第二章 居心地の悪い家 ①

 同盟相手の気遣いによってもたらされた、いつもより少し遅めの帰宅時間。『つじかわ』という戸籍上の姓が刻まれた表札を横目に、心なしか重い新居の鍵をあける。

 そのまま息をひそめて見つからないように二階へと直行……したいところだが、流石さすがにリビングには顔を出すようにはしている。


「…………ただいま」

「おかえりなさい」


 リビングのテーブルの上にタブレットを広げて原稿を書いていた母さんが顔を上げ、俺の帰宅を出迎えてくれた。


「おかえりなさい、こうくん。バイトお疲れ様」


 そして母さんと一緒に俺を出迎えてくれたのは、つじかわあきひろさん。

 俺の新しい父親であり、母さんの新しい夫となった人。

 ……仕事も忙しいはずなのにこうして俺を出迎えてくれるあたり、やっぱりい人だ。


「今からさんにコーヒーれるんだけど、君も飲む?」

「あー……えっと、俺は大丈夫です。ありがとうございます」

「そっか。もう夜だもんね」


 特に気を悪くした様子もなく、あきひろさんは母さんの分のコーヒーをれる。


「じゃあ……俺、部屋に戻ります。おやすみなさい」

「うん。おやすみなさい。ゆっくり休んでね」


 何のためにリビングに顔を出したのか。それを特に指摘することも突くこともなく、あきひろさんは二階の部屋に向かう俺をそのまま見送ってくれた。

 ……本当に、い人だ。

 あきひろさんと接していると、つくづく思う。

 俺はだと。そしていまめていない、それどころか逃げてすらいる自分のなさ、彼らへの後ろめたさを。

 ────お前は、どれだけ俺を失望させれば気が済むんだ?


「…………あー……くそっ。嫌なこと思い出した」


 頭の中にフラッシュバックする、アイツの声。

 今になっても忘れられない、自分の奥深くに刻まれ、こびり付いた記憶。


「クソおや……」


 本当にどうかしている。あきひろさんみたいない人を素直に「父さん」と呼べないくせに、あのクソおやのことはいまだに「おや」と呼ぶことができるなんて。

 こういう時、嫌というほど自覚する。

 俺の中で『父親』という存在は自分で思っている以上にみついているということ。『父親アイツ』が今もなお俺の心の中に居座っていることを。

 ……さっさとに入って寝て……いや。寝る前に映画でも見るか。家まで帰ってくる間に、みやからさっそく『取り急ぎのオススメ』として何本かの映画の名前がスマホに送られてきたし。心の中でそう決め、足早に二階の廊下を歩こうとした矢先だった。


「おかえりなさい、兄さん」


 かけられた声の主は、一つ年下の少女。

 やや小さめの体格を淡い色のルームウェアで包み込んでいた。腰まで伸びた髪は乱れ一つなく、たたずまいや所作からせいで上品な印象を受ける。


「あぁ……うん。ただいま、つじかわ


 俺がなんとか絞り出した一言だけれども、失言だということも分かっている。

 彼女は義理の妹であり、名前はつじかわことであり、義理の兄である俺が彼女のことを呼称するのならば『こと』が正しいのだろう。妹のことをみようで呼ぶ兄などいない。ましてや彼女はつい最近まで赤の他人だった俺のことを『兄さん』と呼んで歩み寄ってくれているのだ。俺の方がこんなていたらくでは内心、面白くはないはずだ。


「惜しいですね。そこは気安く気軽に『こと』って呼んでくだされば、兄さんに義妹ポイントを十点あげてたんですが」


 何だよ義妹ポイントってという疑問はあるものの、これはつじかわなりの気遣いだろう。