天を頂くその才を総じて、人は天才と崇め奉る。
一番が天才。
二番以下は、みな凡才。
そして最底辺の無能こそ、俺の立ち位置だ。
この地球の六十億の凡才たちが、俺と彼女の間に立ち塞がっていた。
どんなに見上げても。
どんなに目を凝らしても。
どんなに手を伸ばしても。
絶対に見えないし、届かない存在だった。
訂正。……そのはずだった。
『聖剣演武』
誰しも聖剣が宿る現代において、最も人々を熱狂させる聖剣スポーツ競技。
スポーツマンシップに則り。
互いを傷つけず。
煌びやかな異能の剣技で観衆を魅了する。
名誉を求め。
富を求め。
あるいは、ただ強者との闘いを求めて。
聖剣士たちは、天を頂く道の果てを目指す。
しかし道は、6年前に閉ざされた。
彼女が圧倒的な才能を以て、その頂きに坐することになってから。
ラディアータ・ウィッシュ。
平穏時代の、最強の聖剣士。
世界中の記憶に残る一番古い彼女の姿は、今と変わらず美しい。
そして楽しそうだった。
楽しそうに剣を振るうのが、変わらぬ彼女のアイコンだった。
モニターの向こうで優雅に……そして楽しそうに大人たちを斬り倒すのがラディアータだった。
しかし、俺にとっては違った。
──あれはまだ、俺が小学生の頃。
──ラディアータは、ハイスクールの頃だった。
その年、日本は沸いていた。
聖剣演武における、世界最大の国際大会が福岡で開催された。
世界グランプリ・決勝トーナメント最終戦。
名実ともに、世界最強の聖剣士を決するための戦い。
世界グランプリの覇者。
剣星一位〝シリウス〟──王道楽土。
ジュニアリーグの英傑。
剣星二十一位〝レグルス〟──ラディアータ・ウィッシュ。
王道楽土が世界グランプリ二連覇を懸け、若き俊英ラディアータを迎え撃つ。
国内だけでなく、海外からも多数のファンが訪れる大会だった。
そこに俺もいた。
俺の誕生日のために、両親が死に物狂いでチケットを取ってくれたのだ。
福岡に建設された国際スタジアムは、大勢の観客で賑わっていた。
大型ディスプレイには、決勝トーナメントのリプレイが次々に流れている。
ディスプレイを見上げながら、幼い俺は両親に手を引かれて構内に入っていった。
(ここに本物のラディアータがいる……っ)
その事実に、俺は舞い上がっていた。
その時期、ラディアータは世界の注目の的だった。
聖剣演武ジュニアリーグを制覇した若き天才は、シニアデビューを皮切りに次々とタイトルを奪取。
史上最速のスピードで、頂きへの道を切り開こうとしていた。
この試合に勝てば、名実ともに世界一の聖剣士となる。
歴史的な瞬間を期待するファンたちの興奮で、スタジアムはくらくらするような熱気に包まれていた。
俺も同じように、試合を前に興奮していた。
……そして興奮しすぎて、迷子になった。
グッズ販売会に浮かれて、いつの間にか両親の手を離していた。
俺は人波に流されて知らない場所に放り出されていた。
完全にパニックになった俺は、両親を探して闇雲に歩き回った。
広いスタジアムは巨大迷路のようで、どこをどう行けばいいのかわからない。
流れ流れて、人気のないところに迷い込んでしまった。
(なんでこんなに静かなんだろう)
歓声が遠い。
すでに試合は始まっていた。
ああ、なんで。
せっかくの誕生日なのに。
せっかくのラディアータが世界一になる試合なのに。
細い通路を歩きながら、俺は途方に暮れていた。
(ラディアータの試合が見られない……)
(お父さん、どこ行ったの……?)
(ラディアータの試合はどこでやってるんだろう……)
(お母さん、僕を見つけてよ……)
(ラディアータの試合、終わっちゃう……)
できるだけ歓声が近いほうへ。
それだけを考えながら、俺は入り組んだ通路を行く。
やがて通路の先に、眩しい光が見えた。
(外だ!)
俺はその通路を行こうとして──はたと立ち止まった。
本物のラディアータがいたのだ。
そこは選手たちが入場するためのゲートだった。
俺は関係者用のエリアに迷い込んでいたらしい。
突然、本物のラディアータと出会ってしまった。
そのことに俺は驚いた……のも束の間、すぐに異変に気付く。
ラディアータがぼろぼろ泣きながら、ゲートを逆走していた。
いつも一緒にいるコーチの女性が、止めようとして引きずられている。
『ラディ! 試合中よ! 競技場に戻りなさい!』
『嫌だ! 私は故郷に帰る! あんなの勝てるわけない! 何が同じ剣星だから大丈夫よ、だ! あんなの化け物じゃないか! 普通の人間は、素手で鉄板を曲げたりしないんだよ!』
『キッズみたいな我儘を言ってるんじゃないの! ファンになんて説明するつもりなの!? スポンサーもみんな来てるのよ!?』
『それはあんたの都合だろ!? そもそも、私はこんな場所に来たくなかった! ただ故郷で楽しく競技をやれればよかったんだ!』
『ふざけないで頂戴! あなたがもっと刺激的な戦いがしたいと言うから、ここまで連れてきたのよ! 天才だって甘やかしてたら、こんな土壇場で心が折れちゃうなんて……』
『あんたの理想の天才じゃなくて悪かったな! もうこんなのまっぴらだ! 今日限り、プロなんて辞めて──』
激しい言い合いに、俺は呆然と立ち尽くしていた。
その言葉は、俺の知らない国の言葉だった。
ただ、何か大変なことがあったのだと幼心に察した。
まさか王道楽土にビビって大喧嘩しているとは思うまい。
(このままじゃ、ラディアータがダメになっちゃう……)
ラディアータの頰を伝う涙は、いよいよとめどない。
その涙を止めたいと思ったとき、幼い俺は自然と彼女に歩み寄ろうとしていた。
「ラディアータ……」
二人が気づいた。
ものすごくばつの悪そうな顔をすると、慌ててコーチの女性が駆け寄ってくる。
その人は丁寧な日本語で話しかけてくれた。
「こんなところでどうしたの? ご両親は?」
「ねえ、ラディアータはどうしたの?」
「いいえ。きみは知らなくていいわ。それよりご両親のところへ……」
ラディアータはスターだ。
こんな場面をファンに見られるわけにはいかないのだろう。
コーチの女性は俺を引き離すべく、通路の奥へと声をかけた。
スタッフたちが慌てて走ってくる。
俺を摑まえて引っ張って行こうとした。
(ラディアータ……ラディアータが……っ!)
なぜラディアータが泣いていたのかなんて、俺にわかるはずもない。
ただ憧れの人のピンチに、どうにかしたいという気持ちだけが逸っていた。
「ラディアータ!!」
俺は叫んでいた。
なんか言わなきゃ、と思った。
「ラディアータは勝てるよ!!」
どうしてそんなことを言ったのかは覚えていない。
とにかく思いついた言葉を叫んでいた。