第一章 いきなりお家デート ④

「そりゃ自分の担任がおとなりさんってことにはおどろいてますけど、男としてはご近所に美人がいてラッキーとも思ってます」


 俺は正直に答える。


「お気楽だなぁ」

「いやいや、確信がなかったから昼間はずっと観察してたんです」

「君、アタシのことを見すぎ! 内心ずっとヒヤヒヤだったのよ」


 ぜんぜんそんな風には見えなかった。


「ちゃんと仕事モードを保てるなんて立派ですね。そういうの、カッコイイと思います」

にしきくんって口が達者だよね」

「いい感想はできるだけ本人に直接伝えるようにって母親から厳しく教えられたので」

「いいね。その考え方にはアタシも賛成」


 共感できるポイントを見つけられて、てんじよう先生の表情は先ほどよりもほぐれていた。


「……少しはきんちようがとれたみたいですね」

「もしかして、わざとアタシをからかっていたの?」

「年上の人にくだけた話し方をするのってヒヤヒヤします」


 俺は軽くかたをすくめた。


「情けない。子どもに気をつかわれるなんて、アタシも未熟だな」


 先生はため息をつく。

 気だるそうにあきれる表情はどこか色っぽくさえあった。


「それで、君はいつからここに住んでいるの?」とえて、話を先に進めようとする。


「高校入学から。一年以上も前からここで暮らしてます」

「アタシも就職が決まってからこのアパートにしてきた」

「まぁ通学を考えて部屋を借りるなら、これくらいのエリアになりますよね」

「それにしたってえきだけじゃなくてアパートまで同じなんて。今までニアミスしなかったのが不思議なくらい」

「まったくです」


 俺は激しく同意する。


「アタシ的には君の卒業まで気づかないままがよかったなぁ」

「けど、知った以上は無視できない。だから来てくれたんですよね?」

「君の言うことも一理あったから」


 てんじよう先生があきらめたように言ったところで──腹の虫が鳴った。

 今の音は俺ではない。ハッとした先生は、照れくさそうにおなかを押さえる。


「とりあえず立ち話もあれなので、うちでメシでも食べながら話しません?」


 いくら春先とはいえ夜はまだ冷える。でも引いたら大変だ。


「え、でも」


 てんじよう先生が迷うのはもっともだ。

 俺が逆の立場でもそくとうはしかねる。

 ただ、男の俺が女性である先生の部屋に上がりこむよりはマシだろう。


「今日の夕飯はカレーなんです。きらいですか、カレー?」

「カレーは、大好きだけど……」

「いっぱい作ったのでえんりよしないでください。おなかが減ったままでは落ち着いて話もできないですし」

「それでも、やっぱり悪いよ」

「イチゴのお返しと思ってくれれば」

「お礼はいいって言ったよ」


 先生も頭では話し合いの必要性をわかっているから、ハッキリとは断らない。ただ心理的なハードルが高いのも当然だ。


「先に言っておきますが、俺の希望はこれまで通りのへいおんな生活です。先生をおどしてどうにかするみたいなゲスな考えは最初からありませんので安心してください」


 俺は彼女のていこうを軽くさせるべく、おのれの安全を証明する。


「ほんとうにぃ~~?」


 疑いのまなしを向けられる。


「指一本れません」


 俺はそくとうする。

 そりゃ俺も男だ。

 女性が自分の部屋に上がることがあれば、甘い展開を期待していないと言えばうそになる。

 が、そんな押しの強さもないし、いざそうなった時にくできる自信もない。

 ただ夢くらい見てもバチは当たらないだろう。


「わかった。君のことは信用している」


 てんじようレイユはようやくけいかいを解き、かざらないがおを見せてくれた。


「────」


 きんきよからの満面のみはとんでもないりよくだ。

 胸がキュンとする。

 まぶしくて直視していられず、俺はゆるみそうになる口元を手でかくしながら横を向いた。


