【外伝・書き下ろし】こちら、終末停滞委員会。です! ――例えばこんな、普通の日々の物語。
第7話『メイド心と冬の空』

第12地区の年末は、日本の物とは割と違う。
まず温暖な気候なので、年末でも最低気温が10℃にいかない日の方が多い。
「うぅ~……冷えますね……」
とは言えメフや小柴は寒そうにコートを着込んでいた。恋兎先輩はけろりとしながら、新雪を楽しげに踏みしめている。
「しかし、賑やかだねえ」
けろりとしているのは俺の従者――Lunaさんも同じだった。彼女は人形のように整った顔に気怠げな表情を浮かべながら、白い息を吐き出している。
「ですね。全然前に進めないし」
俺達は人混みでごった返すバザールを歩いていた。店先に連なるのは、ステンドグラスの提灯だ。第12地区の年末の恒例らしく、それは色とりどりの輝きで人々を照らしていた。
第12地区の象徴――蒼の学園でお祭りがあるので、人々は楽しげにはしゃいでいるのだった。
「ほら、ご主人ちゃん。迷子になると困るから。握っとき」
Lunaさんは事も無げに俺に手を差し出した。俺は一瞬、戸惑ってたから。
「……いや、そんなガキじゃないですからね?」
不満げに呟くと、彼女は目をパチクリとさせていた。
「え? いやガキでしょ。アタシから見たら。全然、卵の殻も取れてないひよこだけどね」
「もう17ですが」
「ガキじゃん。セロリも食べらんないし。この前なんて、形の良い木の枝拾って喜んでたし」
Lunaさんは、ふぅ、とため息を吐いてから。
「ていうかね、メイドさんのご奉仕を拒否する権利なんて、ご主人さまにあるわけないでしょ」
「な、ないんですか」
もしかしてLunaさんの中では、メイドさんより立場が低いのか、主人って。
「あー、もういいや。めんど」
Lunaさんは自分の手首からスルスルと銀色の糸を伸ばすと、俺の手に搦めて、無理やり自分の手に重ねた。
「なっ」
「はい、これで迷子になんないね」
機械人形の彼女だけど、体温は高い。冬の冷たい空気の中で、彼女の温かい掌がやけに存在を主張していた。
「あやーっ♡」
これを見て、ニマニマし始めたのが恋兎先輩である。
「よかったでちねー♡ 心葉~~っ♡ 迷子になったら、大変大変でちゅもんねーっ♡」
「ぬあっ」
「あーよちよち♡ ガキでかわいいねーっ」
めちゃめちゃバカにされている。恋兎先輩は心根がガキなので、普通にこういう所があるのだ。本当にフルクトゥスのRANK1とは思えない人間性である。
「る、Lunaさん。マジで良いですからっ。恥ずかしいし」
「……は? 恥ずかしいて何。メイドが主人の手を取るのがどこが恥ずかしいの。ただのエスコートなんですけど」
エスコートと言うには、この形は恋人繋ぎすぎた。彼女の細い指がしっかりと俺の手を握っていて、もぞもぞしてしまう。
「それに、ご主人ちゃんは人の目を気にしすぎ。もっと自分のしたいことを素直になったら良いのに。だって思春期ガキなんだし、綺麗めのメイドさんとお手々繋ぐとか本当は結構嬉しいんでしょ。体面もあるから便宜上拒否しようとしてるけど」
「ぐ、ぐぅ……」
物理だけでなく、理論武装もバッチリのメイドさんなのだった。これじゃあ、もう何も言い返しようが無い。俺は白旗を上げようとした時、褐色の少女が口を開いた。
「Lunaさん。前から思っては居たのですが。――少し、過保護すぎでは?」
「メフちゃん。……え? そうかな。どこが?」
「毎朝起こしたりお弁当を作ってあげたりするのはまだしも……いやそれも結構ですが。歯磨きしようとしたり食事をあーんしようとしたり、寝かしつけようとしたりは、些か行き過ぎかと。言万くんも一人前の男性なのですし」
「め、メフ……!」
俺は感動した。この寮に、まだ味方が居たのだ。完璧な忠告を告げられたLunaさんは、銀のような揺るがない視線のままで告げた。
「無理。だってご主人ちゃんは一生一人前となならんでいいし」
「……なんですって?」
「この人はね、一生アタシにご奉仕されンだから、別にちゃんとしなくて良いんだよ。むしろ全然、子供みたいに甘え続けていいの。分かる?」
「な、なんて教育に悪い大人」
最早、堕落へと導く悪魔的な存在である。この人は俺がダメ人間になればなるほど、優しく溶かすように甘やかしてくれるだろう。沼かよ。
(そしてそのルートも、なんかちょっと幸せそうではあるぞ!?)
