第二話 隣人 ②

 スマホの向こうにいる父さんは面倒くさそうな口調だったけど、一番面倒なことをしてくれたあんたにその資格はない。


「なんで成嶋さんに俺のアパートを紹介したんだよ!? しかも俺の隣の部屋って!」

『ああ、成嶋夜瑠さんだっけか。だって純也の友達なんだろ? それも仲良しグループの』

「ま、待て待て、『だって』の意味がわかんねーって! 確かにそうだけど俺たちは……!」

『仕事中だから切るぞ。友達が隣に越してきたからって、あんまり騒がないようにな』


 父さんは端的に言って通話を切った。

 ……なんなんだ、このアホみたいな展開は。

 よりにもよって、最初から俺のことが嫌いだったとか豪語するあの性悪猫かぶりが、今日から隣人になるだと……?

 うちのボロアパートは壁が薄いから、生活音だってほとんど筒抜けなんだぞ。

 知らない人なら別に気にならないけど、成嶋さんに聞かれるのはだいぶきつい。なにをどういじられるか、わかったもんじゃない。

 もうえっちな動画は、イヤホンなしじゃ見られないな……。

 部屋に段ボール箱を運び入れた成嶋さんが、至極不機嫌な顔で外に出てきた。

 あの表情からして、向こうもうちの父さんからはなにも聞かされてなかったっぽい。

 サプライズのつもりだったんだろうけど、マジでやってくれたな、父さん……。


「………………」

「………………」


 どっちも無言のまま、一緒に外階段を降りる形になる。

 俺は朝メシを買いに行くために、アパートの駐輪場からチャリを引っ張り出してきて。

 成嶋さんは父君と一緒に、軽トラの荷台から次の荷物を運び出していた。

 引っ越し作業は親子二人だけでやってるらしい。重そうな段ボール箱を抱えた成嶋さんが、ふらつく足取りでまた外階段に向かう。

 俺はため息をついてチャリをそばめると、


「……貸せよ」


 成嶋さんの手から段ボール箱をひったくった。

 ぐおっ……なんだこれ。予想以上に重いぞ……。


「別に手伝ってくれても、好感度は上がらないけど。ド底辺の記録更新中だけど」

「もともと期待してないから気にすんな」


 これはあくまで俺の厚意。さすがに顔見知りの女子が重そうな荷物を運んでいたら、誰だって手伝う。いくら相手が猫かぶりのエセ陰キャおっぱいでも。


「そういや去年は、田中くんを自転車の後ろに乗せて下山したんだっけ。まあまあいいとこもあるんだ」

「あれは俺が言い出しっぺだったから責任を取っただけ。俺は基本的にイヤなやつだぞ」

「知ってる。だから嫌いなの。椅子に拘束して朝まで往復ビンタ続けたいくらい大っ嫌い」

「さすがに腕、疲れるだろ」

「古賀くん相手なら全然平気。想像しただけで、すっごい興奮する。ほんとにしていい?」


 うっわ、怖い笑顔……今日から顔を合わせる機会が増えるかもって考えると……憂鬱だ。


「その荷物、玄関のとこに置いといてよ。絶対中には入らないでよ」

「わかってるよ」


 軽トラに戻ろうとする成嶋さんにそう言って、階段に足をかけたところで。


「やっぱりちょっと待ってて」


 ……まあ別にいいけど。

 成嶋さんは軽トラの荷台から、軽そうな紙袋の荷物を引っ張り出した。

 それですぐ戻ってくるかと思いきや、わざわざそばの自販機で飲み物を買ってやがる。

 早く来いよ……こっちは腕がちぎれそうなんだぞ……! これも嫌がらせの一環か……!?

 やっと戻ってきた成嶋さんが、くそ重い段ボール箱を抱えたままの俺をかす。


「ほら、先に登ってよ」

「わかったから押すなって……」


 これでも一応、引っ越しを手伝ってやってる身なんだぞ────って、ちょっと待て。

 今まで顔ばっかりに目がいってて気づかなかったけど。

 成嶋さんのその、ゆったりシルエットの大きなTシャツってさ。

 なんか胸の部分の頂点に、突起が出てない?


 え、もしかして、ノーブラ!?


