始 化け物 ①

 かれと勇者が分かり合うことなどありえない。

 勇者とはの民を救うものだからだ。


 気付いたら見知らぬ場所に居た──というとなんだか抜けている気がするが、実際そうなのだから仕方ない。池袋駅のホームで電車を待っていたある少年は、まばたきしたら見たこともない場所に立っていた。


「……え? 何? どこだここ」


 初めて見る風景をきょろきょろと見渡す。ゲームなんかでよく見る、中世ヨーロッパ風のおしやな街の公園だ。晴天の下、簡素な服を着た人々が行き交っている。

 明らかに日本ではない非現実的な光景に、少年はぽかんと間抜けに口を開けた。

 何かのドッキリ?

 テレビの企画?

 あるいは誘拐?

 様々な可能性をひととおり考えて、どれもしっくり来ずに首をひねる。

 ドッキリにしては地味だし、自分がテレビの企画の対象になるとも思えないし、誘拐なら犯人が近くにいないのもおかしい。そもそも自分を誘拐するメリットなんてない。

 つまり最後の可能性。


「……うん、夢だ」


 というかそれしかありえない。これは恐らく電車の席で見ている夢とかだろう。乗り込んだことも覚えていないのは意味が分からないが、まあ夢なんてそんなものだ。


すごいな。これめいせき夢っていうんだっけ。めいせき夢だとなんでも出来るってマジかな?」


 少年は辺りを見渡してみる。よく見れば中世ヨーロッパというより、知っているゲームの世界にも似ていた。


「しかしまたよく出来た夢だなぁ──この噴水の水とかちゃんと冷たいし」


 手を伸ばしてみる。サラサラと冷たい水が手に当たって気持ちが良い。

 噴水の水たまりもれいで、自分の顔がよく映っていた。自分でも凡庸だと思う、どこにでもいる高校生の顔だ。


「なんだよーせっかく夢ならもうちょっとかっこよくしてほしいなあ」


 そして彼はもう少し周囲を見渡す。かなり大きな公園で、後ろ側には森がしげっていた。

 すごいな、と思わず感嘆する。

 輝くばかりに美しいその森に、彼は近付いていった。夢の中の森とは思えないくらいリアルな香りだ。

 なんだかなつかしい気がする香りだな──と思い、手前にある葉っぱに触れようとして。

 ぷよ、と彼の手に柔らかいものが当たった。


「──ん?」


 ふわっとした、マシュマロのような手触り。

 夢にしてはどうにも感触がリアルなような。少なくとも植物ではないような。

 恐る恐る視線をやると、森の中に深緑の髪に銀色の瞳の少女がむすっとした顔で立っていた。

 自分の手の先には、その少女の豊満な、まぁいわゆるバストというやつが。


「……えと、これはゆ──」

「何するんですかああ!」

「すみません! ほんとすみません!!!」


 少年はその場に思いっきり土下座をした。


「違うんですこれは事故で、夢だと思ってて、決してわざとじゃないというかなんというか」

「ええ!? 夢だったら胸をんでいいとでも思ってるんですか!?」

「いや決してそんなことは! とにかくこの通りですすみません!」

「すみませんで済んだら警察いらないんですよぉ!」


 ひとしきり叫んだ少女。そしてため息を吐く。


「……はあ。もう分かりましたから、頭上げてください」


 必死に謝る彼の姿に、少女は少しだけ笑った。


「というかそもそも、私は夢ではなく現実ですから。それを教えに来たんですよ?」

「現実?」


 顔を上げる。現実という言葉にさらに混乱した。


「現実って、夢かと思ったけどやっぱりドッキリ──」

「ちがいます! ほらあれですよ、分かりませんか? 異世界転生、ってやつです」

「い──異世界転生!?」


 その言葉を聞いて、少年は目を輝かせる。


「ほんとにあった異世界転せ──って、んなわけないよな……」


 と思ったら一瞬で目が曇った。


「普通に考えて異世界とか転生とかあるわけないし。どうせ夢だろうなぁ」

「だから夢じゃないんですってば。ほら、一度あっちを見てみてください」


 少女は噴水広場の入口の方、街の方を指差す。

 つられて視線を向けたが、何もない。ただ街の人々が行き交っているだけだ。


「? いったい何が──ん?」


 言いかけて彼は気付いた。行き交う街の人々は何かにおびえている。誰もが青い顔をして、足早に街を通っていた。


「なんだ? おびえてるような……」

「もっとよく見て。人間じゃないモノがいます」


