《第一話》 ③
「おいしい?」
「うん。自分で食べるよりも数倍はうまい。魔法の調味料でも使ったみたいだ」
「ふっふっふ……今こっそりまぶしたからね、粉」
「褒め言葉が事実の指摘になったぞ……」
俺の見ている前でバレずに謎の粉をまぶしたとなると、
「ところで、ろうくん。今日もあんまり目立ってないよね?」
「もちろん。
「うん。今日はお買い物以外で外出してないよ」
夫婦間には幾つもの決まりごとやルーティンが存在するものだ。俺達なら家を出る前のキスがそうだが、他にもう一つ、俺と
「今の俺達はただの一般人だ。『普通』に過ごしてるだけで平気だと思うんだけどな」
「だよねぇ。みんな心配しすぎだよ~」
それが、このような『今日も目立たず一般人だったか?』という相互チェックである。
恐らく、普通ではない。こんなことをする夫婦など、まず存在しないと思う。
戦闘訓練に明け暮れ、多くの武器の使い方を学び、そして戦いを幾度も重ねた俺。
同じく幾度もそんな手練と戦い抜き、
──俺と
「俺なんてもう立派な社畜だぞ。今や攻撃避ける時よりも謝罪で頭下げた回数の方が多い」
「ごめんね、もっと頭を狙っておけばよかった」
「そういう問題か……!?」
世間に対し、《
つまるところ、俺や
「──わたし達が問題を起こすなんて、そんなことありえないのに」
「違いない。隣人がいきなり逮捕される可能性の方がまだ高いな」
「お隣さんの
「例え話だって」
一人だけで生きるならまだしも、そんな強い力を持っている俺と
俺なら今は部長がよく口を
……いやいやいや、もう26ですよ俺は。自分の力を無闇に振りかざすほど幼稚でもないし、それを使って何か大きな事を成し遂げてやろうという野心もない。
俺はただ、
「──毎日幸せだよ、俺は。
「あ、じゃあ幸せついでにお
「おい」
食器洗いは飯を作らなかった側、
「ったく……しょうがないな」
「ろうくん、優しい~。愛してるちゅっちゅ♡」
「そういう都合のいい愛はいらん」
でも投げキッスする
結局のところ、誰にどれだけ心配をされたところで、俺達は俺達でしかなく。そして俺達なりに気を付けて毎日精一杯生きている。自分達が問題を起こしているとは思わないし、実際のところ起こってもいない。俺と
なので、俺と
俺にとっては世間体とかよりも、よっぽど重大な
「それじゃ、おやすみろうくん。また明日ね!」
にっこりと
自室……
俺には俺の部屋があり、
(今日もか……)
誰にも聞こえない
(なあ、
軽くグラスを水洗いして、キッチンペーパーで水気を拭き取り、食器棚に戻す。
(なんとまだ童貞なんだわ……)
そして俺はその事実に頭を抱えた。
童貞。童貞とはなんぞや。まあヤってない男のことを指すんですけどね。
俺は童貞だ。女を抱いたことがない。だがそこは人によって価値観が異なる部分で、様々な女を抱くこと自体に価値を
もし俺が恥であると考えているのなら、今頃どうにかして童貞を捨てているはずだ。
だが違う。俺はその辺の女を抱くくらいなら童貞でいい。そう、俺は
しかし──しかし、それでも……ッ!
『寝室は別じゃないと
──と、過去に
そもそも付き合い始めた頃から、俺は
めちゃめちゃ詩的に表現したが、要は一度流れに身を任せて
(俺の何が不満なんだ……? 顔か? スタイルか? 性格か? 収入か?)
寝室をわざわざ別で所望されている時点で、俺は
だが、俺は何も諦めてはいない。まず諦め切れるわけあるか、愛する人のことを。
(──来月、来月だ。来月に勝負を仕掛ける)
俺は壁掛けカレンダーをめくり、翌月のある一日に目を落とす。
11月12日。俺と
一周年記念でもあるその日を
(せめて……! せめて理由だけでも……!!)
いきなりしようだなんて思わない。少しずつ関係を進められればそれでいい。俺を拒む理由だけでも、その日に知れたらそれでいい。もし、
ただ──俺は知りたいだけなのだ。愛する人のこと、全てを。
十年前に一度終わった俺の物語は、十年後の10月12日からまた、動き出す──