【外伝・書き下ろし】こちら、終末停滞委員会。です! ――例えばこんな、普通の日々の物語。

第6話『CP厨は、くっつけたい。』


 カウス・インスティテュートの名物褐色美人姉妹――の片割れ。ナディア・ハリードはニコニコしていた。その手には、大きな袋を抱えている。


「それじゃあお姉ちゃん! お疲れ様! 自分はもう行くっすね!」


 取材の仕事が終わってすぐに、ナディアは急いでどこかに行こうとしていた。彼女の姉――イシス・ハリードのレポーターとしての勘が、ぴこんと閃いた。


「ナディアちゃんそんなに急いでどうしたの。ずばり、私に何か隠してるでしょー☆」

「ううんそんなことぜんぜんないっすそれじゃあまたねお姉ちゃん!」


 ナディアは早口で続けると、夜の街を駆け始めた。あの姉は一度疑惑が巻き起これば解決するまで取材を続けるマスコミの鑑なので、さっさと逃げるのが吉なのだ。


「こら! 待ちなさーい! ふぎゃんっ」


 そして更に言うならイシスナディアよりどんくさいので、本気のかけっこになればナディアに分があった。他の記者や同僚たちに若干申し訳ないなと思いつつ、ナディアには急ぐ事情があったのだ。


(うおおお! ごめん皆! 今日だけは! 今日だけは~~~~!!)


 彼女にとって、どうしても外せない用事がある。


(あの2人の行く末、どうしても見届けなきゃいけないんだーー!!)


 故に彼女は、慣れない第6地区の夜道を、一人で駆け抜け続けるのだった。


   ■


 始まりは――5日前の事だった。


「え。フォン・シモン先輩が、Corporationsに行く!?」


 カウス・インスティテュートの寮室のベッドの上で、ナディアはがばりと体を起こす。オーク製の壁には写真が所狭しと飾られていて、机には記事のファイルが並んでいた。


『そうですの~♡ ほら、東京防衛戦ではCorporationsが蒼の学園に協力したでしょう?  そのお礼というか、ご挨拶というか。そう言うので、会談をするんですって』


 ナディアが電話をしていたのは、東京防衛戦で、共に作戦本部の指揮を支援していた、悪魔の羽を持つシスター――ダスク・グリッターである。

 彼女の片羽『混沌を讃えよDISCORD』とナディアの斬撃『朗報朗報アル・ワクトゥ・セイフ』は非常に相性が良く、東京防衛戦の情報戦で最も活躍した2人と言っても、過言ではなかった。


『まあ、3日も滞在されないそうだけれど~』

「そ、それでダスク先輩は、会うんすか? シモン先輩に」

『え、どうして?』


(どうしても、なにも!)


 ナディア・ハリードには特技がある。それは、男女が出すシグナルを誰よりも早く察知する能力である(ナディアが勝手に『ある』と思い込んでいる節もある)。


(ダスク先輩、絶対シモン先輩の事が気になっているのに……!!)


 東京防衛戦のとき、二人はいいコンビに見えた。そしてダスク側の方がシモンに惹かれているのは、明白だった。流石にあの大決戦の前後で、そんな色ボケた事に夢中になっている暇はなかったのだが……。


「だ、だって会いたくないですか?」

『……え? ぁ……ぅーん。…………まあね? でも、お忙しい方ですもの』


 照れ隠しのような半笑いに、乙女の気配のこもった吐息。ナディアは確信した。


(これは……自分がお助けしなければ!)


 こうしてナディアは裏からほうぼう手を回して、1日に25時間働くという噂のフォン・シモンの夜の予定をまるっとあけさせて、食事会の手配を行ったのである。


(絶対、この2人はつつけば花開く!)


 ナディアは相変わらず、CP厨なのだった。


   ■


「あらぁ。ナディアちゃん、お久しぶりですの~っ♡」

「わあ! ダスク先輩! お会したかったっすー……!!」


 ナディアが選んだ場所は、Corporationsにある小さなパーティ会場だった。元は何かの倉庫を改装したのだと言うそこには、洒落たキャンドルやアートのレプリカで飾られている。


(ダスク先輩……おめかししてる……!!)


 Corporationsは蒼の学園やカウス・インスティテュートと違って、定められた制服が無い。そのため東京防衛戦の時でも、着慣れたシスター服のような物を身にまとっていた。

 けれど今日は黒の上品なカクテルドレスを纏っていた。肩を露出して、僅かに胸の谷間がチラリと見える。よく見るとスカートにスリットも入っていて……タトゥーも覗く。


(……相変わらず、えっちな格好だ……!!)