「じゃあ、どうぞ中に入ってください」

「…………おじや、します」


 先生もおずおずとげんかんに入り、ぎこちない様子でくついだ。

 俺の部屋にてんじようレイユがやってきた。



「へぇ、れいにしているんだね。げんかんろうにもほこりひとつないなんてえらい!」


 てんじよう先生は興味深そうに観察していた。


ぜまなワンルームの部屋できようしゆくですが」

「おとなりさんなので存じています。間取りもまったくいつしよだね」

「そうなんですか」


 自分の生活空間に若い女性がいるだけでドキドキしてしまう。


「こんな部屋が片づいているのは、いつでも女の子を呼べるようにしておくため?」


 先生はふくみのある言い方をする。


「残念ながら家に呼べるような女の子はいません」

「へぇ。にしきくんなら彼女いそうなのに」

こいびとがいたらさすがに他の女性を家には上げませんよ」

「お、しんえらい。君の彼女になれる女の子は安心ね」


 俺はろうにあるキッチンに立ち、先生の分の夕飯を準備する。


「先生は適当に座っていてください」

「なにか手伝うよ」


 先生は所在なさそうに部屋とろうとの境目にとどまっていた。


「盛りつけるだけなので特には。あ、カレーやごはんの量に希望あります?」

「じゃあ大も──、いや、やっぱりふつうで」


 おとじらいか大人のえんりよか。

 大盛と口走りかけておいてていせいする。


「わかりました。大盛りですね」


 本心を察して皿を取り出し、すいはんふたを開ける。


「人間動いた分はエネルギー補給が必要なのよ! 放課後はみっちり水泳部の指導をしてから、なにも食べてないんだもの」


 夜の九時も回れば空腹になるのは当然なのだが、先生の口ぶりから察するに自身もしっかりと泳いでいるようだ。


もんってそんなに泳ぐものなんですか?」


 てっきりプールサイドに立って、泳ぎ方を指導したり安全に気を配るなどかんとくぎようがメインだと思っていた。手本を見せるために自分でも泳ぐのだろうか。


「アタシ自身が泳ぐのが好きっていうのもあるかな。おかげでたいけいもできているし」


 彼女は得意顔で自らのスタイルをするようにこしに手を当てた。

 本人の言葉通り、すらりとしながらもふくのある女性的な美しい曲線が強調される。


「先生はいつも夕飯どうしているんですか?」


 お皿の上に白米をこんもりと盛りつける。


「できれば毎日すいしたいんだけど、最近は外食か買ってきて済ませている」

「社会人が平日に家事をこなすのは難しいですよね」

「家と職場を行き来するだけの生活にうんざりな上に、家事の行き届かない部屋にいると余計に心がすさんでいく」


 てんじよう先生はれいきなのだろう。

 そんな人がここまでなげくということは現状かなりめられているようだ。


「家って放っておいてもよごれますけど、勝手に片づくことはありえないですからね」

「それ! 特に限界社会人には時間がなさすぎる」


 働く大人は時間のなさを心底なげく。


いききちゃんとできていますか? 週末は遊びに行くとかしゆに打ちこむとか」

「お休みの日は体力回復するのがせいいつぱい……」


 そう語る先生の目はうつろだ。


るって三大欲求のひとつですけど」


 俺はなんだか心配になる。

 そういえば今日の日本史の授業でも、すいみんそくの話が出た時に先生はえらく共感していた。


「今の時代、社会全体がブラックなのよ。ることがもはや最高のぜいたくかもしれない」


 死んだ目でひきつった笑いをかべた後、先生は我に返った。


「──って、生徒相手にってどうするんだか。ごめーん、ぜんぶ聞き流して」


 もうおくれです。

 俺がこれまで知っていた昼間のてんじようレイユは美しく自信にあふれ、がおの絶えない明るい人。多くのことに生まれた時からめぐまれて、満たされて、愛されて、かがやかしい人生を送っているのだと思いこんでいた。