触れるだけのキスなんかじゃなくて、舌が思い切り、唇を割ってくる。
舌先を舌先で押しつぶされたから、仕方なく応える。
そうしないと、あとが怖い。桐原はキスにうるさいんだ。
舌を絡め合って粘膜をこすり合わせていると、時折、艶めかしい鼻息が漏れてくる。んっ、と細い喉から漏れ響いてくる息継ぎの気配が悩ましい。
それらを聞きつつ、俺は仕事のことをあれこれ考えて、気を紛らわせる。本来は年上として、教師として、模範であるべきだ。教え子の桐原に好き勝手にやられてはいけない。そんな、男の意地と見栄だった。
むっ、と桐原が一度唸って、唇を離す。俺を、じっと見つめてくる。
「ふぅん……まぁ、いいけど?」
俺の返事を待たずに、再び唇を貪ってくる。
さっきよりも激しく舌をこすり合わせてきて、吸い付いてくる。俺が応えるんじゃなくて、俺の心と思考を引っかき回す動きだ。
(……まずい)
仕事のことを考えてやり過ごそうとしているのに、集中できない。俺から余裕を奪った桐原は、脇腹に指を這わせてきた。不意打ちだったので、びくりと身体を跳ねさせてしまった。不覚だ。そのまま、シャツの上から肋骨と肋骨の間をフェザータッチで撫でて、攻撃してくる。
くすぐったさと、自覚したくない感覚が交互にやってくる。意地を見せたかったけど、仕事のことを考える余裕はもうない。息も、少し乱れてしまっている。
「んふふっ」
嬉しそうに喉を鳴らした桐原は激しかったキスを優しいものに変えて、頭を撫でてきた。
それから、脳を溶かすように、口内を隅から隅までたっぷりねぶられる。かと思えば、やっぱり押しつぶしてきたり、舌の裏を撫でてきたり、色々やってくる。
……悲しいかな。長いキスから解放してもらえたころにはもう、俺の身体はすっかり出来上がってしまっていた。
「先生ってば、ほんっと可愛いんだから」
至近距離で満足そうに俺を見つめる桐原は、うっすらと上気している。目尻がとろんと下がって夢心地だ。メガネを外した桐原は本当に、別人のように色っぽい。
授業中やホームルームでは絶対に見せない顔だった。
俺が知る限り、俺だけが知る、俺だけに見せる、桐原の裏の顔だ。
学校で一番と言っても過言ではない才女。おまけに生徒会長だけど、キスもするし、甘えてもくるし、身体を触らせてもくる。触ってもくる。
俺の人生を壊す可能性がある爆弾が、動いて、息して、誘惑してくるのだ。
「ね、ヤっちゃう?」
「……ヤんない」
それだけは、絶対に同意できない。してはいけないんだ。
「強情だなぁ」
口では拒否しているけど、俺が欲情しているのは見抜いているんだろう。
自信たっぷりに桐原は続ける。
「私はいいんだよ? 先生のこと、好きだし」
頰を撫でながら、破滅を囁いてくる。
「楽になると思うけどな、色々と」
年上として、教師として、大人として、とてつもなく悔しいけど、それは魅力的な誘いでもあった。ただし、この誘いは破滅とワンセットだ。
矛盾するようだけど、だからこそ魅力的なのだ。桐原は。
たちが悪いことに、本人はそれを全て自覚している。
桐原に限らないことだけど、この年頃の女子は自分の価値をはっきりと自覚している。
それを惜しげもなく押し付けてくる桐原は……厄介な『子供』であり、厄介な『女』なのだ。
でも、バレたら彼女もタダでは済まないだろう。俺ほどではないけど。
だからこそ、俺は信頼できる。
もしかしたら、こいつだけは俺を裏切らないかもしれない。
唯一、そう考えることができる相手なのだ。
俺たちは歪な形で、強固な信頼関係が結ばれている。
秘密を共有する共犯者というのは、きっと、そういうものなんだ。
「ね、先生。ヤラなくていいから、もっかいキスさせて」
俺に拒否権はない。
しばらくの間、砂を嚙むような心地で桐原に従った。
***
数年後。
俺と桐原は時折、馴れ初めを尋ねられることになる。
俺たちは二つの答えを用意しなくてはいけなかった。表と裏。噓と真実だ。
一部の信頼できる人間に本当のことを語るとき、俺は決まって、こう切り出す。
「恋愛依存の教え子と、秘密の悪い恋をしていた。全部、そこから始まったんだ」
隣に座る桐原は、そうだね、と優しく微笑み、俺がする馴れ初め話を心地よさそうに聞き続ける──。