 貞淑なハリード家で育ったナディアには、ちょっぴり刺激が強かった。

「またこの3人でお会いできるなんて、夢にも思いませんでしたわ♪」

「ふふ、東京防衛戦が、随分前に起きた事のようっすね」


 あの戦いから、まだ2ヶ月も経っていない。それなのに、何だか懐かしささえ感じた。東京が復興を始めているというニュースが、テレビでひっきりなしに流れているというのもあるだろう。


「えっと。でも、ここは一体……? てっきりどこかお店にでも行くのかと」

「くす。もうシモン先輩は来てるっすよ。中へどうぞ~♪」

「あら、そうなのですね。くす、楽しみだわ♪」


 ナディアはダスクを伴って、パーティ会場に戻る。


「……」


 そこでは洒落たテーブルを前に、リンフォン指輪携帯のディスプレイを弄って、凄まじい手つきでメールを打つ男が居た。フォン・シモン――通称・机上の悪魔である。


「あらぁ~っ♡ シ・モ・ン・さ・まっ♡」


 薄暗いパーティの間接照明でメールを打ち続ける仕事の鬼の背中を、全く気にせずにニコニコ笑いながら抱きしめて、彼女の胸が彼の後頭部でたゆんと歪む。


(きゃー! なんて大胆な!?)

「シモンさま♡ 私、またお会いできるのを一日千秋の思いでお待ちしてましたわ」

 淫靡に笑うダスク・グリッターの腕を、フォン・シモンは握った。


「ぎゃっ」


 シモンは、ダスクを近くのソファに投げ飛ばした。


「……全く、変わらないみたいだね。ダスク」

「シモンさまのいけずーー!!」


 エチエチなダスクの攻勢を、100%塩対応で避けるシモン。


(こ、これがフォン・シモンとダスク・グリッターやーー!!)


 ナディアは感動して、ちょっと泣いた。


「……何で泣いてるんだ、あいつ」

「……ナディアちゃん、時々変なトコありますわよね?」


 フォンダスの2人(ナディアが名付けたCP名)は、怪訝そうにナディアを見るのだった。


   ■


「わぁ……! すごい。これ全部、ナディアちゃんが作りましたの?」


 テーブルに並べられたのは数々の料理。ナディアは、彼女が地上に居た頃に好きだった料理を作った。パーティだし、色とりどりになるように頑張ったつもりである。


「沢山作ったので、いっぱい食べてくださいね。取り分けますよ~~っ」


 ナディアは特に上手に作れたコジャリ(米と豆とパスタをブイヨンで炊いてトマトソースで味付けした料理)を更によそうと、2人に差し出す。


(ナディアちゃん、こんな素敵な場所を見つけて、料理も準備してくれたなんて。よっぽど今日のこと楽しみにしてたのね~♡)


 とか思って、ダスクは和んでしまった。


(このままではフォンダスの2人は空中分解! 少なくとも今日で、連絡先の交換ぐらいはさせなければ!!)


 和むダスクに反して、当のナディアは必死であった。


(ダスク先輩は無自覚かもだけどシモン先輩に惹かれてる! シモン先輩はいつも塩対応ではあるけれど――)


 ナディアには、ちょっとした確信があった。無言でもぐもぐと料理を食べるシモンを見ながら、考える。


(シモン先輩。自分が食事会に誘った時、最初は興味なさそうだったけど。ダスク先輩が来るって聞いた途端、二つ返事で『じゃあ行く』って言ったんすよねえ……)


 脈は無いわけでは無いのだろうか。というわけで、ナディアはつついてみるのだった。


「そう言えば……最近、お二人はどうですか? プライベートの方とか。お付き合いしている人とか、いらっしゃるんですか?」

「あら。ナディアちゃん、どうしたの? くす、気になる人でもいらっしゃるのかしら」

「いえ全然。自分は全く、影も形も無いのですけれど――」


 ナディアは、ちらりとフォン・シモンを見た。彼はマイペースに口を開く。


「うん。うまいな、この料理」

「……それはそれで、良かったです」


 でも、ちゃんと会話を聞いて欲しい気持ちもあった。

「だってダスク先輩とか、めっちゃモテそうじゃないっすか!?」

「それは私より、ナディアちゃんじゃない? メディアの露出多いでしょ?」

「いや……うちは美人キャスターの姉と、ギャグ担当の妹みたいになってるんで。正直あんまりなあ……。時々、変なファンからDMが来るぐらいです」


 ナディアとダスクの会話に、シモンが顔を上げる。


「……ン? ナディア。君は有名人だったのか」

「……ほんっと他人に興味ねーなこの人」


 ナディアは苦笑気味にため息を吐いてから。


「お姉ちゃんが運営してるチャンネルに、よく出演してるんす」

「よくって言うか、殆どレギュラーですわ! シモンさま、だめよ。ちゃんと世間に興味を向けないと。ハリード姉妹のチャンネル、カウスで超トップの視聴者数なんだから」


 ナディアは曖昧に笑う。そのチャンネルの運営の殆どが姉の手による物であり、その企画力と取材力あっての物だからだ。ナディアは本当に、アシスタントをしているに過ぎない。それなのに彼女と同列で語られる度に、小さな罪悪感に襲われるのだ。