 よく見てと言われ、目を細めて街をのぞく。何か黒い物があちこちに居るような気がした。子供のような体格で、こんぼうのようなものを手に持っている。


「何かい──って、おわ!?」


 のぞいていると左から急に何かに襲われた。黒い身体からだを持つ小鬼のようなモンスターだ。


「なんだこいつ!?」

「それが証拠です! 勇者様!」

「何!?」


 襲われたこの痛みは夢じゃない──少年はそれを実感して、本当に自分が異世界に来てしまったのだと思った。こんなので実感したくはなかったけど。

 小鬼は少年というより、少年がいつの間にか腰に差していた「剣」を狙っていたようだった。


「な──なんなんだこいつらは!?」

「それはゴブリン。この世界をおびやかす魔族の一種です!」


 気付くと、ゴブリンが何体も街の入口に現れていた。

 街の人々が悲鳴を上げて逃げまどっている。


「ゴブリン!? 本物だ!」

「何を感心してるんですか! あれはとても弱いですが、この世界をおびやかす魔族ですよ!?」

「へえ。『魔族』ね。なるほどな。だんだん読めてきたぞ」


 つまり少年はその魔族を倒すために召喚されたのだ。


「そういうことなら話が早い。とりあえずアレを倒せばいいんだな」

「ええ、お願いします! 今の貴方あなたには召喚特典で色々スキルがありますから、あの程度は難しくはないはずです!」

「よし、ならまずそのスキルを発動するぞ」


 手を前に伸ばす。か発動のやり方は理解していた。

 手のひらに魔力(?)を集中させる。この魔力を練って手から放出させるのだと、感覚で分かっていた。


「なんだ結構簡単なんだな。スキル・ドラゴ──」


 ちゃりん、とその時、音がした。


「……ん?」


 勢いよく手を伸ばした動きで、腰のポケットに入っている何かが音を立てたようだ。

 なんだと思いポケットに手を入れ、取り出して目を見開く。


うさぎ……?」


 うさぎのキーホルダーがあった。どこにでもあるプラスチック製の。

 自分のポケットに入っていたキーホルダーなのに、彼には全く見覚えがない。自分で手に入れたものではない、というのはなんとなく覚えていた。

 ならどうして自分が持っているのか──一瞬混乱したものの、そんなことを考えている場合ではないのでポケットに再びそれを突っ込む。

 改めて彼は目の前のゴブリンを見た。そこにいるのは、現実からは程遠い姿をした醜い化け物。これからが倒すべき敵──


「──え?」


 そのゴブリンの姿が一瞬、ノイズのように揺らめいて見えたのだ。

 ほんのまばたきくらいの時間だったが、暴れるゴブリンの頭や手足が一瞬姿に見えた気がした。その姿に強い違和感を覚え、少年はそれに攻撃の手を止める。


「……なあ。今あいつらの姿が──」

「いつまでぼーっとしてるんですか。ゴブリンくらいちゃちゃっと倒しちゃってくださいよ」


 のぞき込む少女に視界を遮られて、少年は我に返る。次にゴブリンを見た時は、そんな面影など全くなかった。

 少女はほうけている彼の耳元でささやく。


「せっかく理想の世界に来れたんですから。遠慮することなんてないんですよ?」


 妖しい声に、少年は段々と思考をかき乱されていく。理想の世界に来れたんだから──


「ここには貴方あなたを傷付ける者なんてどこにもいない。ずっと楽しい世界に居られるんです。前にいた場所なんてもう必要ないじゃないですか」


 混乱する彼を励ますように、《女神》の手が彼の手を取る。


「念じればかなう。望めば手に入る。それが貴方あなたのスキルです。唱えてみてください。貴方あなたが手に入れたその力を」


 少年は自分の心に耳を澄ます。ようやく手に入れた自分の「力」。

 念じれば確かに様々なイメージが浮かんでくる。これは──炎? 龍の形をしている。ということは。


「スキル──龍炎ドラゴンフレア発動!」


 龍の形をした炎が右手から出て思わず感嘆の声を上げた。

 大質量の炎が空気をはらい、逃げ腰になるゴブリン達に突っ込んでいく──





   ・・・


「──突っ込んで来るぞ! 衝撃に備えろ!!」


 同時刻、池袋駅。野戦服をまとった少年少女が、誰かの号令とともに散開した。

 ある者は接近した状態から、たぐいまれなる身体能力で。

 ある者はそれまで持っていた銃を捨て、身をまもるように。

 ある者は持っていた刀を軸にし、踊るように。

 かれがそれぞれに退避した後の空気を、大質量の炎がはらう。焼け焦げる匂いが嫌でも鼻についた。