こちら、終末停滞委員会。 1

第1話『こちら、終末停滞委員会』 ②

 

  ■


 目が覚めた。という事実に、驚いた。


(……あれ?)


 俺は、女神の神殿で死にかけてた筈だ。確か、注射を打たれて……。


(ここ……どこだ?)


 そこは清潔な空間だった。真っ白な室内。ここはきっと、病室だ。


「……頭……痛ぇ……」


 俺はよろよろと立ち上がりながら、病室の窓を開けた。


「なんだこれ……――蒼っ」


 あったのは――一面の蒼だった。つまりは青空だ。上から下まで、全部が蒼だ。まるで飛行機の窓から空を眺めた時のように。


「嘘だろ? こ、こんなの有り得ねえ!」


 俺は病室から身を乗り出して、地面を見下ろした。だが地面すら無い。あるのは、幾つかぽつぽつと空を漂っている、真っ白の雲だけだった。雲が窓よりずっと下にあるだって?


「やびっ。もう起きてる!」


 背後の扉から、薄いベージュの髪の――確か、ニャオと呼ばれている小動物系少女が現れる。


「まだあんま、動いちゃだめですよう!」


 彼女はパタパタと俺の元に来ると、気遣うように背中を撫でながらベッドまで誘導してくれた。ちょっといい匂いがした。じゃなくて。


「……ごめん。マジでわかんない。ここはどこ。これはなに。俺は正気?」

「正気の定義によります。小柴は多様性を重んじるので!」


 偉いけど、今そういう余裕ないから、俺。あと小柴って誰。この子の名字なのか?


「ここは天空都市・フルクトゥスの第12地区にある、『蒼の学園』の保健室です」

「て、てんくう……?」

「そう。お空を浮かんでいます。あはは、地上の人たちはびっくりしますよねえ」


 びっくりする。どころじゃない。信じられない。いや、信じるしかないのか? 少なくとも、そう簡単に飲み込めないのは確かだった。


「すいません。うちの規定で被災者・及び捕虜を連れて帰投する場合は、鎮静剤で意識を失わせなければいけないというものがありまして。混乱しちゃいましたよねえ」


 どうやら、俺は女神の神殿にて鎮静剤で気絶させられて、この空飛ぶ『蒼の学園』まで運ばれて来たらしい。……はは。なんだこの一日。盛り沢山にもほどがある。


「お体の具合はどうです? 言万さんが回復し次第、連れてきてと言われてて」

「……どこに?」

「えっと、なんだっけ。会議室? みたいなとこ? あの、まんまるに椅子がいっぱいあって、皆でおしゃべりするところです。えっと、名前忘れちゃったな」


 この子、ちょっと抜けているのかもしれない。


「なんですかその目は」

「いや……小柴さんってちょっと、抜けてるのかなって」

「なんですか。勝負しますか」


 小柴さんは両手を指スマの形にした。なんでだ。IQで勝負しようとしているのか。


「い、いや。今は良い。それより行かなきゃいけないトコあるんだろ。そっちに行こうよ」

「ふふふ……。では不戦勝で小柴の勝ちですね」


 勝ち誇っていた。微妙に悔しかった。




 『蒼の学園』と呼ばれる建物の内側は、一見するとただの洒落た校舎に見えた。しかし俺がよく知る日本風の建築ではなく、どこか地中海風の、白と蒼を基調とした内装だ。


「ここです。どうぞお入り下さい。小柴は来ちゃだめってゆわれてるので」


 ニャオさんはニコニコと笑いながら立ち止まった。

 真っ白な廊下の突き当りに、妙に荘厳な扉があった。その扉の隣には天秤や四足の化け物が描かれた真鍮のプレートに『異端審問室』と書かれている。


「――話……違くね?」

「何がですか?」

「『会議室』つってたじゃん! 皆でお喋りするとこって言ってたじゃん!」


 『異端審問室』って、なんか、全然ニュアンス違くない? だって言ってるじゃん異端って。異端を審問する部屋でしょ? もう俺、異端扱いじゃん。これ魔女狩りだったらどう足掻いても殺されるパターンなんですけど? え。異端審問室? その響き怖すぎるマジで。


(い、いや。名前は昔のままなだけで、実は小柴の言う通りアットホームな雰囲気の場所なのかもしれん。恐れるのは未だ早すぎるよな?)