「ふむ、そうだったのか。僕も今度見てみるよ」

「い、いいっすよ! 恥ずかしいですし!」


 様々な事件や団体に忖度ゼロで切り込むハリード姉妹のチャンネルは、カウスにとって既にインフラの1つにさえなりかけている。カウスは昔から隠蔽体質なので、暴く闇には事欠かない。まあ、ある程度大きな組織の避けられない性質ではあるのだけれど。


「それより! だから……最近のお二人の恋愛面とか、聞きたいな~って」

「ふむ。そんな事に興味があるのかい?」


 フォン・シモンは首をかしげた。マスコミであるナディアが蒼の学園の生徒会長である自分を眼の前にしてそんな事が気になるというのが、彼にとっては少し不思議だったのだ。


「しかし……まあ、僕も、悩みの種ではあるよ」

「えっ。何がですかっ!?」


 ナディアは目をキラキラさせた。


「家から世継は残せと言われていてね。婚約相手の候補リストが送られて」

「なんっすかそれぇ!?」


 ナディアは声を荒げた。


「へえ。シモンさまって、良い家柄の方なのですね」

「……まあ、古臭いだけさ」

「ままま待ってください! シモン先輩はそれ、受けるんですか?」


 シモンは肩を竦める。


「僕に決定権は無い。家が決めるだけさ」


 なんということだろう。これではナディアの計画は頓挫の一途である。


「そもそも僕は異性に……というか恋愛自体に興味があまりなくてね。どうでも良いという気持ちもあるし。なるようになるだろう、と言う感じかな」


 ナディアはアワアワとした。そんなのは絶対に駄目だ、と思う。しかし完全に自分の趣味の話になるので、あんまり強くも言えなかった。


「あら、それは良くありませんわ。シモンさま?」


 ――優しく笑って意を唱えたのは、ダスク・グリッターだった。


「良くない……とは?」

「だって、したこともないのでしょう? 見て、手にとって、触れてすらいないものを、価値が無いと語るのは、あなたとは思えない程に、早計ですわ?」

「しかし証言なら幾らでも揃っているよ。南極に行った事は無いが、南極のアザラシが数の減っているのを心配しているのと同じ」


 同じかしら? とナディアは一瞬思った。


「恋というのはね、シモンさま。みんな、違う形をしているのです」

「……ふむ?」

「好きな人の瞳を覗いた時、あなたが何を思うのか。好きな人の体に触れた時、あなたの心臓がどう跳ねるのか。好きな人の心に触れた時、あなたの心がどう変わるのか――」


 ダスク・グリッターは清浄に笑った。


「――それは、みーーーんな違うのです」

「……ふぅーん」

「誰にも恋の価値を断ずる事は出来ないのですわ。神の価値を語れないのと同様に」


 ナディアは、なんだか大人だなあ、と思って、ちょっぴり恥ずかしくなった。これでは、背後でわちゃわちゃ暗躍していた自分が馬鹿のようである。実際にそうではあるのだが。


「面白い考え方だな。君はその手の経験が豊富なのかい?」

「あら♪ レディーにする質問とは、思えませんわ?」

「……それはそうか。すまないね。言い方が悪かった」


 素直に謝るシモンを見て、ダスクが笑う。そんな2人を見て、ナディアはやっぱり、この2人の相性は悪くないんじゃないかなーっとか、思う。


「シモン先輩は、女性の好みとかは無いんです?」

「うーん。あまりないね。強いて言うなら」

「言うなら?」

「馬鹿は嫌いだな」


 こいつモテんわ。とナディアは確信した。


「だ、だったら。ほら例えば。自分とダスク先輩だったら、どっちが好みです?」

「ナディアちゃん!?」


 珍しく、ダスクが声を荒げていた。


「まあまあ、物の例えみたいなモンですから。どうっすか、どっちです!?」


 ナディアには確信があった。自分のようなちんちくりんよりも、大人の色香むんむんなダスクの方を選ぶであろうと。フォン・シモンは別にそれをおかしな質問だと思った様子さえ無く、いたって普通に、うーんと考えてから。


