だが、先生みたいな美人にも人並みの悩みがある。
そんな当たり前の事実に気づき、憧れの存在が少しだけ身近に感じられるようになった。
「せめて食欲くらいは思う存分満たしてください」
鍋からカレールーをよそい、たっぷりとご飯にかける。
お皿のふちにたれてしまったカレールーを綺麗な布で拭き取り、お盆に乗せた。
「どうぞ、先生のカレーです。サラダとスープもテーブルに運んでもらえますか?」
「わぉ、美味しそう。付け合わせまでバッチリだ」
夕飯一式を乗せたお盆を任せされて、テンションが上がっていた。
俺も自分のカレーを盛りつけて、テーブルに持っていく。
「準備ありがとう。錦くん」
そう礼を述べる先生はクッションの上に座りこんでいた。
「…………」
その光景をまじまじと眺めてしまう。
天条先生のような美人が俺の部屋で食事をするなんて、あまりにも非日常的すぎた。
「錦くん、どうしたの? 早く座れば」
呼びかけられて、俺も座った。
「お待たせしました。どうぞ召し上がってください」
「では、いただきます」
先生は手を合わせてから、行儀よく料理に手をつける。
俺は先生の反応が気になって、その様子を思わず見つめてしまう。
緊張の一瞬だ。
「……錦くん」
「なんでしょう?」
「見すぎ」
「え?」
「あんまり見られると食べづらい」
「す、すみません。自分の料理を家族以外に食べてもらう経験ってあまりないので」
「大丈夫。君の料理の腕はこの丁寧な盛りつけ方を見ればわかるよ」
太鼓判を押すようにニコリと笑みを浮かべる。
そして、先生は最初の一口を頰張る。
「────あ」
小さな声を漏らし、彼女は目を見開く。
彼女の唇が一瞬、かすかにへの字に歪んだ。
小さく顎を動かしながら、じっくりと堪能するように味わっていく。
はじめての食べ物を口にした赤ん坊みたいな反応に似ていた。
ゆっくりと飲みこむとスプーンを持ったまま動かず、お皿のカレーを見つめたまま固まってしまった。
謎の緊迫感に俺も動けない。
先生のこの反応は一体なんなんだ?
不味かったのか? 食材に火が通ってなかったとか? いや、カレーは何度も作ってきたから間違えるはずもない。あるいは市販の中辛のカレールーが先生には辛すぎたのか。だが麦茶のコップに手を伸ばすような素振りもない。
「あの、お口に合わないなら吐き出していいですよ。洗面所はあっちです」
万が一のことがあってもいいように麦茶のコップとティッシュの箱を両方差し出そうとした時、先生がようやく口を開く。
「めっちゃ美味しいよ。錦くん天才! これならいくらでも食べちゃう!」
弾ける笑顔で俺を褒めたたえるように肩を叩いてきた。
「味わいすぎでしょう」と俺は胸を撫で下ろす。
「一口目の感動をしっかり堪能したかったのよ」
そのまま上機嫌でパクパクとカレーを頰張る姿は、作った側としても嬉しいものだ。
「口に合ってよかったです」
気に入ってもらえて、俺もようやく自分のカレーに手をつける。
「毎日食べたい家庭の味すぎる。錦くんの奥さんになる人は幸せだねぇ」
テンションの上がっている先生は調子に乗って、そんなことを言う。
「先生なら毎日でも食べられるじゃないですか」
「おいおい、アタシを口説いているつもりかい?」
大人のお姉さんはからかうように片目を瞑る。
「単にご近所だから食べようと思えばいつでも来れるって意味ですよ。天条先生を口説くなんて畏れ多い」
俺は誤解されないように補足した。
「アハハ、冗談だよ。こんな年上、興味もないでしょう」
ありえないとばかりに笑い飛ばしながら先生はカレーを食べ続ける。
「別にそんなことはないですけど」
「へ?」
「天条先生のこと、俺の好みにド真ん中でストライクです。好きですし、付き合えるものなら喜んで付き合いますよ」
思い切って、包み隠さず打ち明けた。
「な、なにを真顔で口走っているのよ!?」
先生は驚きを通り越して慄いていた。
「下手に好意を隠そうとして挙動不審になるより、最初から意識しているって伝えた方が誤解も少ないでしょう」
恋愛の駆け引きができるほどの経験はない。
恐いけど、せめて勘違いをされないように正直でいようと決めた。
「ありがとう。アタシも教え子として君のことは好きよ」
「俺たち、どうやら両想いみたいですね」
「はいはい」
「別に異性として好きになってもいいですから」
「ありえないってば」
「気持ちが変わる日を待ってます」
「積極的か!?」
「噓ではないですから」
「……アタシも錦くんの味つけが好きなのもほんとうだよ。お世辞じゃないから」
先生のフォローがなんだかおかしかった。
「今はそれで満足しておきます」
「グイグイ来るなぁ」
「俺は忘れ物をわざわざ届けて、食事に誘うような男ですよ。まんまとお家デートに持ちこまれましたね」
「わぁーそれだけ聞くとすっごく遊び人っぽい」
俺の開き直りに、先生はツボにハマっていた。
「なので、先生もどうぞ遠慮なくカレーをお代わりしてください」
「いいの? じゃあ甘えちゃおう」
お皿に残っていたカレーをさっと平らげる。
「おかわりの量はどうします?」
「ごはんはふつう盛り、ルーはちょっと多めでお願い」
今度は素直に希望を伝えてくれた。
そうやって無邪気におねだりする顔もかわいかった。