1.好きな香水:柑橘系 ①

 しまぎん。男性。二十四歳教師。特別な力は、何もない。

 いたってへいぼんな新米教師に過ぎない俺が、どうしてきりはらとこんな関係になったのか。

 そいつをわかりやすく説明するには、やっぱり、最初からていねいに、順を追って説明するのが一番効果的だと思う。


 全ての始まりは俺がまだ大学生だったころのこと。

 俺が今まで生きてきた中の、絶頂期だ。

 実家は一人暮らしの俺に仕送りをしてくれる程度に太く、勝ち組に分類される有名な大学に通っていた。三回生になると単位はほとんど取り終わる。余った時間は週三、四日程度のバイトに当てて、合コンがきっかけで付き合い始めた彼女とうまくやりつつ、勝手気ままに過ごしていた。

 四回生になってすぐ始めた就活もうまくいき、一流ぎようへの内定もあっさり決まった。

 まさにぜん有望。ゆうゆうてきの大学生活。卒論も早々にをつけて、遊びまくっていた。


「他に好きなひとができた」と言われて彼女にフラれたけど、ちょうどマンネリ化していて、二人で会うよりもひとりでいる時間がこいしくなっていたから、時期としてはちょうどよかった。

 というのも、そのころの俺はゲームにハマり始めていた。

 ネットゲームってやつだ。

 社会人になるとがっつり遊べないから、今のうちに──と始めたしゆだったけど、多分にれず、のめり込んだ。

 バイトがない日は朝から晩まで、ずっとログインして、ずっと遊んでいた。バイトがなければちがいなく引きこもっていた。

 少人数で強敵をたおしたり、ダンジョンをこうりやくしたり。いわゆる『しゆりようゲー』と呼ばれるジャンルに近いゲームで、気の合う何人かのメンバーと毎日毎日、きもせずに遊び続けていた。

 その中のひとりに、「ARIA」という女性キャラを使うフレンドがいた。

 夕方から夜にかけてプレイするひとで、昼間はバイトで家を空ける俺と、遊ぶ時間帯がいつしていた。

 長くいつしよに遊んでいると、相手の情報にもくわしくなっていく。


「ARIA」は大学の二年生。女性キャラを使っていても中身が男性ってことは多々あるが、彼女は自分のことを「女だよ」と言っていた。

 そう言われても話半分にしか聞いていなかったけど、チャットをしているうちに「本当なのかもな」と思い始めるようになった。もしもうそだったら、大した演技力だな、と思う程度に「ARIA」はゲームの中でも女の子していた。

 アップデートでわいい系の装備が出ると必ず「取りに行こう」とせがんできたし、俺の助力で手に入ると「ありがとう!」とハートマーク付きで感謝してくれた。その程度だったら信じなかったかもしれないけど、仲が良かったせいか、彼女は私生活のなやみもちょいちょい、俺に相談するようになっていた。

 学校のことだったり、親とケンカしたっていう深刻度の高いものもあれば、「やばいちょっと太った。いい運動ない?」みたいなしょうもない相談もあった。そうしているうちに、「本当に年下の女の子かもな」と思うようになっていったんだ。


『GINは相談に乗るのが上手だよね~。つい色々と話しちゃう』なんて言われると、俺も気分がよかった。

 ゲーム外でれんらく先を知っているとさそいやすくなるから、と言われて、メッセージアプリのアカウントもこうかんした。そうなってからは、ゲーム外でもれんらくを取るようになった。

 そんな中、「ARIA」の中身が女の子だとわかる決定的な出来事が起こる。


『ちょっと、電話していい?』


 別にいいよ、と返事をした。電話番号はこうかんせずに、メッセージアプリの通話機能で初めておたがいの声を聞いた。


「はじめまして」と少しきんちよう気味に話す「ARIA」の声は、確かに女の子のものだった。

 きんちようしたのは最初だけで、話しているうちにゲームのチャットと同じくらい、リラックスして話せるようになった。

 次の日はバイトも休みだったから、彼女の気が済むまでずっと話し続けた。夜の十時から深夜二時くらいまで話したあと、ようやく電話を切った。けど、その後もアプリでメッセージのやり取りが続いた。