 俺は少しだけ深呼吸して、小柴に案内の感謝を伝えると異端審問室のドアを開いた。

 妙に重厚な扉で、ギギギと蝶番が軋む。なにこれ。バイ○ハザードの扉でしか知らん。


「――それでは、判決を言い渡す」


 扉の奥に居たのは、円形の部屋だった。壁には階段状に椅子が並べられていた。

 そこに座っているのは、見たことの無いような角と牙、巨大な瞳を持つ、木製マスクを被った、何十人もの人々だった。彼らは入室した俺に、一斉に視線を向けた。


(――怖すぎる)


 知らない類の恐怖なんだよ。怖すぎるよ。あのお面なんだよ。アジアンテイストな何かなのはわかるんだけど。何十もの木彫りの視線と静寂に晒されて、俺は思わず固まってしまう。


「あれ? あの子は」


 静寂を破ったのは、酷く能天気な声だった。


「やっほぉ~」


 ひらひらと俺に向けて手を振るのは、円形の審問室の中央奥、一際高くて目立つ場所に座るにいる、桜色の髪の女の子だった。ギターを持っていたあの子。

 正直喋ったことも無いから知人面出来るほどではないのだけれど、一応少しでも見知った顔があるのに若干安堵した。――いや、それだけではなかった。


「こほん。それでは改めて判決を――この生徒会長、エリフ・アナトリアが言い渡す」


 桜色の少女の隣には二人の人間が座っていた。

 一人は背の高いひょろりとした、気の弱そうな男性だ。長い髪を頭の後ろで結んでいる。

 一人は『生徒会長』と名乗った小さな女の子だった。色鮮やかな帽子を被って、手首や首元にじゃらじゃらと美しい宝石を纏っている。桜色の少女と、背の高い男性に挟まれて偉そうに座っていた。まるでこの場における決定権をすべて持っていると言わんばかりだった。


「異端者――Lunaよ」


 俺はその時、やっと気がついた。この円形の部屋で、誰が審問されているのか。木製の仮面を被った人間たちは誰の罪を問うているのか。俺はそのことに、一番に気がつくべきだった。


「……はい」


 薄い水色のジャージを着たメイド服のお姉さん――Lunaさんが俯いていた。彼女はこの異端審問室の中央に居て、明らかにこの場における中心的な人物だった。


「Lunaさん……っ」


 ――生きていたんだ。

 俺が思わず泣きそうになると、袖をくいっと引っ張られた。


「静かに。ここは神聖な審問室です」


 知らない女性の声だった。大きく瞳を見開いた、鬼のような風貌のマスクを被っている。俺は思わず口を噤んだ。しかし、黙っていられるのは少しの時間までだった。


「――君に、即刻の廃棄処分を言い渡す」


 生徒会長のエリフ・アナトリアが呟いた。その瞬間、木のマスクを被った人々は立ち上がって、歓声に湧いた。裁判モノのドラマでよくある光景みたいに。


(……廃棄……処分……?)


 待てよ。それ。何が? 何を? 処分するって、言うんだよ?


《当然だろうな。『商会』のあんな型落ちの玩具に、今更研究する価値もない》

《あの反現実性なら、ラボの破砕機で十分だろう。問題なく粉々に出来るはず》


 周りの人間の心を読む。彼らが何を言っているのか、俺には半分も理解できなかった。けれど曖昧な感情の形そのものが、彼らがLunaさんをどうしようとしているのかは明白だった。


(こいつら……Lunaさんを殺すつもりだ!)


 どうしよう、とさえ思わなかった。それよりも先に、体が動いていた。


「……え?」


俺は階段を飛び越えて、Lunaさんの前に立ちふさがった。


「ほお」


 面白そうに、生徒会長が呟いた。


「あら?」


少しだけ驚いたように、桜色の少女が首を傾げる。


「……」


長身の男性は俺の方を見すらせずに、忙しく手元の書類を捲っている。


「君は確か、ことよろずことクンだったかな。Lunaクンの調書で聞いてるぜ。確か、霊魂アキュムレータ™の被害者だったとか。大変だったね。でも今は忙しいから退いてくれるかい?」


小柄な少女――エリフが呟く。どこか尊大な、けれど余りに彼女に似合いなその声色は、傲慢さを微塵も感じはさせなかった。小さいのに、ラファの叔父にも引けを取らない迫力だ。


「今……アンタ……Lunaさんに何するって?」

「壊すんだよ。破砕機で粉砕する。影も形も残らないようにね」


 まるで昼食の献立を話すみたいな、平坦なトーン。

 俺は、眼の前が真っ赤になるのを感じた。


「お前たち……何様のつもりだよ……。命を……俺たちを……なんだと……」

「うん?」

「……何故だ? 何で、Lunaさんを壊そうとしている?」


 面倒くさそうにエリフが答えようとする。それより先。背後で、凛とした少女の声が響く。


「――我々が、終末を停滞させるモノだからだ」


 先程俺の袖を引っ張った、鬼のような仮面をつけた女の子。驚くほどにハキハキとした、騎士のような声色で、彼女は続ける。


「彼女――Lunaはブラックリストの一つ『境界領域商会』によって作られた反現実実体だ。次元の終末を引き起こす可能性『終末ポテンシャル』はStage 3: 『成長(Crescita)』。我々は次元を安定させるため、早急に破壊する必要がある」