「それなら……まあ、ナディアかな」

「へっ!?!?」

「な、何でです!?」


 顔を真っ青にして尋ねるナディアに、シモンは平然と答える。


「え。だって有名人なんだろう。利用出来そうだ、その肩書」

 こいつは駄目だ、とナディアは心底思い知るのだった。


   ■


 宴もたけなわ――というところで、時間は遅くなり始めていた。既に食事は終わり、それぞれ軽いおつまみと飲み物で喉を潤す程度になっている。


「べそべそべそ」


 全く事が上手くいかなかったナディアは、やけになってジュースを呑んでいた。アルコールは入っていないが、気分は完全に酔っ払いである。


「……何をイジケているんだ、ナディアは」

「くすくす。見ていて飽きない子ですわ、本当に♡」


 駄目だ。このままでは完全に進展する気配が無い。こんな機会は二度とやって来ないのだ。諦めるわけにはいかない。キューピットの名にかけて――。


「あ、シモンさま。このお菓子美味しいですわ。はい、あーーんして♡」

「鬱陶しい」


 灰の中から火種を燃やし続けるナディアを尻目に、シモンとダスクはいちゃついていた。


「そ、そうだシモン先輩! 自分、聞きたい事があったんすよ!!」

「……ん? なんだい」


 ナディアに見えていたのは、一筋の光明だ。この疑問だけは解消するべきだった。


「シモン先輩、ちょーーーお忙しいじゃないですか。何で来てくれたんです?」

「む」


 フォン・シモンは、旧交を温めたいからという理由で時間を使う人間ではない。そんなまともな情があるとは思えなかった。だから、ナディアはダスクに脈があると思ったのだが。


「ふむ……良い時間だし、そろそろその話もするか」

「え?」

「――ダスク」


 シモンは、真っ直ぐにダスクを見た。いや……彼が他人を見る時は、いつだって恐ろしいほどに真っ直ぐだ。他人を慮るような軟弱な真似が出来ない人間だから。


「僕は今日は、君に会いに来たんだ」

「…………へ?」


 ダスクが驚いて、目を丸くする。ナディアの心が跳ね上がる。


(え? 自分は?)

 と、思わないこともなかったが。まあ今は良いのだ。


「シモンさま? どうしたのかしら。急にそんな事言い出して。あ、もしかして『この戦いが終わったら結婚しましょ♡』って話してたの、叶えてくれるおつもり?」

「まあ、似たような事かな」

「へ」


 ナディアは、信じられない言葉を聞いた。


「――ダスク。僕は、君が欲しい」


 フォン・シモンが、ダスク・グリッターの手を握ってそう言ったのだ。さっきまで余裕そうな笑みを浮かべていたダスクの頬が、ぼんっと小さな爆発を起こすように赤く染まった。


「えっ。まっ。えっ! な、なんですの急に。本当に、なに」

「ずっと考えていたんだ。僕の隣に居るのは、君以外の他に考えられない」


 その表情は、真剣だった。あまりの困惑に、ダスクの目がぐるぐると回っていた。ナディアは良くわからない展開ではあったが、ぐっと両手を握っていた。


「急にこんな事を言われて困るだろう。だが安心してくれ。必ず面倒は見る」

「にゃ、にゃ、にゃ、にゃ、にゃ」


 ダスクはもう、混乱して何も言えなくなっていた。シモンが続ける。


「一目見た時からそう思っていた。この前の作戦で共に過ごして、この思いは強くなっていった。もう僕には、君しか考えられない」

「…………~~~~~~~っ」

「お願いだ――」


 フォン・シモンは真剣な瞳でダスクを見つめた。ダスクは一瞬怯んで視線を逸らして、すぐに決意に染まって、シモンの事をじっと見返した。シモンが口を開く。


「どうか――蒼の学園に転校して、生徒会に入ってくれないか」

「謹んでお受けしま…………えっ?」


 ナディアはずっこけた。ダスクは呆れた顔でシモンを見て、当のシモンだけがさっきまでと同様に全く真剣なツラを浮かべていた。


「転校したら君を取り巻く環境はまるっと変わるだろう。しかし出来得る限りのサポートはしよう。待遇も、Corporationsの物より遥かに良くする予定だ。そのぐらい、君の能力は僕に必要なものだ。君にはこれからも、僕の隣に居て欲しい」

