第一章 いきなりお家デート ③

 先生は物言いたげな顔で不自然にこの話題を切り上げて、板書の一部を消していく。

 その反応は実にあやしかった。



 作戦その3、シンデレラが落としたガラスのくつへんきやく

 日本史の授業での反応を見るに、りんじんの正体はほぼてんじようレイユで確定だろう。

 その最後のひとしをするべくきようこう手段に出る。

 実は昨夜おとなりさんが落としていったサンダルを学校まで持ってきていた。

 昼休みになると、俺はそれを持参して職員室をおとずれる。


「失礼します。てんじよう先生、少しお時間いただけますでしょうか?」

「に、にしきくんッ!?」


 てんじよう先生は俺が現れて、から転がり落ちそうになるほどおどろいていた。

 そして俺がサンダルを入れたふくろが昨夜イチゴを入れた百貨店のかみぶくろだとすぐに気づく。


「生徒指導室、使います。にしきくん、いつしよに来なさい」


 てんじよう先生はかたい表情で俺のうでを引き、職員室のとなりの生徒指導室に連れていかれる。


「どういうつもり?」


 後ろ手でガチャリとかぎをかけてから、てんじよう先生はこちらをにらんでくる。


「なにがです?」

「アタシをおどす気?」


 声を殺しながらおこってくる。


おどすなんてって大げさな。俺は忘れ物を返しに来ただけです。そのついでにおとなりさんが先生なのか確かめようと」


 部屋の中央に置かれた長机をはさむように置かれたの一方へ先に座る。


「家のドアノブにぶら下げておけばいいでしょう! なんで学校まで持ってくるのよ!?」

「じゃあ、おとなりさんはてんじよう先生なんですね」


 俺が改めてかくにんすると、先生は「あ!?」と息をんだ。

 やはり俺のちがいではなかった。


「君ってば大人しそうな印象だけど、意外とだいたんなのね。びっくり」

「ごめいわくなのは承知しています。だけど、サンダルが片方しかないのも不便でしょう?」

「そういう問題じゃないってば」


 どうようかくしきれない先生は、教室で見せる大人のゆうじんもない。


「いやいや、実際俺たちは大問題に直面しているんですよ。あの、先生が昨夜げたってことは自分の正体をしておきたいんですよね?」

「……当然じゃない」


 なにを今さらとばかりに先生はりよううでを組む。


「秘密にしておきたい事情はわかります。だけど冷静に考えてください。毎日となりにいる先生を気にしながら卒業まで過ごすのは正直しんどいです」


 さすがにかべ一枚向こうに自分の担任がいる生活なんて、交流がゼロでも落ち着かない。


「それは、アタシもだけど」

「知ってしまった以上はおとなりさん同士、プライバシーを守るためにも最低限の話し合いはするべきです。先生だってこいびとがおとまりした翌日に、俺とうっかり顔を合わせたら気まずいでしょう?」


 俺としても、そんな場面にそうぐうするのはいやだ。モヤモヤしてしまう。


かれなんていないからッ!」


 先生はなぜか耳まで赤くしていた。

 不都合な一例を示したつもりが、思った以上の反応だった。


「あ、そうなんですね」


 正直興味はあったが、これ以上せんさくするのは失礼にあたると思いさらりと流す。

 が、先生のこいびとがいないという事実に俺は安心していた。


「シンデレラの王子様じゃあるまいし、まさか探し当てる人が現実にいるなんて」


 てんじよう先生はあきらめたように、反対側の席に着く。


「それで先生、具体的なことですが」

あせらないで」


 ステイ、と言わんばかりに手をす。


「──ここは学校だからプライベートの話は学校の外でさせて」


 仕事とプライベートは完全に別、といういさぎよい態度でキッパリ線引きをする。


「わかりました。じゃあいつにします? 俺が先生の予定に合わせます」


 俺としてはできるだけ早くじようきようせいしたいが、先生は仕事もいそがしいだろうしデートのおさそいも引く手あまただろう。


「えーっとね……、そうだなぁ、いつがいいかな」


 先生の歯切れが悪い。


「……もしかして、またげようとしてません?」

「そんなことは」


 図星のようでこつに目をらされた。


「見苦しいですよ。かくを決めてください」

「わかったわよ、行けばいいんでしょう! 上等よ! 今晩そっちに行く! その代わり残業でおそくなるから、それは許してよね」


 そんな気合いを入れるほどのことなのだろうか。


「来てくれればだいじようです。俺はひとり暮らしなので、いくらでもゆうずうききますから」

「え、高校生でひとり暮らしなの!?」


 俺がうなずくと、先生はますます険しい顔になる。


「あの、まさかとは思いますけど、男のひとり暮らしする部屋に上がるのが問題でも?」

「教師と生徒なのよ! そんなこと意識するわけないでしょう!」


 食い気味に否定された。

 そりゃ教え子である俺をおとこあつかいするはずもないか。


「ここは考え方も変えましょう。先生はたまたま近所に住む教え子の相談に乗るだけです」

「相談って?」

てんじよう先生、実はおとなりさんとのきよかんなやんでいます。どうか力を貸してください」


 俺は深刻な顔つきで打ち明けてみる。


「オーケー、アタシはあくまでも生徒の相談に乗っているだけ。そう、臨時の家庭訪問みたいなものよ!」


 てんじよう先生は自分自身をなつとくさせるように念を押していた。


「いいわ。とにかく今夜ハッキリさせましょう」

「わかりました。では、サンダルだけ先にお返ししておきます」


 俺はうやうやしくかみぶくろを差し出す。


「一応ありがとう」


 最後にきちんと礼を述べるあたり、りちな人だ。

 俺のおとなりさんはてんじようレイユで確定した。



 俺は学校から帰宅して部屋の片づけを軽くしてから、夕飯作りに取りかかる。

 今夜のこんだてはカレーライス、付け合わせにサラダとスープ。

 料理が完成したころ、ちょうど部屋のインターホンが鳴った。

 げんかんに向かって、小さく深呼吸してからゆっくりととびらかぎを開けた。


「こんばんは、にしきくん」


 てんじよう先生はややかたい表情でそこに立っていた。


「こんばんは。先生」


 俺はできるだけ自然体をよそおう。


おそくなってごめんなさい」

「いえ、お気になさらず。……なんかきんちようしてません?」


 学校での自信に満ちた姿は鳴りをひそめ、どこかぎこちない様子だ。


「えッ!? そ、そんなことないよ。ふつうだから!」


 両手をりながらあわてて否定する。


「夜の家庭訪問、落ち着きませんか?」

みようふくみのある言い方をするな」


 彼女はくちびるとがらせた。


「まずかくにんッ! 君のドッキリとかタチの悪いイタズラじゃないよね?」


 俺のざれごとを無視して、本人もくどいと承知しつつもしんちような顔つきでたずねてくる。


しようしんしようめい、この102号室が俺の住んでいる部屋です」

「アタシは103号室。じゃあ、つまり……」

ちがいなく俺たちはおとなりどうです」


 俺が結論を口にすると、てんじよう先生は頭をかかえていた。


「生徒がとなりに住んでいるなんてミラクルすぎるでしょう!」


 てんじよう先生は泣きそうな声でさけぶ。


「いやーこんなことあるんですね」


 せきのようなぐうぜんに笑うしかなかった。


「笑いごとじゃないってば! どうしよう!?」

「だから話すために来たんでしょう」

にしきくんは、その、なんでそんなにふつうなの?」


 俺との温度差に、先生はどこか不満げだ。

 ムスっとした顔をしていてもかわいらしい印象をいだかせた。

 年上なのに愛らしい。