「なに?」

「いやその……なんでもない」


 ただでさえ凶悪な乳なんだから、ブラくらいつけろっての。

 目をらして、今度こそ階段を登り始めた。

 すると後ろからついてくる成嶋さんが、「ははーん」と得心した声を出す。


「もしかして古賀くん、女子に免疫ない?」

「うるさい黙れおっぱい」


 振り返らなくてもわかる。成嶋夜瑠は今、絶対に底意地の悪い顔で笑ってる。


「ふーん。そういうことか~。それで今まで男子としか遊んでこなかったんだ~」

「男と遊んでるほうが楽しかったからだよ」


 これは本当。朝霧さんや成嶋さんと出会うまでは、マジで男友達だけでいいって思ってた。


「そっかそっか。じゃあちゃんに対して積極的になれないのも、女子に慣れてないからなんだ」

「だから違うって。俺はみんなで一緒にいるのが好きなだけ。なんでも恋愛脳で語るな」

「それにしては女子のカラダに興味がおありのようですが?」


 当たり前だ。これでも思春期の男子なんだから。グループで遊んでいたいってことと性欲がないってことは、イコールにならない。


「試しに一回さわって慣れとく?」

「ばっ! ばばばばば、ばっかじゃねーの!?」


 階段を登りきって、成嶋さんの部屋の前に段ボール箱を下ろして、やっと一息。


「んふふ。ありがと、古賀くん」


 そのエセ陰キャ女が妙に艶っぽい声を出したと思ったら。

 ぴとり、と俺の背中にくっついてきた。でっかい双丘の弾性が広い面積で伝わってきて。

 はじかれたように退く。


「な、なにしてんだお前!?」

「ただのお礼だけど、なんか問題あった?」

「あ、ありまくりだって! そ、その……む、胸肉が当たるんだから……」

「ムネニク? ふふ、なにそれ。いつもみたいに、おっぱいとか言わないんだ?」

「~~~~~~~~っ!」


 まずい。これはまずい。

 たぶん俺、今めっちゃ顔が赤くなってる。完全に成嶋さんのペースだ。


「古賀くんの攻略法、わかっちゃった」


 成嶋さんはぷっくりした唇に指を添えて、やっぱり俺にしか見せないようえんな顔で笑う。


「彼女は作らない、友達と一緒にいたい、とか言ってるけど、それは自分の欲望にフタしてるだけ。もっと女の子に興味をもったら、きっと火乃子ちゃんと付き合いたくなる。火乃子ちゃんじゃなくても、誰か女の子と付き合ってみたくなる。きっと友達よりも、自分の恋愛を優先するようになる」

「ならないよ」


 なるわけがないんだ。


 


「本当にそうかな?」

「当たり前だ。俺は本当に彼女なんかいらないんだって。友達と遊んでるほうが好きだから」

「ねえ。これは一応確認なんだけど、古賀くんってさ」


 成嶋さんはうっすら笑みを残したまま、横目で俺を見つめてきた。


「もし私と青嵐くんが付き合うことになって、今の友達グループから離れていっちゃったら、やだなって思ってるでしょ?」

「それは……その……」


 答えられなかった。実際そう思ってるから。

 もちろんそうなったときは、受け入れる覚悟だってあるつもりだけど……でも本音は……。


「うんうん、だいぶこじらせてるね。あとで恨まれるのもやだし、やっぱり私が教えてあげるしかないか」

「教えるって、なにをだよ」

「彼女を作ることの良さ。私がそれを、わからせてあげる」


 それは俺に対する挑戦だった。


「もっと女の子に興味をもたせて、恋愛は友達なんかより優先されるんだってことを、私がわからせてあげる」

「バカ言うな。恋愛なんかより、友達と過ごす時間のほうが大事で優先に決まってる」


 成嶋さんと俺。きっとどちらも極端で、根本的に考え方の違う二人だった。


「ふふ。いつまでそう言っていられるかな」


 その恋愛脳のエセ陰キャ女は、先にアパートの外階段を降りていって。

 途中で振り返った。


「ああ、そうそう。私、ガス会社に連絡するの忘れてたから、今日はシャワー浴びれないんだよね。夜に借りに行っていい?」

「な、なんで。そんなの銭湯にでも行けば……」

「えー、女子の頼みを断るの? 私こんなに汗かいてるんだよ?」


 ゆったりしたTシャツの胸元を下げて、その凶悪な谷間を見せつけてくる。


「だ、だからそういうのやめろって!」


 ほんと苦手だよ、こいつ……。


「んふふ。あとこれ」


 投げられたものを受け取った。

 さっき成嶋さんが自販機で買っていたペットボトルのお茶だった。


「それは裏表なし。本当にただのお礼。手伝ってくれて助かった」

「え?」


 正直言って、かなり意外だった。

 毛嫌いしてる俺にわざわざお礼なんて、りちというか、なんというか……。


「そんなわけで今夜、古賀くんの部屋にお邪魔するから。またあとでね」


 成嶋夜瑠はわく的な笑みを残して、外階段を降りていった。


 マジで夜に来る気なのか、あいつ……?

 お礼として受け取ったペットボトルのお茶が、やけにずっしりと感じられた。