0.好きなもの:悪戯・悪い恋 ①

 現代社会において、「このひとだけは自分を裏切らない」と信じられる相手というのは、どういう関係の人物だろうか。

 ひとによっては、家族と答えるかもしれない。友人だと言うかもしれない。こいびとかもしれない。ふうだったら、妻や夫、子供と答える可能性もあるだろう。

 俺はまだ独身だから、奥さんとは言えない。ついでに言えば、学生時代に付き合っていた彼女から「他に好きなひとができた」とフラれた苦い経験もあるので、こいびとと言うのもためらわれる。

 家族にも人並みに愛情はあるけど、「絶対に裏切らない相手」という観点で考えると、いまいちピンと来ない。

 友達はそれなりにいたはずだが、卒業してからも密にれんらくを取り合っているやつは、今のところいない。職場のせんぱいどうりようしんらいを築けるほど、コミュ力は高くない。

 そんな俺だけど、「こいつだけは、俺を裏切らないかもしれない」と思える相手はいる。


「先生、ちょっといいですか?」


 時間は放課後だ。終礼をふくむホームルームが終わって、ろうを歩いているときに、後ろから声がかった。

 かえると、制服姿のきりはらとうが立っていた。えないふとぶちメガネのレンズしに、俺を真っすぐ見つめてきている。長いかみが窓から差し込む光を受けて、一部が白く光っていた。


ちようかく室のかぎいつしよに職員室へ取りに行ってもいいですか?」


 かぎは、教師のかんとくの下でしかわたせないことになっている。


「授業で使ったディスク、先生が教室に忘れていったんですよ。もどしておこうと思って」


 きりはらは高校二年生で、生徒会長も務めている真面目な生徒だ。学業ゆうしゆうで、学校サイドからのしんらいも厚い。今年、春ににんしてきたばかりの俺とはおおちがいだ。


「わかった」とうなずいてやると、にこっ、ときりはらほほむ。


「ありがとうございます」


 軽くしやくするようにあごを引くと、長くてれいかみがさらりと流れる。

 きりはらとなりに並ぶのを待ってから、職員室に向かって歩き出した。


「先生に返さず、自分で返すあたりがきりはらっぽいな。気がくし、真面目だ」

「空気を読む力だけで生徒会長になったから、そうじゃないと務まらないです」


 められてもけんそんせず、堂々としている。

 自分に自信がある姿は、年下ながら立派なものだと思う。俺にはない姿勢だ。

 職員室へ入って、かぎの保管場所へ向かう。


「お、きりはらか。どうした?」


 ちゆう、男のせんぱい教師がきりはらに声をけた。きりはらは同じ説明をかえして、せんぱいうならせる。


「相変わらず気がやつだ」

「いえ、そんなことないですよ」


 さっきの俺と同じようにめられたのに、今度は上手に照れてみせた。俺以外に対して、彼女は自信を大っぴらにしない。うまく使い分けている。ちようかく室のかぎを受け取ったきりはらていねいにお礼を言って、「生徒会の仕事が終わったあと、返しに来ます」とろうへ出て行った。


「感心、感心。みんな、ああだと楽なんですがね」


 せんぱい教師のつぶやきに俺はしようする。同意と否定が半々のしようだ。

 直後、ポケットの中でスマホがふるえた。画面を見ると、メッセージの通知が来ていた。差出人は「ARIA」。



『待ってるから、来てね』



「……学級日誌を書く前に、少し散歩してきます」


 となりの席の先生に声をけて、ろうに出る。

 それから、ぐるりと遠回りをして職員室からちようかく室へ向かう。

 散歩をするのは俺のしゆだ。朝礼で自己しようかいをしたときに言ったから、生徒も先生たちもみんな知っている。からかってくる生徒はいるが、あやしんでくるやつはいない。

 ちようかく室にとうちやくしたあと、ドアをそっと開く。かぎは開いていた。

 入ったあと、スマホで『来た』とメッセージを返した。


「いらっしゃい」


 メガネを外したきりはらが、机の下からひょっこり現れる。用心深くかくれていたんだろう。彼女はそのままドアまで歩き、かちゃり、と内側からかぎを閉める。

 これで、ここにはだれも入れない。

 俺たちだけの密室だ。


「何回やってもドキドキするよねぇ」


 くすくすと笑うきりはらには、真面目な優等生っぽさがギリギリ残っている。

 でも、悪い子の成分もだいぶ強めに出ていた。そして、メガネを外したきりはらは目鼻立ちが整った美人さんだ。印象が全然ちがう。


「あんまりかえすとバレるぞ……」

だいじようだよ。先生が授業で使ったディスク忘れてたのは、本当だし」


 近付いてきたきりはらは、俺の目の前に立つ。ワンテンポ置いたあと、ばふっ、と胸に頭を押し付けてくる。


「んー……先生のにおいだね。落ち着く」


 二、三回すぅはぁしたあと、身体からだはなす。


「学校で自分が受け持つ生徒と密会。……興奮する?」

「悲しいかな、それなりに」

「うんうん、正直でよろしい。先生もだいぶわかってきたね!」

あきらめてきた、のちがいだろ」


 声はひそめているが、だれかに聞かれやしないかとドキドキしていた。性的興奮よりも、社会的にまつさつされるきようの方が、はるかに上回っている。


「ノリが悪いなぁ。さっさと割り切って楽しんじゃえばいいのに」


 きりはらい形のくちびるを、にっ、ともっとい形にゆがませていく。やけに色気のあるほほみだった。俺より年下のくせに。


「今日ね、ちょっとだけこうすいつけてるの。お昼休み、カナちゃんが『会長もオシャレしましょうよ~』って、ごういんに……知ってるでしょ? 生徒会のこうはい、カナちゃん」


 言いながら、きりはらの細い指が首元のスカーフにびる。

 きりはらはそのまま、スカーフをほどく。

 やめろ、と言うべきだったけど、その一言は俺の口から出ない。出せない理由があった。

 だまっている間に、きりはらむなもとを大きく開く。

 みずみずしいはだと、少しだけ下着が見えた。着やせするタイプだから、服をむいたきりはらは大人の身体からだと比べても全然、おとりしない。


「谷間にちょこっとりかけたの。……なんの香りか、わかる?」


 俺の頭をからるようにうでびてくる。後頭部にえられた手がクイっと引き寄せてきた。


「どう?」

「……かんきつ系?」

「アタリ。いいにおいだよね」


 俺の後頭部にえられるのが、手からうでに変わった。きりはらは俺の身体からだを引きながら、机にこしける。俺はちゆうごしになったまませられて、頭をていねいでられる。やわらかいはだかんしよくと体温に顔をうずめながら、なすがままだ。


「私の身体からだ、気持ちいい?」

「……まぁ」

「ふふ、よかった」


 きりはらはぎゅうっと俺をめる。きりはらも、俺のかんしよくをじっくり味わっているようだった。


「なんでひとはだってこんなに気持ちよくて安心するんだろね。不思議だよ」


 不意に、きりはらこうそくが解かれる。

 けど、それもつか。指が俺の首をでて、あごえられて、軽い力で上を向かされる。

 そのあと、きりはらはためらいなく顔を近付けて、キスをしてきた。