第二話 隣人 ①

「でさ、夏のビッグパーティ計画なんだけど」


 次の日の下校中、俺はいつものメンバーに切り出した。


「花火大会はもちろん確定として、やっぱバイク旅行って現実的じゃないと思うんだよな」


 せいらんうなった。


「まーなあ……だったら去年みてーに、チャリで山越えとか? キャンプ用品とか用意して、今度こそ行けるとこまで行ってみるってのはどうよ?」

「今年はあさぎりさんたちもいるし、女子にそれはきついだろ」


 その朝霧さんに目を向けると、彼女は太陽みたいに元気いっぱいの笑みを作って、


「ん? あたしは全然おっけーだよ? むしろやってみたいっ!」


 俺の背中をばしんと強くたたいてくる。


「あたしとしては、くんとなかくんの体力のほうが心配かなぁ。運動苦手っぽいし、去年引き返すことになったのも、二人が青嵐くんの足引っ張ったからなんじゃないの~?」


 お気づきかもしれないけど、女子たちはみやぶち青嵐のことを「青嵐くん」って名前呼びしてるのに対して、俺としんろうには「古賀くん」「田中くん」とばっちりみよう呼び。

 まあ「青嵐」って名前、かっこいいもんな。

 からかう口ぶりだった朝霧さんに、新太郎がフォローを入れてくれた。


「足を引っ張ったのは僕だけだよ。じゆんがいなかったら、下山だって危なかったかも」


 青嵐が俺の肩にごつい腕を回してくる。


「そうそう! お前ら、この古賀純也をナメんじゃねーぞ? こいつはすげーやつなんだから」

「あ、あの……古賀くんが、なにかしたの……?」


 これはなるしま。俺を見て不思議そうに首をかしげている。

 昨日のアレをたりにした身からすれば、この猫かぶりも噴飯物なんだけどな。

 最初はちょっと心配だったんだ。みんなの前では普通にするって約束をしたとはいえ、もう俺とはクチもいてくれないんじゃないかって。

 でもそれはゆうだった。成嶋夜瑠はばっちり猫かぶりを貫き通したまま、俺とあんなけんがあったことも悟られないように、本当にいつも通りの感じで接してくれていた。

 こいつの正体は恋愛脳のエセ陰キャおっぱいだけど、ひとまずはもうしばらく平凡な仲良し五人グループを続けられそうで、少しほっとする。

 青嵐が穏やかな笑みで、青すぎる空の向こうに目を投げた。


「去年の夏のチャリ計画はさ。なんの考えもなしに、とりあえず行けるとこまで行ってみようぜって話だったんだよ。もちろん全員、日帰りのつもりだったんだけどな。これが誰も『そろそろ帰ろうぜ』って言わねーの。辺りがだんだん暗くなってきてもだぜ?」

「最初にそれを言ったやつが負けって空気だったもんな」


 なつかしくてつい笑ってしまう俺に、青嵐がうなずく。


「ああ。そんで三つ目の山を超えたあたりで、新太郎のチャリがパンクしてさ。もうすっかり夜だったし、周りに人は全然いねーから、みんなめちゃくちゃあせったんだ」

「え、山を越えようってしてるのに、なんの対策もしてなかったわけ? ほら、パンクの修理キットを自転車に積んどくとかさ」


 朝霧さんの言うことはもっともだけど、中三の俺たちってとにかく無謀だったんだよな。


「だいたいママチャリだったんでしょ? もうその時点でめちゃくちゃっていうか……それで結局、みんな歩いて帰ったの?」


 新太郎が俺を見て、にっこり笑った。


「純也が言ってくれたんだ。『俺の荷台に乗れ』って」

「そうなんだよ! 新太郎も俺もどうしたらいいかわかんねーで泣きそうだったのにさ。この古賀純也って男は、まさかのニケツを提案したんだぜ!? 早朝からの強行軍で、もう全員ボロボロに疲れ切ってた状態なのにさ。あれはなかなか言えねーぞ?」