1日中Lunaさんに甘やかされながら、じゅくじゅくと堕落していく日々……。一瞬想像して、首を振った。
「お、俺は嫌です!」
「なんだと」
「俺はちゃんとしたいし、ちゃんと大人になりたいです。頼りがいのあるヤツになりたいんです!」
「…………」
Lunaさんは信じられない物でも見たように、じーっと俺の方を見つめてから。
「ふんだ」
つまらなそうに息を吐くと、するすると糸を回収して、地面を蹴った。
「ちょ……Lunaさん!?」
「ばあか」
Lunaさんは一度のジャンプで市場の屋根に駆け上がると、小動物のように機敏な速度で夜の闇に消えていった。
「あーあ」
「いじめっこ~」
恋兎班の面々から白い目を向けられて、俺はかなりの居心地の悪さを覚えるのだった。
■
蒼の学園の中庭では、沢山の紙製のランタンが空に向かって飛び立っていた。
小さな熱気球でもあるそれらには、皆の願い事が書かれている。それは、第12地区の年末の恒例イベントなのだった。
「あ。やっと見つけた」
背後からことりという足音を感じて、俺は振り返る。
「……何してンの、こんなトコで」
俺は人の居ない蒼の学園の空き教室の椅子から、賑やかな中庭を眺めていた。それは喧騒から離れた、少し寂しい暗闇の場所だった。
「だってLunaさんが急に消えちゃうから」
「……」
「でもLunaさんの事だから、絶対俺が見える位置には居るだろうなと思って」
「うん」
「こうして俺が1人で静かな所に居たら、様子を見に来てくれると思って」
この人は複雑なメイドさんなので、俺が友達と一緒に居たんじゃ出てきてくれない。だけどこの人はメイドさんだから、俺が1人で居たら必ず来てくれる。
「ふんだ。ばーか」
「……まだ怒ってます?」
「怒ってるとかじゃなくて」
Lunaさんは、俺の隣に座った。
「……ご主人ちゃんは、アタシのコト邪魔なんだ」
「全然そういうのじゃないですからっ」
「うそつき」
Lunaさんは俺の冷たくなった手を握って、はぁーっと温かい息を吐きかけてくれながら、不満げに呟く。
「俺、Lunaさんが居ないと生きていけませんよ」
「……ふーん」
「邪魔なわけないです。俺の大切な人ですから」
「……」
Lunaさんは、つまんなそうに外方を向いてから。
「……そういうコト、もっといつも言って」
「……言ってないですか?」
「皆の前でも言って」
「ぐっ……ぐぐぅ……それはちょっと恥ずかしいと言うか」
「は?」
氷点下の目を向けられて、心臓がきゅっと締まった。Lunaさんは俺の手をむにむにと揉みながら、呟く。
「……ごめんなさい」
「え?」
「アタシも、ホントはわかってるんだよ。あ、今うざいこと言ってンなー自分って。キモいな~って思うし」
「うん」
「……うんじゃなくて。そこは先ずフォローして?」
「……ゼンゼン、ウザイとか無いですよ。キモイなんて、あるわけ無いデスヨ」
「うん、いい子」
なんて面倒くさい大人のメイドさんなんだ。でもそこも可愛い人だな、なんて思ってしまう。
「……この時期……苦手なんだ」
「何が?」
「冬」
「どうして?」
「アタシの故郷。……宇宙船だったから、四季とかあんま無くてね。こういう、寒さを感じる時は……」
Lunaさんは、遠い目を窓の外に向けた。
「……戦場に居る時だけだった」
「……」
「アタシ、生身だった頃も寒さに耐性あったのね。だから、アタシたちが乗る兵器って、暖房とか無いワケ。普通に、氷点下なの。ずっと」
「そうなんだ」
「だから……寒いと、ダメなんだ。なんかね、寂しくなるの。辺りに誰も居ない気がしてしまうの」
Lunaさんは年上のお姉さんで、大人で、俺のメイドさんだけど、本当は、誰よりも沢山の傷を抱えて生きている人だ。
だからこそ、似た境遇の俺を見て、護りたいと思ってくれる。この人にとって、俺を護ることは、自分を護ることなんだ。
「……俺の方こそすいません。ガキみたいに恥ずかしがって」
「そうだそうだ。もっと堂々としろ、ご主人さまなんだから」
「そこは『ううん、いいんだよ』って言うところです」
Lunaさんはくすくすと笑いながら、俺の頭を撫で始めた。
「……そうだね。ご主人ちゃん、あんま子供扱いしちゃダメだよね」
「そうですよ?」
「うん……ごめん……でもさ」
彼女は、本当に大切な宝物を扱うみたいに、俺の頭を抱きしめた。
「……あんま……急いで大人に、ならないでね……。アタシ1人、置いてかないでね」
甘い匂い。柔らかい感触。高い体温。俺みたいな青少年としては、狼狽える場面でしか無いのだけれど。
「はい。……ずっと一緒です」
「くす。いいこ」
結局、俺達は同じ穴のムジナなんだ。だからこの狭い穴の中で精一杯くっついて、体温を分け合うしかないんだ。それはとても大人の対応とは言えなかったけど、この温もりを失うぐらいなら、俺は大人じゃなくて良い。
「……ふふ」
「ン? 何で笑ってンの、ご主人ちゃん」
「い、いえいえ。別に。なんも」
「……は? もしかしてまたアタシのメンヘラ咲き散らかし名場面を頭で再放送してない?」
「……今日のLunaさん、すごかったっすね、流石に」
彼女は視線を凍らせながら、俺の両頬を引っ張った。
俺は思わず笑ってしまって、彼女はそれを見てもっと怒っていた。
パン、パンと、不意に花火が咲き誇る。
「お」
俺は頬を引っ張られながら、夜空に浮かぶ花火を見た。きっと、年が明けたのだ。
「今年もよろしくお願いしますね、敬愛なるメイドさん」
「……しゃーなしよろしくお願いしてあげます。ま、普通に命の限りぐらいにはね」
メンヘラ激重メイドお姉さんはほんの少しだけ頬を赤くしながら、お気に入りのタバコに火を付ける。
※本SSは「第15回メロンブックスノベル祭り~2025 Winter~」の景品「スペシャルアンソロジー(電撃文庫)」に収録されたものです