 ハキハキと語り終えると、彼女は役目は果たしたとばかりに自分の椅子に座りなおす。


「まあ、つまりは……」


 エリフが呟いた。


「そのメイドさんは、化け物なんだよ。だから殺す。簡単な話じゃぜ」


 化け物。その言葉が、妙に胸の奥にずんと響いた。


(化け物だって? ――それは俺だ)


 俺がガキの頃に、バカの一つ覚えみたいに言われ続けた言葉だ。化け物だから殺すだって? ふざけるな。そう思った。強く強く拳を握った。


「それにそのメイドさんは、霊魂アキュムレータ™……あの女神に協力して、今までに数百名もの人魂を収集しているらしいしね。それだけでも十分に重罪だよね」

「Lunaさんは、女神に脅されてたんだ。実際、俺を助けようとしてくれていた!」


 審問室が、ざわざわと俄に騒がしくなる。エリフが少し興味深げに瞳を開く。


「ほー、そうだったんだ」

「ああ。だから――」

「だったら、何故それを言わないわけ?」

「えっ」

「君に聞いているんだぜ。Lunaさん」


 エリフが鋭い視線をLunaさんに向けた。Lunaさんは興味なさそうに視線をそらして、ため息を吐いてから、淡々とした口調で喋り始めた。


「……どーでもよかったから」


 Lunaさんは俺と視線を合わせて、ふっと少しだけ優しく笑った。


「ありがと。言万クン。でもいーんだよ。私さ、もー、ヤなんだよね。なんてゆーか、ほら。いろいろ。君なら、わかるでしょ? 君だけは、わかってくれるでしょ?」

「……っ」


 わかるよ。だってLunaさんは俺に逃げろという時、泣いていたから。

 この人はもう、生きていたくないんだ。疲れ切ってしまったんだ。終わらせたいんだ。

 わかるよ。俺にはそういうの、本当にわかるよ。でもさ。


「でも、だめだよ……」

「え?」

「だって、Lunaさんが言ったんだろ……『あんま悲しいことばっかり考えてちゃいけない』って。俺に、あんたが言ってくれたんじゃん……」


 Lunaさんは一瞬だけ呆気にとられて、すぐにまた笑った。


「ごめんね。あたし、やっぱばかだね」


 淡々とした声色で。けれど、喉の奥に泣きそうな気配を隠せないままで。

はあ、と長身の男性がため息を吐いた。


「はい静粛に静粛にー。もう結論は出ているんだ。今更どうしたって仕方が無いよ。ほら、騎士団の皆さん。早くこの子を連れて行って――」

「させない」


 木製の仮面を付けた連中が立ち上がって、Lunaさんを取り囲もうとする。俺は両手を広げて、それを遮った。


「駄目だ! やめろ! そんなこと、させない! 絶対に、させない!」

「させないってねえ……まあいいや。皆、この子を退場させて――」


 木製の仮面を被った騎士が、俺の肩を掴もうとする。

 俺には、その動作がわかっていた。


「しっ」


 腕を躱して、鳩尾を強く殴りつける。仮面の騎士は油断していたのか、一発で膝をつく。


「やってみろ」


 俺は拳を握って、軽く脇を締めた。ジジイから教わった、アップライトスタイルだ。


「本気?」


 エリフが笑った。


「この人数相手に、素手でどうにかなるって思ってるの?」


 そんなことは関係ないんだよ。きっと、あんたらみたいな奴らにはわからないんだろう。


「俺はもう。――諦めることは、諦めた」


 自分より強いやつの言いなりになって、大切な何かを失うなんてゴメンだ。

 それだけだ。それだけは絶対に、譲ったら駄目なんだ。たとえ他のすべてを失くしても。


「やめて」


 Lunaさんが震える声で、俺の袖を掴んだ。


「行くぞ」


 冷静に仮面の騎士たちが木製の長い棒を持って、俺を取り囲む。


(分かってる。お前たちの動きは。お前たち以上に、お前たちを理解する――)


 心を見る。心を識る。俺は俺を流体にする。魂を同化させる。


「らぁあああああああッ!」


 騎士が棒を振り下ろす。俺はその光景を知っている。避けて、懐に入ると仮面の下から顎を殴り飛ばす。低い体勢のまま、一番近くの騎士の足をとって転がす。肘で首を強打する。

 全く同時に、棒で肩を強く殴られた。鎖骨は折れてしまっただろう。構わない。俺はその代わりに、騎士の懐から一丁の拳銃を頂戴していた。


「――……」



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