 どこが『似たような話』だよ。とナディアは憤った。普通にただの引き抜きである。こいつ完全に、仕事の為にこんな所まで来やがったのだ。


「………………ふぅ」


 呆れて物も言えなくなっていたダスクだが、小さく息を吐くと、笑っていた。


「構いませんよ、シモンさま♪ Corporationsは実力社会。母体に恩など感じていませんし、高待遇であるというのなら、断る理由もございません」

「そうか。助かる」

「で・す・が♡」


 ダスクは笑っていた。だけどその笑みは何だか怖かった。


「条件があります」

「勿論そうだろう。言ってくれ。なんでも叶える予定だ」


 ダスクを握っていたシモンの手を、更に上からダスクが握る。まるで、逃さないとでも言うように。


「まず――婚約候補のお話。全部断ってくださいまし♡」

「へっ」


 驚いたのは、ナディアだった。そんな無茶苦茶な要求、通る筈無い。


「……? そんな事が条件なのかい。まあ別に構わないけど」

「構わないんですか!? だって、家には逆らえないって!?」

「別に、逆らう理由も無かっただけだから」


 ナディアは驚いていたが、ダスクは特に驚いていないようだった。彼女は賢い人なのだ。フォン・シモンという男の性質を、既に誰よりも深く見抜いている。


「第二に――」

「なんだい」

「月1回、仕事が終わった後、私とミーティングしてくださいな♡」

「……ふむ。まあ、妥当な条件か」

「2人きりで。場所は素敵なレストランや、バーで。代金は割り勘で構いません」


 ナディアは口を出しかけた。いやそれミーティングじゃなくて。


「いやこちらで払うよ。経費になるし――」

「割り勘にしてくださいまし♡」


 ダスク・グリッターはにっこり笑った。その圧で、ナディアはぶるぶる震えた。それはミーティングと言う名の狩りである。ダスクはシモンを囲うつもりなのだ。


「……仕方があるまい。それだけ、君の能力には価値がある」

「くす。決まりですね♪ これからよろしくお願いいたします、シモン様♡」


 こうして、ダスクは蒼の学園に転校することになったのだった。


   ■


 空飛ぶタクシーを呼んでから、3人はCorporationsのきらびやかな街を見ていた。


「はぁー……さぶっ」


 シモンは寒そうに、手に息を当てている。


「……?」


 不意に、ナディアの裾が引っ張られた。ダスクが彼女の耳に口を近づける。


「色々ありがとね、ナディアちゃん♡」

「えっ……」

「セッティング、してくれたんでしょ?」


 なんということだろう。ナディアの浅はかな企みは、ダスクにとっては最初から知っている所だったのだ。ちょっとバツの悪いをしつつ、ナディアは尋ねる。


「でも……すいません、こんな事になっちゃって」

「へ? 何が?」

「蒼の学園に、転校なんて――」


 きっとダスクの人生はまるっきり変わってしまうだろう。ナディアは正直、ここまで事が大きくなると思っていなかったのだ。しかし、ダスクは淫靡に笑った。


「私、最初からこうなる気がしていたの。そろそろ引き抜きの連絡来るな、って」

「……へっ?」


 ダスク・グリッターの片羽は、フォン・シモンにとって喉から手が出るほどに重要な能力だ。ダスクはそれを分かっていた。そして行動力と権力を持った彼であれば、必ず声がかかるとは思っていた。声がかからない時は、かけるつもりでいた。


「くすくす。私、人を見る目はあるの♡」

「ひ、ひえ~~っ」


 つまり、なんだろう。ナディアのやってきた事は、完全に取り越し苦労だったということだ。彼女はがっくしと肩を落とす。


「だからね……転校するぐらい、人生賭けるぐらいの価値、あるなーって知ってるの。あの人は、それぐらい価値のある男。……この私が、初めて恋をするぐらい」

「……え?」

「見ててね、ナディアちゃん♡ ぜーーったい、落としてみせるから♡」


 ダスクは笑った。そのあまりの蠱惑的な笑みに、ナディアはどきっとしてしまう。


「タクシー来たな。行こう、ダスク」

「はいっ♡ それではまたね、ナディアちゃん! また絶対、遊びましょ!」


 きっとこれからあの2人は一緒に過ごすのだろう。ダスク・グリッターは小悪魔の羽を揺らしながら必死にシモンを誘惑して、あの朴念仁は全く意に解する事無く振り払うのだろう。


「お……」


 ナディアは思わず、拳を握った。


(お、推せすぎる~~~~~~~~~~~~~~~~~っっっっ!!!!!)


 2人はタクシーに乗り込む。ナディアはひらひらと手を振りながら、推しCPカプを見守るために蒼の学園に転校するか、本気で思案するのだった。


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