第一章 ネズミ肉串と小籠包 ⑤

 重臣は意味ありげな笑顔を浮かべて、もう一口、北京ダックを摘まむ。

 ぱりぱりに焼いた皮のくんこうと甘いとフレッシュな野菜の香りが混然一体となった味と食感は、食道楽の一つの極致を思わせた。


「都市部の食品衛生環境は近年悪化傾向にあります。ドイツの新型人工甘味料を使ったドーナツが『魔法のリング』として首都の若年層を汚染したことはご存じですか? 食べても太りにくい、というところからその名がついたそうです」

「厳格な貨物検査をしている横浜シェルターでも摘発されたと聞いています」

「都市圏すら汚染するアディクターの組織力と悪質性をこれ以上放置すれば、国内の汚染は取り返しがつかなくなる。そのためにも、やはり『実績のあるアディクター』に対する雪辱は果たしておくべきだという意見があるんです」

「実績のあるアディクターに対する雪辱を果たす……それは、つまり」


 署長も戦慄した表情で北京ダックを摘まんだ。


「ここだけの話ですよ。署長も聞かれたその噂……本庁では秘匿コードで呼ばれています。その計画開始に先立ち、昨年の雪辱を果たしていただきたい」

「第二次……三浦半島食料浄化作戦ということですね?」

「第二次、と言うと第三次があるようにも思えてしまいますし、一次が失敗したようにも聞こえます。まぁ小役人らしい発想ですが、作戦内容は同じでも、作戦名は変えた方がいい」

「と仰いますと」

「ここだけの秘密ですよ。秘匿コードですから」


 重臣はいたずらっぽくほほんで、言った。


「秘匿コード、メシトピア。第二次三浦半島食料浄化作戦が成功すれば、結果的に第一次メシトピア作戦として食料国防隊の歴史と記録に名を残すことになるでしょう。今日は小森署長と鎌倉署にその先駆けを務めていただけるよう、具体的な話をしたいと思っています」

「……もつたいないことです。是非とも」


 栄達と出世の気配に、小森署長の食欲はぜん沸き立った。



「本日はお越しいただきありがとうございました」


 店の入り口ではマネージャーらしき人物が見送りに出てきて、その手からは店のロゴが入った紙袋が差し出されていた。

 恐らく父が注文したお土産の肉まんだろう。


「あ、それは……」

「お邪魔なようでしたらお客様のご自宅にお送りすることもできますが」


 その場合、ここでわざわざ自宅住所の入力の手間を取られ、部下との合流が遅くなる。


「いえ、いただいていきます。折角のコースを、最後まで食べられず申し訳ありません」

「恐れ入ります。またのお越しをお待ちしております」


 マネージャーに見送られ、タイトスカートに有名レストランの紙袋だけ見れば、今から戦場に向かう人間とはとても思えないだろう。

 弥登が端末を操作すると、ものの三分で弥登の『相棒』がやってきた。

 武装官憲用六脚機動ヒュムテック『H─20型』、通称『ゲンジボタル』。

 市街地や廃墟の細かい道を動くための小回りの利く細身のボディと制御と、そしてアディクターの反撃をはじき返す強度装甲を備えた新型のヒュムテックだ。

 高価な機体なので鎌倉署にも四機しか配備されておらず、その全てを弥登の部隊で運用している。


「古閑さん。追跡データを送ってください」

『了解』


 弥登のゲンジボタルが中華街を静かに出動する。新山下インターから首都高に上がり三渓園から降りるルートを設定。

 高速道路で自動運転に切り替えてから、古閑から送られてきた画像データを確認する。

 かなり遠方から撮影したものらしい。松葉ガニやヤドカリと呼ばれるタイプの、日本中どこにでもあるヒュムテックだ。

 だがヤドカリの方はかなり改造が施されているようで、特徴的なフロントノーズの形状が無ければ分からないほどだ。

 そして、そのスマートなフロントノーズと不釣り合いな、まるで泥棒が背負う唐草しきのような格納庫増設改造が、弥登の記憶を刺激した。


「これって……もしかして……!」


 弥登は自動運転を切ると、赤色灯を点灯させて手動運転に切り替え、高速道路をゲンジボタルの限界速度でばくしんした。


「もしかして!」


 猛烈な速度で走る武装ヒュムテックにおびえて道を開ける自動車やトラックの間を、弥登は必死の形相で走り抜けた。