぶつかる覚悟で突っ張っていて、嫌われるのも覚悟の上で。
が、足を失ってからは──。
(どいつもこいつもヘラヘラして、あたしの言うことなんか……!)
まともに聞いてくれたためしなど、ない。
怒りさえしない。ただ同情をこめて『可哀そうに』『大変そうだな』『辛いよな』と並べて、不幸に動転している哀れなバカを寛大に許し、ついでに親切にしてポイントを稼ぐ。
(ざけんな。ポイント引き換え券じゃないんだっつーの!)
キッと睨むように見上げる、命の予想。
だが、彼女を助けた少年の反応は、それを大いに裏切っていた。
「クソだな」
「は?」
思わず面食らい、雑な返事をしてしまった。
車椅子のハンドルをしっかり握りながらこちらを見返す少年の眼には、同情などまるでない。それどころか聞き分けの無い子供に向けるような、うんざりとした隔意すら感じる。
「死ぬのは勝手だが、あんたを轢いたら運転してた誰かの人生が壊れる」
「……あ」
盲点を突かれ、熱くなった頭がわずかに冷えた。
「感謝しろとは言わないが、無関係な人を巻き添えにするな。迷惑だ」
「初対面でお説教? 無関係な他人のくせに……」
突っぱねながら、ズキリと命の胸は痛んだ。
──今、悪いのはあたしだ。
そう自覚している。理解している。そりゃそうだ無理してミスって死にかけて助けられて、お礼を言うより先に罵倒をカマし、文句をほざく最低の──
「……悪かった、ごめんなさい。今のは、あたしが悪かったわ……!」
「謝れた。えらいな」
「っっさいわ!」
ギリギリのところで理性が勝って、謝罪の言葉を口にできた。
「イラついてるのはあたし個人の事情。助けてくれたあんたに当たるのは筋が違うってだけよ。あと……助けてくれて、ありがと」
「かなり性格は悪そうだが、屑ってわけじゃないんだな。あんた」
「屑って……あんたもいい加減、口悪くない?」
「相手相応の対応をしてるだけだ。敬語を使うだけ無駄というか、嫌がるタイプだろ」
「………」
図星で何も言えず、命はついつい黙ってしまう。
すると背中から力がこもり、車椅子のハンドルを握った黒白男が、坂道を上り出した。
「ちょっと、何すんのよ。女子をバックから押すとかそういうフェチ?」
「親切だ。無駄な体力は使いたくないんだが」
本気としか思えないうんざり声で、黒白男は続ける。
「あんた一人でこの急坂を上らせて、転落死なり轢死なりされたらまた誰かが不幸になる。そんなくだらない連鎖は、止めといた方が無難だからな」
「……はん。どーだか?」
車椅子、棒切れのように動かない己の膝に頰杖をついて。
「偽悪的に振る舞って、私は違いますよー、偽善者じゃないですよー、って予防線張って」
「はあ?」
「カッコつけてポイント稼いでニヤつくムッツリ野郎、たまにいるわ。そういうタイプね」
「びっくりするくらい最低の発想だな。ここまで性格の悪い女子は久しぶりに見た」
怒るより先に新種の生物でも見つけたような顔をされ、命はけっとやさぐれた声をあげる。
「悪かったわね、素直に感謝するタイプの弱者じゃなくて」
「そうでもない。ま、それはそれで」
意外なほど軽快に、ヒトひとりを押しているとは思えない滑らかさで坂を上る。
学校近くの平地、坂道を上り切ったあたりまで押してから、黒白男はハンドルを放した。
「感謝が欲しいわけじゃない。やりたいからしただけだ。変に感謝されても面倒臭い。だから俺としてはそう悪くない対応だ。他の人間にやったらキレられると思うが」
「寛大なことね。そう言いつつ、今頃SNSにポイントごっそり入ってるんでしょ」
この超監視社会において、個人認証されたSNSと信用情報は完全に紐づいている。
善行を行えば信用に+。逆に犯罪、迷惑行為を行えば差し引かれ、あらゆる社会生活に影響を及ぼす。信用が高ければクレジットの限度額から税控除まで有利となり、逆なら不利だ。
「良かったわね、人命救助。生活支援貢献B補正で+50はカタいわ」
「そうか?」
「当然でしょ。クレカの限度額とか上がるわよ、きっと」
そう言いながら振り返る。
車椅子から手を離した少年は、ゆるゆるとした足取りで同じ校舎へ歩き出していた。
命もハンドリムを回し、車椅子を進めて──違和感に、気付いた。
「スマホ、鳴らないわね。マナーモード?」
可哀そうな車椅子ユーザーに駅構内で道を空けました、+1ポイント。
それだけでも派手にピコピコ鳴るのに、黒白男からはそんな気配がまったくない。
端末の個人通知を完全に切ることは原則できない。マナーモードで音を立てないようにすることはできるが、その場合でも振動はするし、ある程度周囲に伝わるのだが。
「鳴るわけないだろ。持ってないからな」
「……はあ~~~~!?」
ありえない、ありえない、ありえない。
3度重ねてもありえないほど、黒白男の話はおかしかった。
「噓でしょ。今時スマホなしで生活できる人間、いる?」
「現金と紙媒体の書類で何とかなる」
ほぼすべての行政サービスがオンライン化された現在でも、紙媒体の窓口は存在する。
利用者はごくわずかな老人や変わり者ばかりで、合理化を叫び廃止の声がよく上がるが。
「最低限、受理はしてくれるからな。助かる」
「通知切ってるだけでしょ? なんかヤバい改造とかしてさ」
「そんな技術ねえよ。だいたいそれができたら犯罪し放題になるだろうが」
キコキコとタイヤが軋む。
意図せず命と並んで歩き、少年はポケットを探り見慣れない機械をつきつけてきた。
「これ、俺の携帯」
「……うっわ……何、これ……!?」
手垢で汚れ、表面の塗装がボロボロに剝げた二つ折りの機械。
学校で習った技術史の教科書に写真が載っていた──
「ガラケー、ってやつでしょ。あたしらの親世代より前が使ってた……SNSできんの?」
「できない。ポイントも入らない。まあ」
……パチン。
手帳を開くように、手慣れた仕草で二つ折りのガラケーを開く。
小さな液晶。ギリギリ割れていないだけで衝撃保護シールはボロボロ。
今にも壊れそうな画面が点滅し、個人認証画面が表示される。
それ自体は命と同じ。
スマホを開き、個人認証された時の表示で──
『国民登録番号《削除》 京東都立アカネ原高校2−A』
『霞見 零士 賞罰履歴 《削除》』
『特記事項──特殊永続人獣《吸血鬼》』
「……は?」