『長話しちゃってごめんね。色々とわがまま聞いてくれて、ありがと』

『いや、別に。俺も楽しかった』

『ほんと? よかった! わがままついでに、もうひとつお願いを聞いてもらえない?』

『何?』

『GINの顔、見てみたいな』


 いきなり言われたら絶対に断っていたけど、楽しく話したあとだったから、断らなかった。

 深夜帯特有のテンションも作用していたと思う。

 適当にりして送ると、返信はすぐに届いた。


『ありがと。写真、見たよ。どうしよ。ちょっとタイプかも』

『お世辞でもうれしいよ。ありがとう』

『お世辞じゃないってば!』


 それを証明するために、と「ARIA」は自分の写真を送ってきた。

 顔は写っていなかったけど、けっこう、キワドイ写真だった。ノーブラではだだけ。胸の谷間を意図的に強調した、ちようはつてきな写真だった。みひとつない足をった写真も届いた。


『ネットで拾ってきた写真じゃないよ』と、ゲーム画面もいつしよに写してくれたりもした。


『サービス、行き届いているなぁ……』

『でしょ? 私、デキる女ですから』とドヤられた。

 そんなやり取りをした俺たちだったけど、電話をしたのも写真を送り合ったのも、これっきりだった。

 相談に乗っている最中に『電話で聞こうか?』と俺からたずねることもあったけど、彼女の方から断られた。


『あんまり甘えすぎると、本気になっちゃうから。そうなるとつらいかもだし』と言われて、俺も深追いしなくなった。俺と「ARIA」は、ただのゲーム仲間にもどった。

 それからおおよそ二年後。二十四歳の春、俺は高校教師になった。

 大学卒業してすぐじゃないのは、新卒で入った一流ぎようを半年でドロップアウトしたからだ。



「……先生? しま先生?」


 となりの席から声が聞こえて、ハッとなってかえる。

 に座っている女性が、俺の様子を心配そうに、注意深くうかがっていた。


だいじようですか? なんだか、ぼうっとしていましたけど……」

「……すみません、くれ先生。勤務中なのに」


 バツが悪そうに答えると、くれさんは大人っぽいにゆうみをかべながら、上品に笑い飛ばしてくれた。


「いいんですよ、そんなの! もう授業も終わって放課後だし、今日は職員会議もないし……小テストの採点、終わったんでしょう?」


 ちようかく室できりはらと別れたあと、職員室にもどって、手早く済ませた。

 放課後は、会議がなければ自分のペースで事務仕事をしていい時間だ。

 部活動のもんをやっている先生はいそがしいけど、幸いなことに、俺は何も担当していない。

 くれさんは、なおも俺にはなけてくる。


「別に声をけるほどのことじゃなかったんですけど、しま先生があまりに遠い目をしていたものだから、気になって」


 くれさんは、俺の指導教員だ。教師生活六年目で、担当科目は俺と同じ現代国語。

 いつぱんてきに、新米教師のめんどうは同じ科目の教師が見ることになっているそうで、俺がにんした『もりかわら学園』も例外ではなかった。くれさんは席もとなりだし、としせんぱいだらけの職員室の中では、一番近い方だ。生徒たちにも評判がいいし、授業もていねいで……あと、めちゃくちゃ美人だ。職業がら、服装もしようも地味におさえているようだけど、かざればとんでもなくえるはずだ。

 俺に対しても、にん初日からとても親身に色々とづかってくれる。理想の先生と言っていい存在だ。


「何か、昔のことでも思い出していたり?」

「えぇ、まぁ……前の会社のことを、少し」


 大半は「ARIA」とゲームをしていたころのかえりだったけど、まったくのうそでもない。

 くれさんの整った顔が、たんくもった。


「……つらかったこと?」

「残念ながら、前の会社のおくに良かったことは存在してないですね」


 じようだんきに、入社直後からまるでいいことがなかった。