「それに僕や青嵐が途中で何度も交代するって言っても、純也はかたくなに譲らなくてね。本当に最後まで僕を後ろに積んだまま、ちゃんと家まで送り届けてくれたんだ」


 ……むずがゆい。あれはたんに、俺が言い出しっぺだったから責任を感じただけなんだけど。

 朝霧さんが俺を見ながら、あきれた息をついた。


「だからそうなる前に帰ったらよかったのに……みんな、ほんとにバカだねえ……」

「バカでいいんだよ」


 確かにあのときは足がパンパンでかなりきつかったけど、おかげでめちゃくちゃれいな星空が見られた。男三人、途中のファミレスで朝まで愚痴を言い合う反省会だってできた。

 そういうのをバカっていうのなら、利口よりも断然楽しくて、幸せで、最高だと思う。

 そしてそれを無計画な子どものやることだっていうのなら、俺はまだまだ子どもでいい。


「ふーん……そっかそっか。うん。やっぱ男っていいね」


 それは朝霧さんの独り言。重ねた両手をぐーっと伸ばして、でっかい空を仰ぎ見る。


「なんかさー。古賀くんたちと一緒だったら、絶対この夏も楽しくなりそ。ね、夜瑠?」


 朝霧さんに振られた成嶋さんが、俺をいちべつした。


「……そだね」


 その目は暗に「ならねーよ」って言ってるみたいで、なんとなく居心地が悪い。

 そんな話をしてるうちに、俺が別れる交差点にやってきた。


「まあ夏休みの計画はまた話し合おうぜ。じゃあ俺はこっちだから」


 またな、って言って背を向けたところで。


「あ、そういや夜瑠の住む物件、決まったんだって。今度みんなで遊びに行こうね」


 朝霧さんが思い出したようにそう言った。


「へえ。いよいよ成嶋さんも一人暮らしスタートか。おめでとう」


 かく言う俺も、高校に入学した時点から一人暮らしをしている。

 青嵐、新太郎とは地元が一緒なのに、俺だけ電車通学じゃない理由がそれだ。高校に進学するとき父さんに、「家から遠いなあ」って軽く漏らしたら、こんな言葉が返ってきた。

 ──じゃあ試しに一人暮らしでも経験してみるか?

 うちの父さんが不動産屋だからなのか知らないけど、高校生の息子に一人暮らしをさせることには抵抗がなかったらしい。むしろ進んで学校近くの格安物件をいくつか見繕ってくれた。

 空き物件を埋めたかっただけなのかもしれないけど、俺にとっては好都合だった。

 だって高校生で一人暮らしって、めっちゃ青春じゃん。

 休みの日には、青嵐も新太郎も入り浸ってくれるしさ。


「成嶋の部屋の前に、お前らはまだ純也の部屋にも行ったことねーよな? そっちも攻めようぜ」

「そだね。んじゃ今度、古賀くんの部屋で、朝までゲーム大会とかどうだっ!」


 青嵐と朝霧さんが勝手に盛り上がっている。

 まあそれもバカで最高な思い出になりそうだけど。


「うちは壁薄いから、朝まで騒ぐなら成嶋さんの新居でな」


 成嶋さんに父さんの不動産屋を紹介したのも俺だ。

 理由は知らないけど、前々から一人暮らしがしたいって言ってたから。

 まあ事情は人それぞれ。別にその理由を詮索する気はない。


「あ、あの……その節は、いろいろありがとうね。古賀くん……」


 これはいつもの猫かぶりじゃなくて、素直に感謝してくれてるっぽい。

 そんな成嶋さんを見て、俺は純粋によかったなって思ったんだけど。

 結果的には、よくなかったんだよな。



 で、次の土曜日。

 今日は学校も休みだし、とくに予定もないから、二度寝を楽しんでいたところで。

 外から聞こえてくる騒音に邪魔をされた。

 俺が一人暮らしをしてる物件は、昭和の香りがぷんぷんする二階建てのボロアパート。

 玄関のドアなんて俺の胸板くらい薄っぺらいんで、いやが上にも騒音には悩まされる。

 二階の俺の部屋から下を見ると、アパートの前に軽トラが止まっていた。

 どうやら誰かが引っ越してきたらしい。

 朝メシを買いに行くついでに、見物しようと思って外に出ると。


「ああ、どうも」


 やすしんびた外階段をカンカン鳴らしながら、一人暮らし用の小型冷蔵庫を抱えた中年男性が上がってくるところだった。

 その中年男性は俺の隣の部屋に、冷蔵庫を運び入れている。

 この人が引っ越してきたのかな。

 最初はそう思った。だってそうだろ。いくらなんでも、予想の斜め上すぎるって。

 中年男性のあとに階段を上がってきたやつが。

 段ボール箱の上に、自分の凶悪な乳を乗せて運んでいたそいつが。


 あの成嶋夜瑠だったなんて。


「えっ!?」「はあ!?」


 外階段の真ん中で鉢合わせた俺たちは、どっちも素っ頓狂な声を出した。


「な、なんで古賀くんがここにいるの……?」

「いや、それはこっちのセリフ……」


 すぐに察した。今の中年男性は成嶋さんの父君で、娘の引っ越しを手伝ってたんだって。

 成嶋さんも察したはずだ。俺がこのアパートの住人だって。

 部屋に冷蔵庫を運び入れた中年男性(成嶋父)が戻ってきた。


「さっきはしやくだけでごめんね。うちの娘の……だよね?」

「最っ悪……ッ!」


 思いっきり眉根を寄せた成嶋さんのそれは、やっぱり学校では絶対に見せない顔だった。

 作業に戻った成嶋親子を固い笑顔で見送ったあと、俺はすぐさま父さんに電話する。


「おいどういうことだよ!?」

『なんだいきなり。仕事中に電話してくるなって言ってるだろ』